2024年(立教187年)3月月次祭神殿講話 ~今の時代の難儀とは~

1.おぢばがえりをしよう
 ただ今は3月の月次祭、平日ということもあって人出も少なかったですが、鳴り物も勇んで陽気におつとめをしていただきました。誠にありがとうございました。
 今、私は大教会の役員として、各教会に巡教させていただいております。その理由は、先ほどの諭達にもありますし、そこに書いてあるように教祖140年祭の活動目標を知って頂くためです。その1つに、三年千日で一千名のおぢばがえり、と書かれています。
 ただ中根は、今25か所くらいになっていまして、実働は20か所くらいですから、そうすると20分の1をやらせてもらう。そうすると一千名の20分の1というと50人ですね、そうすると3年の間に50人というと実はまったく難しくない。毎月1人で行っても48人になるわけなので、それじゃあ神様に申し訳ないということで、私はその倍の100人をやらせてもらおうと思って、一所懸命おぢばがえりをすすめて、私もさせてもらっています。

2.年祭をつとめる意義
 そんな中で年祭をつとめる意義というのは何か、ということですけれど、年祭をつとめるということは、実はご守護をいただく旬であるという意味なんですね。
 それでなんでこれが三年千日なのか、ということで以前何度もお話しておりますけれども、例えば、我々東京の人間ならご存知かと思いますが、7月20日頃に行われるほおずき市というものがあります。ほおずき市というのは、別名四万六千日というんです。なんのことかというと、そのほおずき市に1日行けば、観音様、神社その他にですね、四万六千日参ったのと同じご利益をあげるという意味です。まあ三年千日は別にそのご利益といったことではありませんけれど、ただ三年千日というのは教祖のひながたを通る。その50年間ではなくて3年間だけでも通ってくれということなんですが、こういうおさしづがあります。

「五十年の間の道を、まあ五十年三十年も通れと言えばいこまい。二十年も十年も通れと言うのやない。まあ十年の中の三つや。三日の間の道を通ればよいのや。僅か千日の道を通れと言うのや。」
(明治二十二年十一月七日午後十時四十分刻限御話)

 その千日の道を通るとどうなるのかということについては、

「まあ三年の間や。三年経てば、偉い事に成るのやで。三年の道は直きや。」

とこうおっしゃる。その「偉い事」とはなにか。こういうおさしづがあります。

「三年の道通れば、不自由しようにも、難儀しようにもしられやせん。たった三日の間や。」

 いいですか、3年の道を通れば、「不自由しようにも、難儀しようにもしられやせん。たった三日の間や。」とおっしゃられる。3年の間、教祖のひながたを通って歩けば、不自由しようにも難儀しようにもそんなことは決してできないということなんです。

3.ひながたの道とは何か
 そうすると、ひながたの道というのはなにか。ひながたの道の一番最初は、善兵衛様が出直された嘉永6年です。教祖が立教してわずか10年ぐらいの間に母屋をとりこぼち、田地田畑を全部施した。まさに教祖は貧に落ち切ったんですね。そうするとつい天理教の人は、教祖のひながたというと貧乏にならなきゃいけないのか、とか、全部自分の物を売り払って施さなきゃならないのかと思うんですけれど、そんなことじゃないんです。
 なぜかというと教祖は、難儀しなければ、「貧に落ち切らねば、難儀なる者の味が分からん。」とこうおっしゃるわけです。つまり教祖は、表が、門構え、蔵があるような家では、貧しい人の気持ちが分からない、とおっしゃった。というのも、当時、教祖がご在世中の江戸の末期から明治にかけては、難儀といえば何かといったらお金、物が無いことだったんですね。食べるお米が無いとか、着る物が無いとか、住む家が無いとか、つまり当時の教祖の時代の難儀というのは、実は貧乏だった。だから教祖は全部財産を取り払って、それで自分が率先して貧乏になって、そうして初めて難儀する者の心が分かる、とこれをひながたとして教えてくださった。
 その時代は、今言ったように貧乏が一番悲しかった。辛かった。ところが今は、貧乏といったって飢え死にする人はいません。この日本では。そうすると、日本で何がみんな悩んで苦しんでいるかというと、それは身体の病と心の病なんですよね。本当もうこれだけどんどんどんどん新しい薬が出てきていますから、薬で治る。しかし薬で治ったとしても、病んでいるという辛さは分からない。
 実は今日、ご近所のご主人が出直されたというご挨拶がきました。私はたまたま町内の役をやっているので、その訃報をどうしましょうかと奥様が相談に来られた。つい最近までお元気で、朝なんかも挨拶していたり、駅まで一緒に行ったような方がですね、聞いてみたら実は腎臓のガンで腎臓が片方なかったという。あと色々な所でリンパから含めて身体中に転移して、今月に入ってからは意識がなかったとのことでした。もし私がご主人の生前にそんなことを聞いていれば、何か手助けをさせてもらった、おさづけもさせてもらおうということになったと思いますけれど、何もおっしゃらない。それで出直しました。
 そんなことを一つ見ても、やっぱり病を持っているということは辛いことで、そう簡単に人に言える話ではない。ご自身もどうしようかと思い悩んでおられていたはずなんですね。あるいは仕事が辛い、会社が辛いということで鬱になって勤めに行けないという方もいる。

