2023年(立教186年)11月月次祭神殿講話 ~100年続き、また次の100年へ~

 本日は、月次祭を兼ねまして、日帝分教会の100周年記念祭をつとめさせていただきました。
 中根大教会長様もおいでいただきまして、何より皆さんに多く来ていただいて、おつとめは一応全部の鳴り物が揃って先ほどできました。前半も後半も同じように全部揃ってつとめたいのですが、この鳴り物はできるけど他のはできない、という方がいらっしゃるものですから、難しかったところがあります。ですけれども、今日のために練習に何度も来てもらった少年会の人たち、本当にありがとうございました。またそれを出してくださった親御さんたちにも本当に感謝しています。ありがとうございました。
 先ほどの祭文にも書かせていただきましたが、日帝分教会の100年史というものを作りました。今日お帰りの際に差しあげますけれど、初代が高宮乃婦(のぶ)先生、二代が亀田儀八先生、三代が先代羽成芳枝先生ということになるわけですけれども、今申しあげたように、初代も二代も三代も全部名字が違う。要するに、本来であればなかなかつながらない教会のはずなんだけれども、それが今日までつながって100周年を迎えられたということは、大きな意味があるんじゃないかなと。普通、100年つながる教会というのは、歴代会長全員名字同じですよ。じゃあ名字はともかく血のつながりがあるかというと、この日帝分教会で言えば、初代髙宮先生と二代亀田先生はまったく血のつながりはありません。そしてまた二代亀田先生が出直した後、後継者が誰もいなかったので、それから私の母、三代羽成芳枝会長が教会を継ぐために一から天理教を学ぶために修養科に行かれた。そういうご苦労を想いますと、そうした中で今日まで100年つながったというのは本当に奇跡的な話だと思います。
 大教会でもいくつかの教会が、後継者がいないので本部にお返ししたという所もかなりの数がある中で、今日100周年を迎えられたことは本当に嬉しい限りです。ただし、正直言いますと、この100周年ということを、今年6月まで会長である私はまったく知りませんでした。たまたま子どもから「今年で日帝100年じゃないの?」と言われて「そうか?」と言ってあわてて記録を調べたら、本当に100年前の4月24日にお許しを得たということが初めてわかりました。100年という時間は、そういう誰もわからないような時代になりかかっているともいえるかと思います。
 そんな中、今回作った100年史で、三代の会長さんの生きてこられた、特に天理教になった理由をまとめさせていただきました。これが本当に嬉しい限りで、子どもたちも資料を色々調べて、正確に、あとまた関係の方にも読んでもらったりして正確なものとして作ることができました。初代髙宮先生の伝記というのは、前会長が鉛筆で書いたものがあっただけでしたので、それをまとめなおしながら、足らないところは資料を調べて補足していきました。二代会長の話も同様で、結婚した時、我孫子で料亭をやった時、あるいは根津で自動車屋さん、ハイヤー会社をやった時、あるいは塩問屋をやった時というのは私はうっすら覚えで聞いてはおりましたけれど、今回きちんと時間を追って全部わかりました。
 この機会にそういう過去のことをさかのぼらせていただいて、しかも読んでみて本当にこう胸が熱くなるような、本当に大変な中を歴代会長がお通りいただいて今日がある。こうやって皆さん、皆さんと月次祭に顔を合わせるのが本当に楽しみで、何の障害も無く月次祭ができるということも、今までのその三代会長さんの話を聞いていると奇跡に近いような、本当によく今日まで続いたなあという思いがしております。
 そんなことで次の100年です。次の100年なんて生きていないよ、と皆さん言うかもしれませんが、100年後は生まれ変わっています。今ここでしっかり伏せ込んでおいて、そして次の100年経った時にまたこの日帝分教会で生まれ変わって別の身体を借りておつとめをする。その間に三回くらい生まれ変わってこられたら・・・ こんな楽しいことないじゃないですか。ということで考えてみれば、100年前というのは決して遠い昔ではなくて、生まれ変わりで、100年前教会につながっておられた方々が、100年後の今、ここに集っている。だから皆さん、ご縁があってここにいる方ばかりです。
 池田晶子さんという哲学者がいますが、池田さんは、なぜ人間が生まれ変わるということを信じないのか。私は自分が生まれ変わった時にこの世の中が変なことになっていないよう、今日一つ良いことをするのだと、書いています。正にそのとおり。
 私たちは、世の中のためでもあるし、何よりも自分が生まれ変わって幸せになるために、あるいは自分の身の周りの人ともまた幸せに巡り会えるためにも、今日一つ良いことをする。これがこの道のかしものかりものの教え、これが天理教の根本教理です。どうかしっかりと改めてこの機会にお考えいただきたいと思います。
 教祖100年祭の諭達に、「百という字の意は、白紙に戻り一より始めるを謂う。」というお言葉がありました。今こうふと思い浮かべまして、まったくそのとおりだな、と。100年続いたので本当にありがたいけれども、いったんこれで白紙に戻す。そしてまた一から始める。今日の記念品のタンブラーに「NEXT 100 YEARS」、次の100年と書かせていただきました。
 また皆さんご覧のように、教会はすべて椅子にしました。おつとめも何もかも全部椅子にしました。そしてまた親神様の御社も代えさせていただきました。これはすべて皆さんのお力添えあってのことですけれど、そんな中で、この100年を機に、見た目だけはちょっと変えましたので、今後はそれぞれが一人ひとりが中身も変わったといえる信仰をしていただきたいと思います。
この後記念写真を撮っていただいて、直会にさせていただきますので、最後までごゆっくりとくつろいでいただきたいと思います。

 本日は誠にありがとうございました。

2024年02月03日