2024年(立教187年)1月春季大祭神殿講話 ~ひながたの心で通る~

 改めて皆さん明けましておめでとうございます。
 日帝分教会の昨年には大変お力添えいただきまして本当にありがとうございました。また今年も一年、三年千日の二年目としてお互い励まし合いながら、協力し合いながら進んでいきたいと思います。

1.災害、事故の発生
 諭達に、「頻発する自然災害や疫病の世界的流行も、すべては私たちに心の入れ替えを促される子供可愛い親心の現れであり、てびきである。」とあります。
 皆さんご承知のとおり、1月1日夕方、能登半島で大変な地震が起きました。どれだけの方が亡くなったのか、どういう状態にあるのかがもう2週間になろうとしている今ですらまだ分からない。本当に大変なことです。そしてまたその翌日には飛行機同士がぶつかるという大変な事故。不幸中の幸いで、旅客機の方は亡くなった方はいませんでしたが、ぶつかられた小さな飛行機の方は5人の方が亡くなられたという、本当にお正月早々、天災地変、人間の事故、大変なことを見せていただいております。
 そんな中、私が心強く思ったことがあります。先日7日に葛飾支部の新年初例会がありました。そこで支部長さんが、「皆さん能登には今行ってももう通行止めで行けません。」ということをお話しされてました。これをちゃんと言わないとどんどん行ってしまうから、とも言っていました。「えっ」と思いましたらさらに聞きましたら、葛飾支部から既に2台の車が出発して被災地に色々な救援物資を届けているとのこと。いつも野菜を届ける本導分教会さんからも大根や白菜を預かって、避難場所に届けてそこでの炊き出しに新鮮な野菜を使わせてもらい非常に喜ばれ、その他にインスタントラーメンとか色々なものを持ってですね、もう既に2台行っている。その他にも待機している車があるのですが、ちょっと今行かれると困るから待ってくれ、ということで止められている状態です。
 我が葛飾支部をはじめとして、天理教としても既に色々な団体が現地に入って救援物資を届けている。そういうお話を聞いて、このお道を信じている方たちにとって、本当にこれは他人事ではなく、自分のことなんだと考えて、救援に行っているというその心を聞かせてもらいました。本当に感心するとともに、自分も何かさせてもらわなければいかんな、ということを思いまして、せめて義援金くらいは、ということでやらせてもらいましたが、皆さんもお一人お一人の中でも、そういうお気持ちをなんとか被災者の方に伝えていただければと思っています。

2.被災地のお年寄りの苦労
 たまたま羽咋と七尾という所に、私の知人が住んでいたんですね。どうだったかなと思って調べましたら、羽咋の方はもうすでに東京に出てきてしまっていて、両親は出直していらっしゃらないので羽咋の家は処分をしたと。七尾の方も自分は東京に出てきて両親はいないので今売りに出している最中だというようなことで、身体が無事で家が無くなっただけということでした。
 そんな中で今回の被災者を見ても分かりますけれど、お年寄りばっかりですね。若い人は皆東京に出てきて、被害に遭ったのはたまたまお正月で里帰りしていた方ですけれど、里帰りしない時は年寄りばかり。現にその年寄りが、大変多くの方が亡くなっておられます。
 私の知人が2軒とも家を売って出た、というのを見ても、これからお年寄りがそういった家を再建できるかというとまずおそらく無理だと思います。子どもは住んでいないし、お年寄りは家を建て直す資力も持っていない。建て直したところでそこにまた子どもが戻ってきて住んでくれるわけではないということを考えると、二重三重に胸が痛みます。
 高齢になって家族を失ったばかりではなく、家を失い、その家を再建することも将来的にはおそらく無いだろうということを考えますと、本当に大変なご苦労、つらい中にいらっしゃるんだろうなということを思います。そういう風に、被災者にせめて心だけでも寄り添っていっていただきたいと思います。
 おそらく教内で助け合いの募金依頼が来ると思いますけれど、どうかその時にはお気持ちだけでもご協力をいただきたいと思います。そしてまた一日も早く、被害に遭った方たちが何とか心穏やかに過ごせるような日になってもらいたい。私も日夜神様にお願いしています。ですが、神様の思いというのは、いつ私たちのところに来るかも分からない。

