2021年(立教184年)7月中元祭神殿講話 ~神様の試しと御守護~

 ただ今は七月中元祭を無事つとめさせていただきました。ありがとうございました。しばらくの間お付き合いをお願いいたします。

1.教会の屋根の修理から
 実は、教会がちょっと屋根の修理とか部屋の改装をしました。そのことで神様の御守護というのはこういうことか、と実感をしたことについてお話させてもらおうと思います。
 皆さんはあまりご存知なかったと思いますが、以前の地震で二階の大屋根の瓦がずれていたらしくて、二階の部屋が雨漏りをしていました。そこは以前子供部屋として使っておりましたが、今は住んではおりませんし、荷物だけちょっと避難をして放っておいたんです。普通の雨では雨漏りしないものですから放っておいた。
 ところが、二階のみならず、御霊様の脇の神具入れの所が、以前大雨の時に大変に雨漏りしました。さらに最近、御霊様の屋根まで雨漏りがし出したので、これはもう神様のことですから放っておくわけにいかないということで瓦屋さんを探したんですけれど、日本瓦をやってくれるという方がなかなかおりません。そうして困り果てて一か月以上経ったある日、たまたま中根大教会での月次祭の時に、言ってもしょうがないだろうなぁとは思いつつ、千葉県の勝浦という所にある会長さんに「実はこういう訳で非常に困っていて、瓦屋さんに知り合いいませんかね?」と聞いてみました。実際その会長さんにお知り合いがいるとは思っていなかったのですが、とりあえず話をしたところ、その教会の部内教会が東京にあって、つい最近屋根瓦を直した、ということがあったとのことでした。そこで私は「ご紹介いただけませんか?」という話だけはして、それからもうすっかり忘れておりました。
 しばらく経ってから、突然屋根屋だという方からうちの教会に電話がかかってきまして、「誰々さんから紹介されたので近いうちに見に行きます」ということで、それから数日後に見に来られました。そうしたところ、雨どいもおかしいし、雨どいと一緒に瓦を直しましょう、ということで見積もりをお願いしていたんです。
 そうしましたらその日の夜、ちょうど私が教会にいる時に電話がかかってきました。「もしもしMです!先生!」と元気な電話がかかってきた。私は十数年前にその方の事件の弁護士として仕事をしたことがありますので、また何か事件でもあったのかなと思って電話を取り「しばらくです」と話をしました。すると「先生、今日、屋根の修理で話を聞いたんだけど」と言うから「いや今日来たのは若い方だけど?」と返したら、「あれは私の息子だ」と言うんですね。「そうですか、それは奇遇で助かります。ぜひよろしくお願いします」と言いましたが、今、建築関係の業者は大変に忙しいらしく、ちょっとした修理など構っていられないようです。
 そうしてしばらく経ってから、そのMさん御本人が教会に来られまして、屋根と瓦と雨どいを全部直してくれるというのでお願いをしましたところ、数日後にはこの教会の周り全部、足場を二階の屋根まで組んで、全部ネットを張ってかなり大変な様になりました。教会の中は暗くなりますし、ご近所の方からは「お宅建て直すの?」なんて言われるほど大掛かりにやってもらうことになりました。「Mさんは板金屋さんと聞いていたので屋根の修理などやってもらえないと思っていた。」という話をしたら、「うちはこれが本職だ」ということでした。

