2023年(立教186年)6月月次祭神殿講話 ~喜びの種を探そう~

 今日6月の月次祭、普段はまだ梅雨に入っているかどうか分かりませんけれど、今年は全体に早くて、梅雨に入ってしまいました。今日は珍しい方も参拝にいらしてくださって、本当に嬉しい限りです。
 
1.豪雨で新幹線が止まった
 日々喜んで通る、大教会の三年千日の活動目標の一番最初に、「成ってくる天の理を素直に喜んで、日々陽気ぐらしをさせていただこう。」というのがあります。
 少し長くなりますが、今月私が体験したことをお聞きください。
 6月2日におぢばの憩の家病院の理事会がありました。朝は晴れており、お昼過ぎまで理事会をやりました。しかし理事会の最中に天理市に警戒警報が出ましたとか、出席者のスマホがあちこちでチャリンチャリン鳴ってるんです。何のことだと思っていたら、大雨が降って天理ダムの近くはもう山崩れの恐れがある、ということもあって、理事会も早く切り上げていただきました。そしていつものお弁当の他にお茶菓子も出て、普段はそのお茶菓子は食べずに置いてくるんですが、その時はなんとなくお茶菓子、バームクーヘン1個を鞄に入れて、近鉄に乗りました。
 そしてニュースを見たら、豪雨で西の方はもう電車が動いていない。京都駅で早い新幹線に乗り換えてグリーン車に乗せていただきました。新幹線が走っているので大丈夫と思って安心して乗っていました。京都から名古屋まですいすい走り、名古屋を出たあたりで「この先で雨が非常に多いので、徐行で走ります。」と放送があり、名古屋の次はこだまが停まる三河安城という駅があるんですが、そこの手前で電車が止まってしまいました。アナウンスで「今、川の規制値が上がっているから走れない。」、ちょうどそれが昼間の3時半頃。
 しかし、4時半になっても動かない。5時半になったら、「この先は大雨で走れないので、いったん豊橋まで行って、豊橋から名古屋まで戻ります。戻ってそこで運休になります、皆さん降りていただきます。」と放送された。慌てて名古屋のホテルに電話したんですけれども、全て、全部満室。ホテルに全く入れない。まあしょうがない、名古屋で降ろされたら降ろされたで仕方ないし、このまま動かなくなっちゃっても構わないしと思って、ゆったりしていたんです。
 そうしたら新幹線は各駅停車の駅の三河安城駅に入りホームに停まりました。でもこれは停車駅じゃないからドア開けない。ところがもう3時間も4時間も止まっていますから、突然車掌さんから放送が入りまして、「ただ今からホーム側のドアを開けます。開けますが、皆さんここから出ても新幹線も走っていませんし、在来線も走っていませんので、どこへも行けません。」という放送が流れ、思わず新幹線の中は爆笑でした。翌日は土曜日ということもあって、みなさん少し余裕があったのかもしれません。
 そんなわけでホームへ降りて、何かあるかと思ったら、小さな駅で売店も無いんです。それで仕方なくホームのジュースを一本買って、そこではっと気が付いた。先ほどのバームクーヘン1個持っている。きっと今日も明日もごはん食べられないだろうからとこれ大事に食べようと思って、夜中の12時くらいにバームクーヘン1個とジュースをゆっくり食べました。いつも言われるんですけど、ゆっくり食べるとおなかいっぱいになるというのでバームクーヘンを30分くらいかけて一口ずつ食べました。ジュースも飲んだら案の定お腹いっぱいになりました。ふだんいかに私が早く食べているかと自分で改めて感じましたけれど、そんなことをしながら家族にLINEを打っていました。そうしたら電池が無くなってきちゃった。これは大変だと思って、鞄変えたばっかりでね、いつもは携帯用の電池が入っているんですけれどみつからない。失敗したなと思って電源を切りました。念のためにと思ってもう少し鞄をごそごそ探してみたら、なんと入っていました。バッテリーが。大変に喜べました。
 そんなことをしている内に豊橋行く予定が、豊橋が大雨になってしまったために行けなくなったので、今日はこのまま動きません、と。ということは新幹線の中で寝るという意味です。ちょうどその日はグリーン車でしたからゆったりと休んで、ジュース1本とバームクーヘンを食べていたら「水を配ります。」というので水をいただきました。そうしたら「グリーン車の一番前と後ろでカロリーメイトを配ります。」たまたまグリーン車の前でしたからすぐいただきまして、そんなことで食事の心配もせずに一晩そこで泊まれました。3時半から翌日の朝7時半ごろまでまったく動かない。そこから東京へ行けるのかなと思ったらもう豊橋も箱根もダメだから行けません。それでやはり名古屋へ戻り、そのまま新大阪まで戻ります、という話になりました。皆、東京帰りたい人ばかりですから、もうイライラはしているんですけれど、それでふと、こんな中でも喜べることがあるかなあと思ったんです。