3.神様の期待
 神様の話にこういう話があるんです。「なんで私の所はこんなにつらいことばかり起きるんだろう」、あるいは「こんな大変な人を私のそばになんでよこすんだろうか」、「私の親が変になった」など、いろいろありますが、なんで私にばかりこんなことが起きるんだろうと思った時に、神様はあなただからこそこの人を助けられるんだと、あなただからこそこういう人をあなたのそばに置いたんですよ、だから一所懸命やらせてもらってください、という話を聞いたことがあります。
 つまり、見るもいんねん、聞くもいんねんというのはそういうことで、自分の周りに大変な方がいたときには、これは大変だなあと思うだけではなくて、その人を見た人が助けるよう、神様が期待してその人に見せているんだという風に思っていただきたい。そうすれば、先ほどお話しした支部の人たちのように、被災地にすぐに飛んで行っちゃったという、ああいう行動力が出てくるのかなと思います。

4.春季大祭の意義
 さて、1月がなぜ春季大祭かというお話です。
 教祖が50年のひながたの道をのこされて、扉開いてろっくの地にする、とおっしゃられた。教祖のお姿があったのでは、警察に捕まったりしてその心配で子どもたち、側近の人たちがおつとめもできない。教祖が世界を助けるには一番大切なのはおつとめだと。だからおつとめをしなさいと教祖ご自身がおっしゃるんだけれども、そのおつとめをすると、高齢の教祖が監獄へ入れられてご苦労されてしまうから人間心ではそれが到底できない。
 そんな中で教祖がつとめをせよ、つとめをせよ、と言って明治20年の陰暦正月26日、今で言うと2月18日ですが、その2月の一番寒い時ですね、その時に身上がにわかに悪くなられた。そして教祖に元気になってもらうにはどうしたらいいかとお聞きすると、つとめをせよとおっしゃる。つとめをしたら人間から見たら病気の教祖が監獄に連れていかれてしまう。それでできなかったんですけれど、そうこうしているうちに教祖はどんどん悪くなる。
 そしていよいよ陰暦正月26日の午後1時、命どうなっても、と思う者のみつとめをせよ、という覚悟を決められた初代真柱様に言われまして、それで私の命はどうなってもいい、おつとめ最中に捕まるかもしれないということで、着物を何枚にも着て、足袋も何枚も重ねて、捕まっても寒くないように、それで陰暦正月26日の午後1時からおつとめにかかりました。
 そして1時間後のちょうど十二下りが終わって、十二下りの最後、「このたびいちれつに だいくのにんもそろひきた」というところで教祖が息をすうっと引き取られた。
 皆大変驚いて、おつとめをすれば助かると思っていたのに、なんで息を引き取ってしまうんだ、ということで本席の飯降伊蔵先生を通して教祖から理由をお聞きしたところが、扉を開いてこれからろっくの地にして世に出るんだと。扉を開いてと言うたやないか、とおっしゃる。
 皆、扉を開くとはもっと景気のいい話だと思っていたのが、扉開いてとは、教祖からすると、この身体があったのでは扉を開いて世界中へ行けない。だからこの身体を脱いで、そして教祖のお心が世界中に飛んで歩くという、これが扉を開くという意味で身を隠したのだと。そして「今までとこれから先としっかり見て居よ。」とおっしゃられました。教祖のお姿がある明治20年1月26日までの「今まで」と、それ以降の「これから」をしっかり見ていよとおっしゃられた。庄屋敷村という奈良県の小さな村で発祥したこの教えでしたけれど、教祖が身を隠されてから、現在のここまで世界中に広まったお道の姿。これが「しっかり見て居よ」ということだったんです。
 お道は教祖お一人から始まり、その教祖が身を隠されたのが1月26日。これが春の大祭の意味です。ですからこの1月26日、2年後の1月26日がちょうど140年祭にあたります。身を隠された明治20年1月26日からちょうど140年目が2年後の1月26日ということです。