2.天理教信者の屋根屋さん
 そんなこんなで、数日経ったある日、小学校時代の友人から私のところに急に電話がかかってきました。元々、そのMさんという方を、弁護士としての私に紹介してくれたのその友人で、彼からは本当に何年振りかで電話がかかってきました。そしてこう言うんですね。
 「おい羽成、お前の家、屋根直すって今日聞いたんだけど?」
 「そう。直すけど、なんでお前知ってるの?」
 「いやさ、あれ(Mさん)は俺の女房の兄貴だ」
 「そうなんだ!なんで今日わかった?」
 「今日ね、天理教の教会の月次祭へ行ってその話を聞いたんだよ」
と言うんです。最初は彼が何を言っているのかよくわからなかったのですが、よくよく聞いてみると、彼の奥さんが教会の娘さんで、その弟さんがMさんだったんですね。それで「教会は誰がやってるの?」と言ったら「Mの実兄だ」ということで、以前弁護士として仕事をさせてもらったMさんは、まさに教会の息子さんだったんですね。私、全然知らなかったんです。そもそも小学校時代の友人の奥さんが天理教ということも私は知らなかった。向こうは私が天理教の会長であるということを知っていたらしいですけれども。いずれにしても、今回の件は、神様が先回りして手配してくれたように感じます。元々の話は、千葉県の勝浦にある教会に話を聞いてみたところから、その人からひょいひょいと来て、Mさんにつながった。Mさんの会社は、この教会から近い市川にあります。これは本当に神様の御守護だなあと。自分の家を直そうというよりも、神様、御霊様が雨漏りしてはこれは申し訳ないから、ということで四苦八苦していたら、そういう風に全部神様が手回し良くやってくださいました。
 そしてMさんには、もうあらゆることをしていただきました。雨漏りしているぐらいですから、畳もおかしくなっていて、「二階の畳を全部捨てて、もうこれフローリングにしてくれない?住む予定ないから」とお願いしました。ただ、フローリングにしようとしても周りはふすまで、雨漏りの雨が当たって半分腐りかけていたので、これも全部直そうということになりました。皆さん是非教会お出でいただいたら見ていただきたいんですが、本当に新築のような綺麗な洋間に様変わりしてしまいました。「うちはこういうのも全部出来るんだ」とMさんが全部やってくださいました。

3.修理後の雨漏り
 ところが、ちょうど足場を組んで瓦の修理が全部終わって部屋を直している時に、大雨が降ったんです。そうしましたら、今度は直したところと違う所から雨漏りをしてきた。普通であれば、「直してもらったはずなのになんで雨漏りするんだ」と文句を言いたくなるところでしょうけれど、私は本当にとっさにとっても喜べました。というのは、まだ足場が組んだままになってますから、Mさんに電話したところ、すぐに飛んできて足場を使ってすぐに直してくれた。違うところから雨漏りした理由についても、これはこういう訳でこうなったんだ、ということをきちんと説明してくれて、新たな雨漏り部分もちゃんと直してくれました。 あれがもしも、足場を全部片付けてしまってから大雨で雨漏りしたら、そんな簡単には直せないわけです。そういうことで、実は子供の部屋として使っている中での雨漏りはほったらかしだったんですけど、神様に関わってくるならそういう訳にはいかんということであらためてお願いをしたところ、いろいろすっきり解決したわけです。
 まずは神様を中心に立てて動き出すと、そういう風に神様が全部取り計らってくれる。千葉の勝浦の人に頼んだのが、その市川の屋根屋さんにつながって、その屋根屋さんは昔私が事件を手伝ったことがある人。しかもその人を紹介してくれたのは小学校の友人でその人の奥さんは天理教の娘さん。そして結果的に教会の次男坊さんがやっている屋根屋さん、月次祭に毎月出られているような屋根屋さんがこの教会をやってくれた。だから家に上がるときもごく当たり前に「神様の天井」とかおっしゃる。「神様の所どうしましょう」と言って、本当に献身的に天井も全部張り替えてくれました。
 途中、直したところと別のところで雨漏りするというアクシデントもありましたが、それも足場を解体する前にわざわざ神様が大雨降らせてくださって、結果すぐにそこも綺麗に直った。