2.喜びの種をさがす
 あらためて考えてみれば、私が京都まで来て新幹線に乗れなかった可能性もあるんです。新幹線に乗れなかったら京都駅のホームでも大騒ぎでどこにも動けない。近鉄も止まっていますから天理にも行けない。そうすると新幹線に乗れたというのがすごくありがたいなあ。そして、その日に限ってグリーン車に乗っていたのも本当にありがたいなあ。バームクーヘンを持って帰って本当にありがたかったなあ。また、乗客の皆さんがエコノミー症候群になるといけないというので、ドア開けてホームで歩いていいと言われたわけです。そのお陰で自動販売機でジュースが一本買えて、これは本当にありがたかったなあ。また、鉄道の好きな孫からLINEが入ってきて、「おじいちゃん今新幹線でものすごい珍しいことが起きている」と言うんです。新幹線が三河安城でみんな停まってしまいました。上下線と追い越し線の上に4両がきれいに並びましてね。そして4両の間で行き来をするために開けたドアにはしごをかけた。これが「めざし」と言いまして、鉄道ファンにとってはもう垂涎ものの光景だそうです。孫から送って来たLINEでこの電車、おじいちゃんが乗ってる電車だ、こうなってるよと、そんな珍しいことを見せてもらいました。
 また、翌日は豊橋から名古屋へ戻るということで上り線を走りながら名古屋へ下って戻るという珍しい体験をしました。名古屋で、「皆さん東京へ向かう人はここで降りてください、降りてそこからの方が早いです」という放送があったんですが、降りようと思ったら隣の人が全然降りる気配がない。あれ、なんだろうなこの人と不思議に思っていたら、ふと気づきました。そうか、名古屋で降りたって新幹線は大阪や京都から来るんだからと思って、そのまま降りずに京都まで戻ったんです、乗りっぱなしで。京都で降りて、駅員に「この電車降ろされちゃったけど」と話をしたら、東京まで行けずに京都に戻ってきたわけですから、運賃が全額返ってきました。グリーン車代も、特急券代ももちろん返ってきました。もし私が名古屋で降りていたなら、運賃は一切返ってきません。名古屋で降りないで京都に戻ったことが、これまた大変な御守護。鉄道ファンから言わせれば、「新幹線ホテル」にタダで泊まって、名古屋まで行ってタダで帰ってきたということになるわけですね。
 そんなこんなで、さあ京都で喫茶店でも入ろうかと思ったら喫茶店が長蛇の列。全員降りているわけですから。しょうがないと思って新幹線の切符を買おうと思ったら最終便まで全部だめ。困ったな、どうしようかなと思って、本当に一瞬東京に歩いて帰ろうかと思ったぐらいでした。そうしたら「そうだ、伊丹に空港がある」と思いつきました。京都から伊丹行きというバスがあったんです。予約をしたら20時の航空券が取れたんです。それでバスに乗って伊丹へ行き、20時前の便が取れないか、キャンセル待ちをしました。すると幸運にも順番が繰り上がり、3時間も前の17時の飛行機に乗れました。家には19時ちょっと前には帰れました。
 今考えても、新幹線でまず京都に戻ったことが良かった。降りて全部お金を返していただきました。さらにそのお金にちょっと足すだけで飛行機に乗れました。そして飛行機も早い飛行機に乗れた。そして新幹線もすごい珍しい列車の「めざし」なんていうのを自分の列車で体験できた。つまりこういう話のタネになることができた。
 考え方によれば、今回の出来事すべて不足だらけにもなります。新幹線で帰れるはずが帰れない。新幹線で寝かせられた。さらに新幹線で戻らされた。その次の新幹線もいっぱいで帰れない。しかし名古屋でもし降りていたら、皆さんテレビのニュースなどでもご承知かと思いますが、名古屋は駅の前まで人があふれて、とても切符が買える状況になかったそうです。名古屋で降りていたらもっと大変だった。空港に行くこともできない。東京へ飛んでいる飛行機もない。そうやって一つひとつ見ていくと、全部が実はありがたくてうれしいことだったなあという風に思えるんですね。また、おぢばの憩の家の理事会に行ったら「こんな(台風の迫っている大変な)日に東京から来たんですか」と非常に感謝され喜ばれました。そんな中でも、一つひとつでどんなひどい状況の中でも喜びの種というのはあるんだなあと感じたわけです。

