2021年(立教184年)3月月次祭神殿講話 ~親孝行の新しい型~

 ただ今は三月の月次祭を陽気につとめさせていただきました。
 人数は少ないですけれども、しっかりとおつとめさせていただいて本当に喜ばせていただいております。

1.10年前の3月12日
 ちょうど10年前のこの3月のおつとめも、やはり大変な状況でした。まさか10年後の3月に、新型コロナウイルスによって自由に出歩けない、教会にも来られないというようなことが起きると思っておりませんでした。10年前の3月11日、東日本大震災が起きました。私は地震が起きた時には裁判所におりまして、法廷で尋問中に大変な揺れが来て、それで事務所に戻るのもやっと。事務所に戻ったら電車が動いていないということで、事務所の者全員を事務所に泊めることにして、そして翌朝電車が動き出して朝一番で帰ってきたことを思い出します。今回はそういう天災地変ではありませんが、新型コロナウイルスのせいで、大地震の時と同様、自由に出歩けません。こういうことが日常の有難さを知る良い機会ではないかなと思います。
 昨日からの新聞を見ますと、東北の大震災で亡くなられた方が2万人を超える、と。そしてまだ二千数百人の方が行方不明であるということで、遺族の方々の苦しみはいかばかりかと思いますが、そんな方たちが、異口同音にこうおっしゃっている。「震災当日、出掛ける時におばあちゃんに口もきかないで怒って家を出ちゃった」。いつもなら挨拶をして家を出るのに、その日に限ってなんだかムッとして、口もきかずに家を出たことが本当につらいということをおっしゃる。あるいは、「なんでもなく家にいられるということがこんなに有難いことなのか。何気ない日常が本当に宝物だ」というようなことをおっしゃる方もいます。これがまさに、私共が神様から教えてもらっている、日々を結構だ、有難いとして通るという、この生き方だろうと思います。そんなことで、こういう災難、地震だとかあるいは新型のウイルスといったものが出てきて、私共は通常の生活ができなくなって、人と自由に会うこともできなくなった。こういう時に初めて、何でもなく自由に会えて、自由に物を食べて、自由に出掛けられたという時の有難さが分かる。これも神様の思し召しだと思いますので、ぜひこういう機会に改めて日常の有難さということを思い出して欲しいと思います。

2.親孝行は古くさくない
 今日は、「親孝行」ということについてお話をしたいと思います。親孝行というのは、親の方から子供に対して言ってはいけない言葉だと思います。「親孝行しなさい」なんて子供に言うのはもっての外。しなさいと言わなきゃいけないような親は親孝行してもらえていない。自分の子供にしてもらえていないからそういう口が出るわけです。親孝行なんていうのは、親孝行する側が言う言葉であって、してもらう側が「親孝行してくれ」なんて言うのは問題外です。なぜ問題外かというと、親孝行してもらえる側に、親孝行してもらえるだけの徳が無い、ということを分かっていないからなんですね。神様は、全てこの世は合わせ鏡だと教えられます。つまり、親孝行してもらえないのは、自分が親孝行してこなかったから。最近では、子に対してする「子孝行」という言葉もきくようになりました。それは別に子供を甘やかすということではなくて、子供を尊重し、子供であっても一人の人間として感謝すべきところは感謝する。これが子孝行という言葉の意味のようです。そんなことで、子供に対しても、あるいは自分の親に対してもやってこなかった人に限ってですね、親孝行という言葉を使いたがる。だから今これを聞いてくださっている方からすると、自分が子供に対して言う言葉ではなく、果たして自分は親に孝行しているだろうか?という風に考えた方がいいと思います。「孝行をしたいときに親はなし」ということわざもあります。親が亡くなったからといって、親孝行できないわけではありません。心の中で親に対して深く感謝をする。今自分がここにいるのは親ありてこそ。親ありてこその自分だということを考えて、今自分が存在できていること、また自分が一人前にご飯を食べて、誰の世話にもならずに生きてこられたこの生活、あるいはその身体、そういうことを考えますと、今、親が皆出直していなくなっているとしても、親に対する思いというのはぜひ残していただきたいと思います。

