2020年(立教183年)4月月次祭神殿講話 ~ふしから芽が出る~

 ただいまは、教会在勤者のみでありましたけれども、賑やかにおつとめをいただきましてありがとうございました。
 本日おいでになれなかった方達がそこにいらっしゃるという想いでお話をさせていただきます。

1.はじめに
 残念ながら、今月も月次祭は人が集まってはならない、ということで、それぞれの家からのご参拝ということで、教会でのご参拝ということはご遠慮願いました。
 実は14日の大教会月次祭も同じことで、3月の月次祭は役員のみでつとめるということで私は行かせてもらいましたが、4月は大教会の住み込みの人達だけでやるということで、役員も来ないでよいということになりました。
 そして、おぢばの方でも、楽しみにしておりました4月18日の教祖誕生祭終了後の喜びの広場という誕生祭祝歌を歌うところも中止になりました。また、その後19日に予定されていた婦人会の総会も中止、26日の月次祭も中止ということになりまして、本当に世の中すべて人が集まることが中止ということになっております。こういう中、神様が何をおっしゃっておられるのか悟らせてもらいたいと思います。

2.この大きな節(ふし)について
 これは以前お話をしましたけれども、今回の新型コロナウイルスの件は、天理教信者だけの節ではなく、全世界の人々の節である。全人類に対する神様からの思し召しであるということであると思います。
 先だって、教会信者の皆様には手紙を出させていただきました。このコロナの自粛と言いますか、外出をしてはいけないという事情に対する神様の思し召しはどこにあるのかということで、一つのおふでさきをお示しさせていただきました。12号の90番です。

なさけないどのよに思案したとても
人をたすける心ないので

 神様は人を助ける心がないから情けないとまでおっしゃる。ただし、心をしっかり入れ替えればどんなたすけもする。そして最後に、このたすけというのは、

このたすけどふゆう事にをもうかな
ほふそせんよにたしかうけやう(12号95)

 「ほうそ」とは「疱瘡」であり、天然痘のことですけれども、当時世界中で何千万人という方がなくなった。20世紀だけで3億人亡くなったといわれています。それを神様の思し召しとして、人を助ける心がないから情けない。その心を作ってたすけあいをすれば、疱瘡にならないように守ってやろうと。まさに、今で言うとしっかりと人を助ける心を持てば、新型コロナに負けないたすけをしてやろうと、こういうことであろうかと思います。

3.節(ふし)から芽が出る
 そんな中、先日非常に面白いメールをいただきました。私が人を助ける心を持ちましょうという内容の手紙を信者の皆さんに送らせてもらったことに対して、こういうことをおっしゃる方もいますと。
 「コロナ」というのをカタカナで書くと、「コ」と「ロ」を上下に並べ、そのうえで「コ」の間に「ナ」を入れると「君」という字になる。「コロナ」というのは「君」、つまり自分以外の人に思いを致す、自分以外の誰かをたすけるようにと、そういうことなのではないか。会長さんと同じようなことをメールで言われましたと、こういうことなんですね。
 なるほど、こんなに新型コロナが大変だ大変だと言っている中で、あらためて「コロナ」という文字をカタカナで組み合わせてみると、「君」という字になる。こういう時だからこそ、自分ではなく「君」に思いを致すべきという話ではないか。これは、一つの節を中から何を考えればいいのだろうか、何をさせていただければいいのだろうか、ということを一生懸命考えているからこそ出てくるものであろうかと思います。
 節から芽が出る、と神様はおっしゃってくださっているわけですけれども、この節にも決して心を倒さず、どうやったら芽が出るのか。新型コロナはまさに節そのものでありますけれども、その節から何ができるかということを一生懸命考えることで、きっと神様は新型コロナを治めて下さるだろうと思えます。
 このことは、日本であろうと世界であろうと関係ありません。今は欧米で大惨事になっているわけですが、これが開発途上国にまで及んでくると、例えばアフリカでの大流行を考えてみれば、アフリカ諸国の医療体制からすると欧米以上に悲惨なことが起きてくるかもしれません。しかしそういう中でも、我々と同じ日本人の医師がアフリカでの医療に従事し、その地での新型コロナ感染と戦ってくれている。そういう話を聞くと、同じ日本人としても本当に頼もしく思います。そこにもし、我々が信仰しているお道の人間が、この節のなか、あらゆるところでおたすけをさせてもらうことを考え、実行に移すことができるのであれば、本当にお互いが頼もしいことになるのではないかなという風に思います。