3.成ってくる天の理を素直に喜ぶ
 今日参拝に来られた方で交通事故に遭われた方もいるし、手術もされて色々な身上をいただいている方もいるけれども、そんな中でも喜ぶ種というのはいっぱいある。そうしたら苦しいもの、つらいものをつらいだけでついてなかったと言って不足するか、こんな中でも喜びの種を探すか。
 先日、交通事故(追突事故)に遭った方がおっしゃっていましたが、もしおふくろがあの車に乗っていたら、後ろの座席に乗っていたおふくろは死んでいただろう、そうすると事故には遭って、自分もかなりの怪我を負わされてしまったけれども、母親が死ななかっただけでとても喜べる。そもそも自分だって死んでいたかもしれないところ、それが大難が小難で済んだ、ということを一つひとつ喜ぶことができます。
 ちなみに、こういうことは、つらい時に人に言われるとかえって頭に来るものですから、喜ぶというのは、つらい時に自分で考える。自分で一つひとつ、喜びの種を探していくと、どんなことでも喜べるようになる。これが「成ってくる天の理を素直に喜んで、日々陽気ぐらしをさせていただこう。」という意味なんですね。この神様は三年千日しっかりやれば御守護をやると、10年分の御守護をやるとおっしゃってくださっています。ぜひ皆さん、喜びの種を探して、教祖に感謝をして、そして一人ひとりが人間として心を大きく成長させていけるよう、この3年間お暮らしていただけたらと思います。ぜひお願いしたいと思います。

4.日帝分教会の創立100周年
 それとあと一つ。とんでもないことに最近気付きました。なんと今年は日帝分教会の創立百周年なんです。日帝分教会は大正13年4月24日のお運びで教会設立が許された。そのお運びからちょうど丸百年。そうすると今年一年がこの日帝分教会の百周年ということです。昨日それを子どもに言われて初めて気が付きました。
 皆さんご承知のとおり、初代が高宮のぶ先生、二代が亀田儀八先生、三代が私の母の羽成芳枝先生ですが、私どもは初代さんを存じあげない。そんなことからついつい日帝分教会の創立ということは、ちょっと頭の横にあった。しかし今、我々にはこういう風にして毎月神様のお話を聞く機会が、こういうおつとめをさせていただく場所ができている。これらは全部初代さんあってのこと。その初代さんからなんと百年目というめでたい年が今年なら、何か記念になる百年目にしたいなと思いました。カレンダーを見ましたら11月12日が日曜日なんですね。今は私の胸だけで考えていることですが、その11月12日に百周年をやらせていただこうかなと。ただし、これは一人でできるものではありませんから、ぜひ皆さんと気持ちを合わせて、どういう百周年にしようかということを考えていただきたい。私たちが今つながっている日帝分教会の百周年を、なんとか実のあるものにしたいと思っております。
 そんなことで教祖140年祭の三年千日の一年目が我が分教会の百周年です。こんなおめでたいことはないので、ここからも心勇んで喜んで、一つひとつやらせていただきたいと思っております。皆さんのご意見を聞きながら、実のある百周年にしていきたいという風に思っておりますので、どうかよろしくお願いいたします。

 本日は足元の悪い中皆さんお集まりいただきまして、本当にありがとうございました。またこの一か月、喜んで喜んで、一つひとつ喜びの種を探してお暮しいただきたいと思います。

 本日はどうもありがとうございました。

2023年08月19日