2024年(立教187年)5月月次祭講話 ~今、世界で「借りもの」の思想~

1.おつとめ
 ただいまは5月の月次祭、賑やかにおつとめいただきました。誠にありがとうございました。
 このおつとめは、世界をおさめる道、世界たすけるつとめと言いまして、このおつとめで世界のおさまりを願う、あるいは人々の健康を願うという非常に大切なおつとめです。教祖は、「大切なつとめやで」「一つ手の振り方間違うても、宜敷ない。」とおっしゃっています。今日いくつも間違えましたけれど、これを間違えないようにやらせていただく。そうすると心の中から本当に喜びが湧いてくる。これがおつとめの意味です。
 そしてまたおつとめは、この一つひとつがすべて神様の、人間に伝えたいという思いがこもった歌ですので、それをしっかりと歌いながら、踊りながら身に付けていくことによって、神様の思いが身に付くということです。ぜひおつとめをしっかりとお互いつとめさせていただきたいと思います。

2.レンタルの思想
 最近ある本を読みました。「所有論」という厚い本で、哲学者の鷲田清一さんという方が書かれた本です。思わず最後まで読み切ってしまいました。実は聞いたことがあるような話ばかりが出てくるわけです。どういうことかと言いますと、所有論というのは、その人は哲学者ですけれど、自分のものというのは一体なんなんだ、ということなんです。
 自分のものというのは、自由に処分ができるとか、あるいは人に売れるとか、ようするに自分が自由にできるというのが自分のものというものだろうと。そうすると例えば財産、お金だとか物だとかの財産も、これは果たして自分のものだと言えるのかという深いお話をされるわけです。
 たまたま財産があってもこれを処分したくても、例えば自分が死んでしまったらこの財産は自分のものではなくなってしまう。そうするとそれをもらった人がまた自分のものだと思う。しかしその品物そのものは誰も結局、持っている人が代わるだけで処分できていないじゃないか、というところから始まりまして、自分のものというのは、じゃあこの身体というのは一体自分のものなのか、という話につながるわけです。
 自分のものというのは自由に処分ができる、しかし長生きすることもできない、あるいは早く死ぬこともできない。中には自分で命を絶とうとする方もいますけれど、百発百中で亡くなるかというと果たしてそれも分からない。そうすると自分のものといっても、自分の身体さえも処分できないじゃないかという風に言うわけです。そうするとこれは誰かから借りているものという風に考えるしかないじゃないか、と、その哲学者は言うわけです。つまりこの身体すら自分のものではなくて、誰かからの借りものなんだというのがその本の結論なんです。
 あと一つ、これは東京大学の宇宙物理学者の松井孝典さんという先生なんですが、この先生は天理に来たことがある。その先生が最近亡くなりました。最後に書かれた本が、「レンタルの思想」、つまり借りものの思想というわけですね。
 なぜこの地球がこんなおかしくなったかというと、人間が地面に埋まっている石油だの石炭だのを取り出して、地球を暖かくして温暖化してしまって、そのために南極・北極の氷が溶けて、氷河がもう何千年も前から凍っていたものが全部溶けだして、千年前二千年前に閉じ込めたメタンガスが今吹き出ている。これではまたまた地球が暖かくなってしまう、というようなことを松井先生がおっしゃっている。
 これは、それぞれの国や人間が掘ったものは、俺が掘ったんだから俺のものだという風に思っているからじゃないか。これは決して自分のものではなくて、地球からお借りしていると考えたらどうなんだ。借りたならばどこかで返さなくてはいけない。そうすることでバランスがとれるんだ。このレンタルの思想、借りものの思想というものを持たない限り、この地球はもう永続しないんだということをおっしゃった。