4.人間が1つの心になる
 今回の新型コロナの件は、史上例を見ない話であり、建立から1,400年以上の歴史を誇る四天王寺が閉めざるをえなくなったとか、他にも何百年ぶりにどうしたこうしたと、人間の一生では普通立ち会うことのできない様々なことが起きております。今まで人類が体験したことのない時代が今、我々の目の前で起きているのです。
 少し話がずれますが、人類が体験したことのないといえば、私が子供の頃初めてテレビを見た時のことを思い出しました。広場に一台街頭テレビというものが設置され、それは夕方にならないと始まらないのですが、始まる時間になると皆が広場に集まって一台のテレビに釘付けになる。それでも十分興奮したわけですが、それから何年か経ったならば、今度は自分の家にテレビを買う家が出てきた。そうなったらテレビを買ったその家に見せにもらいに行ったわけですが、その後は自分の家でも白黒テレビが入り、自分の家でテレビを見られる時代がきた。そして気付いてみればそこからわずか数年後にはカラーテレビになっている。そうこうしているうちに、今度は電話線のない電話が出てくる。これは弁護士の仕事に使えて便利だ、ということで私が最初に携帯電話を買ったのが1980年代。その頃の携帯はティッシュペーパーの箱ぐらいの大きさでした。それでも信じられないくらい便利だったわけですが、それがみなさん、今や手のひらよりも小さいサイズになっている。ボタンすらなくなり、画面をタッチするだけでメールは打てるわ、動画は見れるわ、テレビ会議はできるわ、できないことがないくらいのものになっている。そしていつでもどこでも世界中の誰とでも簡単につながることができる。テレビから携帯電話だけの話でも、このわずか数十年の間に、先人には到底想像の及ばない体験をしてきたわけであります。
 それを喜んで使うばっかりで、感謝をしてこないままに来たら、遂に今まで見たこともないウイルスを神様にお見せいただいた。このウイルスによって、人間が一つ心になりなさい、世界バラバラになって一人ひとりが我が身勝手で動いているようなことを神様がお互いが助け合い、お互いが言葉を掛け合うという、そういうことを節として見せてくださっているんだろうと思います。

5.心をつなぐ
 そんなことで、私が今大事に思うことは、「直接会ってはいけません」、それをひっくり返すと、会わないけれども心をつなぎ合わせる。今までは会おうとすれば電車だの車を使えばすぐに会えた。それが会いたくても会えなくなった。そんな中でできるのは、心をつなぐということだと思います。離れている人に対して心をつなぐ。それはいつも申し上げていることですけれども、誰かのために祈るということも誰かに対して心をつないだことになると思います。神様に心を伝えることになるのだと思います。この機会に、姿が見えない顔が見えない、しかし誰々さんのために祈って心をつなぐ、ということを考えたいと思います。
 私も色々と人間関係が広いんですけれども、幸いにと言いましょうか、私の周りには新型コロナにかかった人は今のところ一人もおりません。そういう人を一人でも増やしていくことが、感染者を減らすことになる。一人がかかると夫婦、子供、兄弟、家族みんなに感染します。そんなことのないように、一人ひとりしっかりと感染予防に努めること。私の周りにはたまたまそういう方がいないだけなのかもしれないのですが、感染してしまった方に対しても、しっかりと心をつないでいくこと。こちらが感染しないために物理的な距離は置くせよ、心まで離して通ることのないように。そういう心のつなぎ方をして行っていただきたいと思います。

6.ぢばに心を寄せる
 今、おぢばから打ち出されていることは、ぢばに心をつなごう。そして信者さん同士心をつなごうということです。これは易しいようだけれども実は非常に難しい。今回のことがあって思うのは、今までは私も惰性でおぢばがえりをしていたところがあったのですが、急におぢばがえりをしてはならない、月次祭の参拝は神苑に入ってはならない、となると、本当に恋しいなあ、帰りたいなあという思いでいっぱいになります。

「ぢば一つに心を寄せよ。ぢば一つに心を寄せれば、四方へ根が張る。四方へ根が張れば一方流れても三方残る。二方流れても二方残る。太い芽が出るで。」(教祖伝逸話篇187「ぢば一つに」)

 このように、ぢばに心を寄せれば、大変な中からでも太い芽が出ると神様がおっしゃる。せめて、皆さんも教会や信者さん同士、また家族、知り合いに心をつなぐ。そして、その中心にはいつもおぢばがある、という心でまたこの一か月をお過ごしいただきたいと思います。

7.祈る
 非常事態宣言は5月6日までということですので、うまくいけば来月の12日は皆さんにお会いできるかもしれません。そうなるためにも、今はしっかり我慢しなければいけない。この節の中をしっかりと通らせていただいて、一人ひとりが神様の思し召しを理解しながら、この一か月お過ごしいただきたいと思います。そして、新型コロナにかかってしまった人々には、一日も早く助かってもらえるように祈る。さらには、自分たちより恵まれない国、境遇にある人々が、どうかこの病にかからないように祈る。これをこの一か月間果たしていただきたいと思います。
 今月は少ない人数でございましたけれども、一生懸命つとめさせていただきまして、勇むことができました。おつとめさせてもらうと、こんな状況の中でもこんなに勇めるのだということ。神様はこのことを喜んでくださるのだと思います。皆さん、それぞれお宅で寂しい思いをされていると思いますが、その場で喜べることを探してお過ごしいただきたいと思います。

 今月はどうもありがとうございました。

2020年04月28日