2024年(立教187年)6月月次祭講話 ~たった一つの心よりどんな理も出る~

 ただ今は6月の月次祭、思わず暑いので7月と言いそうになりましたけれど、6月の月次祭を無事賑やかにおつとめいただきました。
 少ない人数の中でも、一人ひとりが勇んで、鳴り物なんか特にしっかりと皆で合わせると、おつとめ、手をどりをしている方たちの心を勇ませることができます。自分も勇めば周りも勇むということで、ぜひ人数に関わりなく一人ひとりがつとめを果たして教祖年祭に向かって行っていただきたいと思います。

1.かしものかりもの
 先日、私が弁護した男性が刑務所に行って満期で出てきたので挨拶に来ました。刑務所は非常に健康に良い所で、15㎏も痩せたと言って喜んでおりました。そういう一つひとつ、どんな時でもどんな所でも喜ぶ、ということが神様が喜んでくれる道だと思います。
 そんな中でそのお母さんから電話をいただきました。もう80歳過ぎの方でしたけれど、腰の骨にひびが入って痛くてしょうがない。辛い思いをしているということをおっしゃったので、「痛いというのは生きていればこそですよ。死んじゃえば痛くもなんともないけれど、死んだ方が良い?」と言ったら「いや生きている方が良い」と言う。「だったら痛いのは生きている証拠だと喜んだらどうですか?」と言ったら、こんな話は初めて聞きました、ということだったので、実は私は天理教を信仰していて、この身体は神様からお借りしているものだ、という話をしました。特にあなたの場合は、息子さんが社会に出てきたのだから、激励して正しい道をまたちゃんと歩んでもらえるような、そういうお仕事がありますよ、という話をしたら、本当に喜んでこんな話は初めて聞きましたということでした。身体を神様から借りているとか、痛いというのは神様から何かの手紙、メッセージを下さっているんだということについて、知らない方が多いです。
 私どもは「かしものかりもの」というのは当たり前に思っているけれど、それは神様から身体をお借りしている、あるいは神様からすれば私たちに貸しものだということをお話をくださっているわけですけれど、今日はその「かしものかりもの」ということについて、神様が「ちょっとお前たち違うぞ」ということをお話しくださっているおさしづのことをお話したいと思います。

2.かりものの理
 私たちは、身体は神様からお借りしているもの、魂だけは生き通し、そして心は自由に使ってよろしい。この神様は、神様に反対してもよろしい。しかし親としてお前たちを見捨てないぞ、と。反対するのもかわいいわが子と言ってちゃんと助けてくださる。そんな神様から身体を借りているということに関して当たり前に思っていたけれど、こういうおさしづがあります。

「めん/\かりもの承知。

 みんな借りものだということは承知しているだろう。

「めん/\かりもの承知。かりもの分かっても、かりものの理自由分からねば何もならん。」明治二十年十月十二日(陰暦八月二十六日)

 とおっしゃるんですね。私たちは身体を借りていることは分かっている。しかしかりもの分かっても、かりものの理自由、ということが分からねば何もならん、ということなんですね。
 じゃあ自由ってなんだ、と言うと、おさしづがあります。

「人間というものは、皆神のかしもの。いかなる理も聞かすから、聞き分け。心の誠、自由自在と。自由自在何処にもあらせん、誠の心にあるのや。」 (明治二十一年二月十五日)
 
 どういうことかと言うと、人間は皆、神の「かしものかりもの」だけれど、その「かしものかりもの」という理は心の誠をいう。その心の誠で身体が自由自在になるのだとおっしゃる。「いかなる理も聞かすから、聞き分け。心の誠、自由自在と。」心の誠があればこその自由自在で、身体を借りていても、これが自由にならない人がいっぱいいます。なぜかと言うと、心の誠を使っていないから。

3.たった一つの心
 もう一つ分かりやすいおさしづがあります。

「人間というものは、身はかりもの、心一つが我がのもの。たった一つの心より、どんな理も日々出る。(明治二十二年二月十四日)

 人間の身体は借りもので、心一つがお前たちの、自分のものだ。ただ、たった一つの心からどんな理も出てくる。そのたった一つの理というのが誠の心なんです。ですから私たちは身体を借りて感謝はしているけれど、この身体が自由に動くようになるには、誠の心を持たねばいかんよ、と言っているわけです。誠の心だけが自由自在になるもとだ。誠の心というのは簡単です、人を助ける心。人に喜んでもらう心。その心を持てばこの借りている身体は自由になる。
 皆さん身体を神様から借りているから、私も朝晩神様ありがとうございます、神様の言うことを聞きますから長く貸してください、とお願いをしているけれど、しかしそれはお願いしているだけであって、神様はこの身体が自由自在に使えるのはお前たちの心次第だぞ、とおっしゃる。お前たちが心の誠を使えば、それが自由自在になるのだ、と。そういう風に、身体は借りていても、この心の誠でこそ自由自在になるんだという、これが分からねばどうにもならん。改めておさしづを読ませていただいて、いつも神様に身体をありがとうございますと言ってはいるけれど、もっと自由に使わせていただくためには誠の心を使う。誠の心というのは神様が喜ぶ、人のために使う心、人に助かってもらう心、人に喜んでもらう心。
 人というのは、自分以外は全部人(他人)ですよ。いつも言うけれど、妻も人、夫も人、子どもも人、おじいさんおばあさんも人、孫も人。これを何とか自分が喜ばせてあげようという心の誠を持つことによって、自分の身体が自由に使えるんだよ、ということを教えていただいています。
 あそこに140年祭の目標が貼ってありますが、真ん中に「かしものかりものの教えを伝えよう」というのがある。「かしものかりもの」という、単に身体を借りているだけではなくて、この借りている身体が自由自在に使えるには、誠の心一つだ、と。これを皆さんに伝えていきましょう。だから皆さん、互いに立て合いましょう、互いに助け合いましょう。これがこの教えの神髄なんです。天理教の基本の教理が「かしものかりもの」です。親である神様から借りている。ただそれは「かしものかりもの」だけれど、その借りている身体を自由に使うためにはお前たちの心一つだぞ、と言われている。ここを今月改めてしっかりと心に刻み、心一つ、心の誠、誠の心を使っていきましょう。

4.誠の心
 そして、そこにある額、あれ「誠」と書いてあるんです。二代真柱様の字で。つまり神様に喜んでいただくという心遣い、誠の心です。皆さんようぼくになるといただけるおかきさげにありますね。

「誠の心と言えば、一寸には弱いように皆思うなれど、誠より堅き長きものは無い。誠一つが天の理。」

 誠といえばちょっとにはみんな弱いもののように思うだろう、しかし誠より堅き長きものは無い。誠一つが天の理。つまり誠の心が神様の心に添う心だと、こういうおかきさげです。ようぼくの方は皆さんちゃんともらっているのですが、忘れているだけ。改めて今月は誠の心を使わせてもらって、身体を自由に使わせてもらうということと、今病んでいる人や身体が痛い痛いと言っている人に対して、自由自在になるには誠の心、人を助ける心を少し使ってください、とお伝えしていきましょう。これがお助けになります。

 これからさらに暑くなりますけれど、皆さん身体に気を付けて大事に、しかし毎日陽気に明るい心を持ってこの一か月お過ごしいただきたいと思います。

 今月はどうもありがとうございました。

2024年08月03日