4.今の時代の難儀
 つまり今の難儀は病、身体の病、心の病だと思います。その難儀に対して教祖は、難儀せねば難儀する者の気持ちが分からん、というわけですから、私たちは風邪を一つひいても、どこか足の先をひっかいても、捻挫しても、もっと病んでいる人がいるということで人を助けるような、人の辛い思いに一緒になるような、これを3年間やってくれとおっしゃっているだけなんです。
 今色々な所で、世界中で、あるいは自分の身近な所でも辛く悩んでいる人がいるだろう、その人たちの同じ気持ちになって、その人たちの気持ちで助けてあげてくれ、この気持ちで3年間通ってくれというだけなんです。貧乏になれなんていうことはおっしゃっていない。難儀する者の心になってくれ、そしてその人を助けてあげてくれ、という、これを3年間続けること、それが3年のひながたの道といことなんですね。
 毎年毎日そう考えていなければ本当はいけないのだけれど、教祖は許してくれまして、50年の内30年20年通れと言うんじゃない、10年でもない、たった3年だけ、その三年千日の間だけ通ってくれと。わずか千日の間や、ということをおっしゃっている。つまり千日、困っている人の気持ちになって、その人たちの心を助けたい、という思いになって3年間通ってくるだけで、「三年の道通れば、不自由しようにも、難儀しようにもしられやせん。たった三日の間や。」という風におっしゃってくださっている。

5.人をたすける心で3年間通る
 もう1年過ぎちゃいました。あと2年間、自分の身の回りや世界で苦しんでいる、悩んでいる人の思いに自分の思いをつなげて、何か自分にできることはないかということを一つでも考えさせてもらう。こういう思いでこの3年間を通れ、と。これが実はひながたの道を通るということなんですね。
 50年通れと言うんじゃない、たった3年でいいよと教祖が許してくれている。この3年間、人を助ける気持ちになって3年間通ってくれという。せめてこの3年間だけは強欲を出さない、人とけんかをしない、何か言われても決して怒らない。何か言ってくる人はきっと何か辛いことがあるんだろうなあという風に相手の気持ちを慮る。この心を3年間使ってくれということ。もうあと2年しかありませんので、どうかそういう思いになって、残りの2年間をお過ごしいただきたいと思います。

 今日はちょっと寒いですけれども、これから暖かくなって身体も行動しやすくなる。年を取れば身体が動かなくなるのは当たり前です。しかし心と気持ちだけは絶対に年を取らない。心は良いことをしただけどんどん心に徳がたまります。そして言葉だけは優しい言葉をどんどん出していけばどんどん言葉が出るようになります。身体が動かなくても、心と言葉でどうか周りの人を明るく陽気にさせるようにお互い努力をしたいと思います。

 今月はどうもありがとうございました。

2024年04月20日