2023年(立教186年)1月春季大祭神殿講話 ~明治20年陰暦正月26日のこと~

 令和5年、立教185年の春が明けました。皆様明けましておめでとうございます。昨年中は本当に日帝分教会の上にご尽力いただきまして、御礼を申しあげます。

1.三年千日のはじまり
 今年はいよいよ教祖140年祭までの三年千日が始まりました。三年千日というのは、諭達第四号にもありましたけれども、教祖が50年のひな形を通られた、そのひな形を通らねば教祖がひな形を通った意味がない、それが

 ひながたの道を通らねばひながた要らん。

というおさしづなんです。しかしその50年を歩けと言うのではない。3年だけでも歩け、ということで、その3年の三年千日を年祭のために頑張ろうと、諭達に、「この教祖の親心にお応えすべく、よふぼく一人ひとりが教祖の道具衆としての自覚を高め、仕切って成人の歩みを進めることが、教祖年祭を勤める意義である。」と書いてあります。
 成人の歩みを進めるということは、人間一人ひとりの心が大人になってくる。今までは誰かにやってもらおう、誰かに助けてもらおう、誰かに守ってもらおう、というこれは実は子供の心。これを親の心として誰かを助けさせてもらおう、誰かを守らせてもらおう、誰かを育てさせてもらおう、この思いが大人の心です。そういう思いになってくれというのが、改めて三年千日を通る意味なんだということを教えていただいています。

2.明治20年陰暦正月26日のこと
 そして改めて、この1月というのは、明治20年陰暦正月26日に教祖が御身を隠されました。その御身を隠された時の正月26日のやりとり、皆さんもうご承知でしょうけれども改めて教祖伝を読ませていただきたいと思います。
 陰暦の正月、教祖はお風呂を上がられてよろめかれたりしました。その時にお身体が弱ったかと思ったら、「これは、世界の動くしるしや。」とおっしゃられた。それから24日、25日とずっと床に臥せておられたんですが、別に病気で臥せていたわけではない、そのつど教祖から色々お言葉をいただきました。そしてその陰暦26日のその朝に、教祖がつとめをせい、つとめをせい、おつとめをしろとおっしゃっているんだけれども、皆がもしこんなところへ警察に入って来られたら、人間の目から見たらこの病んでいる教祖が大変なことになるということで、皆おつとめができなかった。
 その時に最後の最後に、人がどんどん集まってくる。教祖伝では、「近郷近在からは多数の参拝人が詰めかけて居る。しかも、官憲の目は厳しく、一つ間違えば、お身上中の教祖をも拘引しかねない剣幕である。人々はこの板挟みの中に立って、思案に暮れた。そこで、思召を伺うと、」教祖の言葉ですが、

 さあ/\いかなるも、よう聞き分けよ/\/\。さあ/\いかなるもどうも、さあ今一時、前々より毎夜々々々々伝える処、今一つのこの事情早うから、今からと言うたなあ。さあ、今という処諭してある。今から今掛かるという事を、前々に諭してある処、さあ今の今、早くの処急ぐ。さあという処、応分という処あろう。待つという処あろう。さあ/\一つの処、律が、律が怖わいか、神が怖わいか、律が怖わいか。この先どうでもこうでも成る事なら、仕方があるまい。前々より知らしてある。今という刻限、今の諭しじゃない。どういう処の道じゃな、尋ぬる道じゃない。これ一つで分かろう

という風におっしゃられた。
 意味は、「これは前々から繰り返し繰り返し諭したとおりである。もっと早くから言っている。さあ今と言うたら今、すぐにかかれ。さあ早く急いで取り掛かれ、手続きをするからそれまで待ってくれ、というような悠長なことを言っている場合ではない。いったいお前たちは法律が怖いのか、親の話が尊いのか、どちらに重きを置いて信心しているのか。この点をよく考えなければいけない。親神の思いがどこにあるかということは、前々から十分諭してある。説いてある。今の時刻、今の刻限はもう尋ねている時ではない。これだけ言うたら分かるであろう。」というお言葉です。
 つまり、おつとめをしろ、おつとめをしろと言っているのは、もう今の今やれ、と。これを聞いていよいよ一同心を定めてかかるんですけれども、その時に、初代真柱の真之亮さんから、「おつとめの時、若し警察よりいかなる干渉あっても、命捨てゝもという心の者のみ、おつとめせよ。と、言い渡した。」。今日のようなおつとめをしている時に警察が来るかもしれない。そうなれば警察に捕まるかもしれない。そういうことも考えて「命捨てゝもという心の者のみ、おつとめせよ。と、言い渡した。」そして「一同意を決し、下着を重ね足袋を重ねて、」つまり下着を何枚も重ねて、警察の監獄に連れていかれてしまいますから、下着を何枚も重ねて足袋も何枚も重ねて、「拘引を覚悟の上、午後一時頃から鳴物も入れて堂堂とつとめに取り掛った。」