3.親に話しかける
 親孝行ということに関しては面白い話が一つあります。私が大学で学生を教えている時に、この親孝行の話をしました。「君たち親孝行をしているか?こんな大学に来られて勉強だけしていれば良いなんていう生活をしているのは、世界中でも本当に一握りの人だ。それをやらせてもらっている親に対してちゃんと孝行をしているか?」という話をしたら、学生たちは皆きょとんとしていました。私は良い大学へ入って親が喜んだ、これで親孝行だ、なんて言うのもいました。そこであらためて、「君たちの思う親孝行ってどういうもの?」と聞いてみたら、親に心配させないことだとか、親を喜ばせるとか、出世して親に喜んでもらうとか、いろんな答えがありました。もちろんそれらも一つの親孝行の形ではあろうけれども、私がその学生たちに伝えたのは、「親孝行というのは親に話しかけることだ」ということです。どういうことかといいますと、嬉しいことも辛いことも当たり前なことも、なんでも常に親に対して声をかける。良いときは話しかけるが、悪いときは「親に心配をかけるから」といって声をかけないというのは、親不孝になるんです。親にとってみれば、子供が苦しんでいればなんとかして手助けをしてやりたい。悪いときにこそ素直に子供が話しかけてくれたならば、いくらでも親として手助けができる。親の側からすれば、それも本当に嬉しいことです。だから親孝行というのは難しいことは何も無いよ。親に話しかけるだけんだから、と伝えました。そうしましたら、数日経って、ある学生が私のそばに来まして、「先生、あの日帰ってから親と2時間も話しちゃいました」「親がすごい喜んでいました」と言っていました。それはもちろん親は喜んだでしょうけれども、子である自分も2時間も親と話をすることができたということできっと嬉しかったんだと思います。それがまた人間の関係のつながりにもなってきます。ぜひ皆さん、親のいない方でも心の中で親に話しかける。そして現に親がいる方は実際に親に話しかける。そんな風にして親孝行することを考えてもらいたいと思います。
 そしてもう一つ、これもつい最近聞いた話ですが、ある商売屋さんに子供がいて、上の子は成績が非常に優秀だったので、親の商売を継がないで他の仕事についてしまった。ところが下の子はあまり成績が良くなかったので親の商売を継いでくれた。外から見れば、お兄ちゃんは優秀で良い学校へ行って良い仕事についた。弟は頭が良くないから家業を継いだ、という風に思うでしょう。けれど、親の目から見たらどうでしょうか。成績の良い長男を嬉しいとは思うけれども、親の家業を、つまり親の思いを継いでくれた次男というのもやはりこれは大変な親孝行だと思うんですね。つまり、学校の成績が良いからだとか、社会で出世するとかいうことではなくて、成績や出世などと関係なく親の思いを受け止める。親の思いをちゃんと聞いてあげる。また、親に自分の思いを伝えていく。こういう関係が親孝行なんだと考えると、やはり親孝行は難しいことではないと思います。私も親の立場になって分かりましたが、子供が何の心配もかけないから、「知らせの無いのは良い知らせ」、英語では「No news is good news.」なんてことを言いますけれど、決してそんなことありません。悪いニュースでも、悪い知らせでも常に親に伝えてほしい。普段は何も言わない子供が急に何か言って来るというのは、親はもっと心配します。朝昼晩、常に親と連絡を取っていた人間がちょっと辛いことがあったらちょっと話をする。そういうことが親孝行、それでも親孝行なんだと。決して親に心配かけるから親不孝だなんて思わない。親の立場からはそういうものです。ぜひそういうことで改めて親孝行ということについて考えていただきたいと思います。

4.日帝分教会の親は中根大教会
 そこで、今度は日帝分教会として考えさせてもらいますと、日帝分教会の親というのは中根大教会です。ちょっとこれを映してもらえますか(大教会長就任奉告祭の垂れ幕を映す)。中根大教会の新会長が決まりました。5月16日に就任奉告祭が行われます。これは日帝分教会からすると、日帝分教会の親が改まるということなんですね。日帝分教会は中根大教会の直轄です。日帝分教会の初代会長以来、前会長も含め親である中根大教会に尽くし続けてこられました。その親の徳のお蔭で、私は今は中根大教会の役員という立場を与えてもらっています。そんなことから、5月16日までになんとか日帝分教会としても精一杯のお祝いを親に届けたいと思っていますので、どうかその点についてお心寄せをいただきたいと思います。
 3月になれば、コロナも一段落すると思っていましたけれども、全然一段落する感じがありません。場合によっては緊急事態宣言の再々延長か、なんていう話も出ています。でも、実は私ども教会の周りではどなたもコロナにかかった方がいない。皆さんの普段からの心がけもあるでしょうけれど、でもだから良かったということではなくて、結構な状況であるからこそ、我々の一番の親である親神様に心を寄せていくことが肝要です。今この瞬間に、新型コロナで苦しんでいる方々の辛い思いを理解するように努め、同時にこういうウイルスを我々人間に与えられた神様の思いを改めて考えていく。そして、神様から借りたこの我々の身体を、大切にきれいに使わせていただく。うがいをし、しっかりと手を洗い、お風呂に入り、マスクをし、ということで身体を大切に使わせてもらう。そういうことは神様に対する御礼でもありますし、神様に心を寄せていくということでもあろうかと思います。つまり親孝行です。
 親孝行という言葉を、何か面倒な封建的なニュアンスで捉えられている方もおられるかもしれません。しかし、今ある自分は親のお陰で存在しているのだということを思えば、親に対する有難さが自然と湧いてくるのではないでしょうか。今まで親に対する思いが少なかった方、ぜひこの機会に親孝行し直してみてください。親が出直されているのであれば、もしかすると、既に生まれ変わっているかもしれません。そうであっても、自分が育ててもらった時の親に対する感謝の思いをしっかりと持って、今後の自分の人生につないでいけるよう、この一か月頑張っていただきたいと思います。


 4月は教祖誕生祭ですので、ぜひとも通常の形で月次祭をつとめさせてもらいたいと思っています。直会用に、感染防止用のアクリル板も準備いたしました。このように、教会といたしましても、感染対策には万全を期してまいります。
来月は何とか皆さんと一緒に誕生祭をつとめさせていただけるよう、お互い祈りながら、心を作りながら、この一ヵ月お過ごしいただきたいと思います。今月はどうもありがとうございました。

2021年04月04日