5.ひながたの心で通る
 そして教祖はこの年祭までの三年千日、この三年千日をしっかり教祖のお心で通れば、教祖が50年通られたひながたの道を通ったことにしてあげよう、と。50年も私たちは人間だから通れません。でもこの年祭前の3年間、一所懸命ひながた通りに、ひながたの心通りに通る。ひながたの心とは「人をたすける」という心です。そうすれば50年のひながたを通ったことにしてやろう、ということは、なんでもお前たちの思ったとおりにしてやろうという意味です。
 ですからせめてみなさんあと2年、自分の身の回りになんとか助かってもらいたいという人がいるかもしれません。また世界でなんとか助かってもらいたいということもあります。あちこちで戦争が起きています。本当に毎日毎日多くの人、大人だけでなく子どもまで亡くなっています。そういう人たちに対して、この三年千日の間にともかく助かっていただきたいというその教祖の思いを、三年千日毎日使っていただく。そして、病んでる人にはおさづけを取り次ぐ。事情に悩んでいる人には寄り添う。諭達に書いてありましたね。これを3年間やってくれとおっしゃるんです。やってくれたなら50年分通ったとして受けとってくださるとおっしゃっているわけです。
 普段私もなかなか人助けと口では言っていますけれど、本当に助ける、また本気で祈るということもなかなかできない。ところがいよいよ3年で区切られた、さらにあと2年です。たった2年、2年間、誰か悩んでいる人、苦しんでいる人のために本当に祈りましょう。そして本当におさづけを取り次いで助かってもらうようにしましょう。これはもう自分の身の回りの人、近所の人、世界の人、全部同じです。教祖の心になってあと2年間しっかりとお互い暮らしていきたいと思います。
 そして、神様にこの正月早々から大きな事情を見せられたということは、お前たちゆるんでいないか?と問われているのかもしれません。その困っている人たち含めて、いつ自分たちにそれが来るかもしれない。いつも教祖がおっしゃっているのは、我が事として考えてくれ、自分の事として考えてくれということです。地震も飛行機事故の話も全部そうです。
 もし自分が乗っていたら、もし自分が輪島にいたならば。場合によっては皆さんもっと若くてお金があったなら、元日は和倉温泉の加賀屋さんに泊まっていたかもしれない。その加賀屋さんにいた人たちが大変な被害を受けている。そういうことを考えると決して他人事ではありません。そういう思いでぜひあと2年、教祖の年祭まであと2年、そして2年後には必ず御守護いただく。そしてお礼を教祖に申しあげに行く。
 1月26日、必ず私もおぢばに行きます。2年後の140年祭には必ず行きますから、その時までに御守護いただけるように、神様にお礼を申しあげることができるように、この2年間しっかりと心を世界助けのため、人助けのために使っていただきたいと思います。

 寒い中大変ですけれども、また1か月頑張っていただきたいと思います。
 来月の月次祭には、中根大教会の役員さんの巡教があります。私も役員の一人ですので、福島県や群馬県にある教会を巡教するのですが、2月12日には、大教会役員でもある行理山分教会の橋本先生が、この日帝に巡教に来ていただけることになりましたので、一人でも多くの方にご参拝いただき、おつとめを賑やかにつとめられるようにお願いしたいと思います。来月12日は日曜日です。大教会巡教ということも心に留めていただいて、ぜひご参拝いただきたいと思います。

 今月はどうもありがとうございました。寒いですからどうかお気を付けてお暮しください。

2024年04月20日