3.扉開いて
 そして皆さんがおつとめにかかって最後の時に、「陽気な鳴物の音を満足気に聞いて居られた教祖は、丁度、「だいくのにんもそろひきた」という十二下りの最後のお歌の了る頃、一寸変ったそぶりをなさったので、お側に居たひさが、お水ですか。と、伺うた処、微かに、「ウ-ン」と、仰せられた。そこで水を差上げた処、三口召し上った。つゞいて、おばあ様。と、お呼び申したが、もう何ともお返事がない。北枕で西向のまゝ、片手をひさの胸にあて、片手を自分の胸にのせ、スヤ/\と眠って居られるような様子であった。」と、ここで身を隠されたんです。そして人間の目から見ると死んでしまった。教祖は115歳まで生きるとおっしゃたのに、いったいどうしたことかということで、皆あわてました。「教祖は、午後二時頃つとめの了ると共に、眠るが如く現身をおかくしになった。時に、御年九十歳。」人々は大変な思いで、大地が裂けて、日月、太陽や月の光が消えて、「この世が真っ暗になったように感じた。」皆さんそうでしょうね。そこで本席の飯降伊蔵先生に教祖にお伺いを立てました。
 そうすると、教祖からこういうおさしづをいただきました。

 さあ/\ろっくの地にする。皆々揃うたか/\。よう聞き分け。これまでに言うた事、実の箱へ入れて置いたが、神が扉開いて出たから、子供可愛い故、をやの命を二十五年先の命を縮めて、今からたすけするのやで。しっかり見て居よ。今までとこれから先としっかり見て居よ。扉開いてろっくの地にしようか、扉閉めてろっくの地に。扉開いて、ろっくの地にしてくれ、と、言うたやないか。思うようにしてやった。さあ、これまで子供にやりたいものもあった。なれども、ようやらなんだ。又々これから先だん/\に理が渡そう。

と言って教祖は扉を開いて今までとこれからも変わらないぞ、と。お前たちを助けるために、お前たちにさづけをやるために身を隠したんだというお話があって、さらにその後、「さあ/\これまで住んで居る。何処へも行てはせんで、何処へも行てはせんで、日々の道を見て思やんしてくれねばならん。」という、どこにも行かないぞ、ここにいるぞという、これからお前たちの日々動いていく所にちゃんと守護をするから、日々見ていよ、ということをお話になって、皆さん、さあ身を隠された教祖ご存命で頑張ってくださるんだということが初めて分かったんです。

4.助かる旬、季節
 つまり教祖のこの正月の26日、春の大祭というのは、教祖が身を隠された、人間としては非常に悲しい感じの日ですが、そうではなくて、身体が在ったならば皆が教祖を心配してちゃんとおつとめができないだろうということで、身を隠すけれども、この存命でいる。今までとこれからとまったく変わらない、しっかり見ていよという、こういうお話をくださいました。
 そしてその140年目の年祭がいよいよ3年後に来ます。教祖は人間の世界を幸福にするために50年もご苦労くだされてひな形を通られた。その内の教祖の通られたたった3年間、その3年というのは人助け、人を助けるという心を持ち続けて、3年間働いてくれよと。そういう意味で今までも皆助けていたんだろうけれど、親の年祭の来るこの三年千日の間、特に心引き締めて人助けに心を遣ってくれということを言われています。
 つまりこの3年間しっかりとやらせてもらうことによって、どんなことでも守護をしてやる、という風に教祖はおっしゃっているので、これが助かる旬といつも申しあげています。助かる季節なんだということをしっかりと理解をしましてですね、このいよいよ三年千日が始まったというこの春の大祭、皆さんしっかりとつとめていただきました。これを教会から3年間しっかりとつとめて、3年後のこの春の大祭の時には、お陰でこんなに御守護をいただけました、と親神様、教祖に言えるような御守護をいただけるという、仕切って、3年という期限を仕切って御守護いただける時期でございますので、今までも皆さんしっかりやってこられたと思うけれども、改めてこの三年千日、心を尽くして神様から御褒美をいただけるような3年間にしたいと思います。お互い頑張っていきたいと思います。どんなことでも助かります。しっかりと3年間つとめさせてもらいましょう。

 今月はどうもありがとうございました。

2023年02月11日