2023年(立教186年)4月教祖誕生祭神殿講話 ~真の心からの互いたすけ合い~

1.教祖御誕生祭
 今月4月18日は、祭文でも読ませていただきましたけれども、ご存命の教祖の225回目のお誕生日です。教祖は身を隠されたけれども「存命のままでいるのやで」とおっしゃられて、この4月18日に本部でもお祝いをさせていただきます。 当教会からも私と娘で行かせてもらいますけれど、この4月の誕生祭というのは本当に明るくて、月次祭が終わった後中庭に集まって天理小学校の子どもたちが教祖におめでとうのお祝いの言葉を述べて、それから皆さんで、教祖のお誕生日の歌を歌うという非常に明るい楽しい誕生祭です。
 この楽しい誕生祭というのは、教祖がお生まれになった日ですけれども、我々はその教祖から教えをいただきました。そしてその教祖に対してのこの御守護をいただいている、丈夫な身体をお貸ししていただく、あと何不自由なく暮らしていけるというこの御守護に対してお礼をさせていただきたい。それがひのきしんというものです。
 ひのきしんというのは何のためにするかというと、神様に対する御礼ですから、誰かを助けるのもひのきしんだけれども、その方に御礼を言ってもらうのが目的じゃない。自分が教祖に対する御礼をさせてもらう形がひのきしんですから、どんなことでも親切にさせていただく。「やってあげる」ではなくて「させていただく」という思いでお助けをしていただきたいと思います。

2.真の心からの互いたすけ合い
 そして、今月の29日は、3年ぶりに皆集まってのひのきしんデーが復活します。当教会でもいつもどおり水元公園でひのきしんをさせていただいて、その後楽しく飲んで食べていただいてということで、一日ゆっくりと、健康な身体をお貸しいただいている喜びと共にひのきしんをさせていただきます。
 ひのきしんは、今、私たちが健康な身体をお貸しいただいていることに対して、神様に御礼を申しあげる。その御礼の申しあげ方が、お互いがひのきしんをさせていただくこと、これが互い立て合い扶け合いという意味なんです。
おさしづに、こういうものがあります。

「互い/\の扶け合いの心、人を救けるから、誠の処分かる。」(明治二十年植田長三郎四十三才願(十市郡下村講元)
 
 互い互いが扶け合いの心で人を扶けるからこそ、誠だということが分かるんだ、と。そして、

「互い扶け合いやと、口で言うばかりなら、扶け合いとは言えようまい。真の心からの互い扶け合いは一度に受け取る。」(明治二十七年二月十四日(陰暦正月九日)夜刻限

 「互い扶け合いやと、口で言うばかりなら、」これは「扶け合いとは言えようまい。」こんなに扶けて偉いだろう、ということではいけない。「真の心からの互い扶け合いは一度に受け取る。」と神様がおっしゃっている。真の心から出たお互いの扶け合いは、神様が一度に受け取って全部御守護をやるぞとおっしゃってくれている。お互いが身近にいる人に対しての扶け合い、一所懸命に扶けさせてもらうだけで、こちらを扶けてくれという見返りを求めない。
 先程言ったように扶け合いは神様に対する御礼ですから、それで神様への御礼として扶けさせてもらう、そしてそちらの方も神様の御礼として扶けさせてもらう。これが互い扶け合い。これが真の心からの扶け合い。これをすれば神様は一度に受け取ってやると、全部まとめてお前たちの心を受け取ってやると。神様が受け取ってくれるということはまた大変な御守護をくださるということですね。

 ですから、この真の心を持った互い扶け合いということで、この一か月間お過ごしをいただきたいと思います。

2023年05月29日