4.神様の試(ため)し
 皆さんが信仰の道についたというのは、何かの御守護をいただいているからだと思います。神様は、御守護を下さる際に “試し”をされます。つい神様に不足を言ってしまうような辛いことを与え、それをしっかりと受けとめて喜んで通るように努力する。これを神の試しといいます。神様がちゃんとこういう風に試してそれを喜んで通ったときにすばらしい御守護を下さる。また私どもは先輩から、「この道は証拠信心だからね」と聞かされています。神様は、信心した証拠をきちっと目の前に出してくれるんだということを教えてもらっています。御守護は日々生きている中でありとあらゆるところでいただいているわけですけれども、こういった雨漏りの話というたった一つの出来事を通してみても、全てを神様が取り計らってくれる、やはり証拠信心ということはあるんだな、と思いました。
 こういうおふでさきがあります。
 「このためしすみやかみゑた事ならばいかなはなしもみなまことやで (3-23)」
 この試し、この御守護、今回の雨漏りのことで言えば、この御守護が速やかに見えた、「全部神様がやってくださったんだなあ」と速やか見えたことなら、いかなる話もみなまことやで、と。他の話も全部本当だぞ、ということを神様は教えてくれる。今日ご参拝くださった信者さんには、最近初めてのお孫さんができて、本当にかわいいし、日々どんどんどんどん成長している様を見ることができる。赤ちゃんが元気で健やかで何事ない。これは大変な御守護なんです。そもそも、そういうかわいい孫を授かること自体大変な御守護であり、神様のお陰だ、と思うようになると、他で起きてくるすべての話も「みなまことやで」と信じることができる。
 どんなことも神様の御守護。こんなに素晴らしい毎日を過ごさせてもらっている。神様のお陰でこんなに素晴らしい結果が出来てきてありがたい、という風に信仰していましたら、必ず神様は教えてくださる、見せてくださるということなんです。
 皆さんもこれまでの人生の中、色々な体験をされてきていることでしょうからお分かりかと思いますが、神様の試しというのは、我々人間にとって、時には厳しいこともあります。厳しいことがあっても、それをきちっと受け止めて乗り越えることができると、さらに素晴らしい御守護をいただける。
私などは、自身のこと、家族のこと、本当に全てのことで御守護いただいておりますけれども、たまたま雨漏り一つのことでも神様は全部先回りして働いてくださるんだということを改めて教えていただきました。本当に感激をしているところで、一つの節からこんなに喜べるんだな、ということを思わせてもらいました。その思いをまた、皆さんや他の方にも感じていただけるように、私たちの仕事は神様のお話を誰でも良いから伝えていくこと。そのためには、今いただいている御守護をしっかり見つめて感謝をするんだという思いをもって、今後また生活していきたいと思います。

5.喜んだ方が得
 たしか前回も12日からだったと思いますけれど、この7月12日からまた緊急事態宣言が発せられました。みかぐらうたには
 「やまひのもとハしれなんだ 十ド このたびあらはれた やまひのもとハこゝろから」
とあります。新型コロナも「やまひ」です。新型コロナを受けるというのは「やまひ」。その病のもとは心からだ、心遣いによって神様が御守護をくれる。これは人間の心遣いが悪い時に教えてくださるという意味もありますけれど、そういうことをいただいたことによって今度は「まだ人助けが足らないぞ」という風に神様が教えてくださっているのではないかと考えることもできます。
 どんな病でも、どんな嬉しいことでも、どんな嫌なことでも、全部神様が試しを私たちにしてくださっているんだ、と受け止め、どんなことでも喜びましょう。雨漏り修繕が全部終わったと言われた後の雨漏りを見たら、普通は不足をします。けれども、私はその時本当に喜べた。まだ足場のある時に漏ってくれて本当に良かったなあと感謝ができた。どんなことでもちょっと心ひとつで喜びに変えることができます。同じ暮らすのなら喜んだ方が得。ありがたいのをありがたいと思わず、嫌なことばかり考える人と、ありがたいことは人一倍喜ぶ、嫌なことも喜ぶ。私たちが信仰をしている意味は後者にあると思います。

 今月は教会の体験からお話をさせてもらいましたが、神様はこんなに先回りをしてとんでもない御守護をくださるということを改めて私自身にも教えていただいたということを皆さんにお話を申しあげて、この一か月、また神様の御守護をいっぱいいただけるようにおつとめいただきたいと思います。

 暑い盛りですけれど、どうか身体には気を付けて、喜んで毎日を過していただきたいと思います。
 今月はどうもありがとうございました。

2021年08月30日