3.かしものかりもの
 その話を聞いて、先ほど申しあげたように私はスラスラ読めた。それは当たり前です。187年も前から教祖は、この地球やこの人間の身体は神の貸しものでお前たちは神の借りものだということを教えられていた。「かしものかりものの教え」というのは天理教の基本教理です。身体が自分のものだったら自分で自由に処分できるはずだけれど、自分で処分できないじゃないか、長生きしたくてもできないじゃないか。こんなことで私たちは「かしものかりもの」ということをいつもしっかりと聞いていました。
 その「かしものかりもの」ということをしっかりと聞いていたけれど、なんとなくうわの空だった。書いてあっても、「かしものかりものの教え」って別に珍しいとも思わない。ところが天理教を知らない人がこの地球やこの人間がおかしくなっているのをただすにはどうしたらいいか、と考え、これはすべて何かから、彼らは哲学者ですから神様からとは言わない、何かから借りていると言うしかないんじゃないか。地球から借りていると言うしかないんじゃないか。あるいは何かからこの身体は借りているという、この身体すら私たちは預かりものとして考えなければいけないんじゃないかということを、今頃になって哲学者が言っている。
 しかし、教祖や私たち天理教の人間は常に、身体もそうですけれど、自分の家内や自分の亭主も借りもの、自分の子どもも借りもの、場合によっては自分の周りに出てくる人間、嫁舅も含めて隣の人も全部神様がお前にふさわしい人間だとして貸してくださったと考えたならば、例えば自分の周りに嫌な人、変な人が来た時には、「ああ自分もああいう心遣いをしているんだな」と。これは「みなせかいのむねのうちかがみのごとくうつるなり」とみかぐらうたにありましたね。あれはどういうことかと言いますと、自分の身の周り、自分が見ているのは自分の鏡だと。自分が映っているんだ、という意味なんです。だから嫌な人がいるというのは自分が嫌な人なんです。私の周りは良い人ばかりという時は、自分が良い人になっている。そういう風に考える。これは自分の周囲は全部「かしものかりもの」という意味。それを今、哲学者が人間の身体も借りものと考えるべきだ、地球の色々な資源も全部借りものと考えるべきだ、そうしないとこの地球が、人間が持たないということを言っている。

4.私たちの責任
 今頃世界でそのことに気が付いている人たちがいる一方、私たちはもっと早くからこの教えの一番最初、別席のお話を聞いた時からこの基本教理は「かしものかりもの」という風に聞いています。だとしたら、それをしっかりと私たちがおさめていないから、この地球がおかしくなっている。人間関係がおかしくなっていると思えたなら、それは神様の話を聞いた私たちがまず最初に実践してくれ、と神様がおっしゃっているんだ、ということがわかるわけです。私たちはそういうように身体を借りているんだから大切に使わせてもらう。そしてその身体というのは人のために使わせてもらう。人を喜ばせるために使わせてもらう。こういう思いになったら、陽気ぐらしになるとすでに神様は教えてくださっている。それを遅まきながら今、哲学者が言うとその本が売れる。私も買ってしまいました。それは神様の話を、哲学者がどんな風に言うのかなあと思って買ったわけですけれど、この神様の「かしものかりものの教え」を超えてはいません。
 私たちは、本当に真理として神様から身体を借りていることを知っているから、毎日夜寝る時はこの身体を一日貸していただいてありがとうございました、そして自分の身の周りの人たちもこんな良い人たちを貸してくれてありがとうございました、と感謝していけば、周りが悪くなるはずがないんです。こんな嫌な奴がきてどうのこうのと思っていると、その心が見事に向こうに映ります。それは当然向こうにとっても私は嫌な人になっている。それは陽気ぐらしにはならない。あの人は良い人だなあ、あの人の言っていることは楽しいなあ、あの人のそばに居たいなあ。お互いがそう思った時に陽気ぐらしの世界になるわけです。
 そんなことから、今、世界で声高に言われている、この世界や人間をなんとかしようということの解決策が「かりもの」という思想にあるのだ。これがしっかりと心におさまったなら、私たち人間は幸せになれるんだ、というこういうことを改めて外の人たちから教えられました。本当に、180年前から聞いている私たちは一体何をやっていたんだろうという思いがしております。そんなことからしっかり皆さん、自らの「かしものかりもの」という教え、この天理教の基本教理を、しっかりと改めて身に付けて暮らして幸せになっていただきたいと思います。

5.大人の役目
 先日をびや許しをいただきました方に女の子が産まれました。非常に安産だったということで、写真をみせてもらいました。そういう風に一人ひとりをびや許しをいただきながら健康に育って、だんだん大人になっていく。子どもが大人になれば、親である大人はだんだんその分だけ年取っていくんですけれど、年を取っても親である大人の役目はあります。それは子どもが親孝行をする対象になること。子どもに親孝行してもらうためには、親である大人に長生きしてもらうしかない。いいですか、親がいればこそ子どもは親孝行できる。
 ちょっと身近な話ですけれど、私は旅行に行くとうちの母親が何が好きだろうかと考えて必ずお土産を買ってきました。それを母親は喜んでくれる。その母親が出直してしまったら、持って行ったって喜んでくれる人がいないからしばらく買うのをやめました。今では家内や娘が買っていくと喜んでくれるのでまた買って行こうと思える。喜んでくれる人がいるから買ってきています。つまり、親が生きているだけでも子どもは親孝行ができるんです。ですからもう年だとかなんとか言わないで、しっかりと長生きをして子どもに親孝行してもらえる親になっていただきたいと思います。

 本日はどうもありがとうございました。

2024年08月03日