2022年(立教185年)11月月次祭神殿講話 ~諭達第四号~

 ただ今は11月の月次祭を陽気におつとめいただきました。本当にありがとうございました。一言お話をさせていただきたいと思います。しばらくの間お付き合いいただきますようよろしくお願いします。

1.諭達第四号のご発布
 先月10月26日は秋季大祭、立教の元一日ということで参拝させてもらいました。当教会からも信者さん2名がご参加されまして、非常に多くの中で、お天気も素晴らしい中でお話をいただきました。そしてこの10月26日には、正確に言うと3年と2か月後に迫った教祖140年祭の諭達第四号が発布されました。
 諭達第四号というのは、真柱様が年祭のために私どもに年祭のその三年千日の間どういう心構えで行ったら良いかという一つの目標をお示しくださるものです。倒れられてから初めて、真柱様が神殿講話に立たれました。「身上をいただいて中々声もでづらく、声もかすれてお聞きづらいかと思いますけれども、どうか聞いてください」ということで諭達第四号を真柱様自ら読み上げてくださいました。たしかに声は多少はかすれていましたけれど、本当に力のこもった、思いのこもったお言葉で、私なんかは胸いっぱいになっていました。その後の天理時報の記事を見ても色々な大教会の会長さん方も思わず涙がこぼれたというような感動的なことで、本当に一所懸命やらしてもらおうという思いが湧き出るような諭達でございました。
 来月からはこれを皆さんで一緒に読ませてもらいますけれども、今日は私が拝読をしますので、どうかお聞きいただきたいと思います。


諭達 第四号

 立教百八十九年、教祖百四十年祭を迎えるにあたり、思うところを述べて、全教の心を一つにしたい。
 親神様は、旬刻限の到来とともに、教祖をやしろとして表にお現れになり、世界一れつをたすけるため、陽気ぐらしへのたすけ一条の道を創められた。
 以来、教祖は、月日のやしろとして、親神様の思召をお説き下され、つとめを教えられるとともに、御自ら、ひながたの道をお示し下された。
 そして、明治二十年陰暦正月二十六日、子供の成人を急き込まれ、定命を縮めて現身をかくされたが、今も存命のまま元のやしきに留まり、世界たすけの先頭に立ってお働き下され、私たちをお導き下されている。
この教祖の親心にお応えすべく、よふぼく一人ひとりが教祖の道具衆としての自覚を高め、仕切って成人の歩みを進めることが、教祖年祭を勤める意義である。
 おさしづに、
  ひながたの道を通らねばひながた要らん。(略)ひながたの道より道が無いで。(明治二十ニ年十一月七日)
と仰せられている。教祖年祭への三年千日は、ひながたを目標に教えを実践し、たすけ一条の歩みを活発に推し進めるときである。
 教祖はひながたの道を、まず貧に落ちきるところから始められ、どのような困難な道中も、親神様のお心のままに、心明るくお通り下された。
 あるときは、
 「水を飲めば水の味がする」
と、どんな中でも親神様の大いなる御守護に感謝して通ることを教えられ、また、あるときは、
 「ふしから芽が出る」
と成ってくる姿はすべて人々を成人へとお導き下さる親神様のお計らいであると諭され、周囲の人々を励まされた。
 さらには、
 「人救けたら我が身救かる」
と、ひたすらたすけ一条に歩む中に、いつしか心は澄み、明るく陽気に救われていくとお教え下された。ぢばを慕い親神様の思召に添いきる中に、必ず成程という日をお見せ頂ける。この五十年にわたるひながたこそ、陽気ぐらしへと進むただ一条の道である。
 今日、世の中には、他者への思いやりを欠いた自己主張や刹那的行動があふれ、人々は、己が力を過信し、我が身思案に流れ、心の闇路をさまよっている。
 親神様は、こうした人間の心得違いを知らせようと、身上や事情にしるしを見せられる。頻発する自然災害や疫病の世界的流行も、すべては私たちに心の入れ替えを促される子供可愛い親心の現れであり、てびきである。一れつ兄弟姉妹の自覚に基づき、人々が互いに立て合いたすけ合う、陽気ぐらしの生き方が今こそ求められている。
 よふぼくは、進んで教会に足を運び、日頃からひのきしんに励み、家庭や職場など身近なところから、にをいがけを心掛けよう。身上事情で悩む人々には、親身に寄り添い、おつとめで治まりを願い、病む者にはおさづけを取り次ぎ、真にたすかる道があることを伝えよう。親神様は真実の心を受け取って、自由の御守護をお見せ下される。
 教祖お一人から始まったこの道を、先人はひながたを心の頼りとして懸命に通り、私たちへとつないで下さった。その信仰を受け継ぎ、親から子、子から孫へと引き継いでいく一歩一歩の積み重ねが、末代へと続く道となるのである。
 この道にお引き寄せ頂く道の子一同が、教祖の年祭を成人の節目として、世界たすけの歩みを一手一つに力強く推し進め、御存命でお働き下さる教祖にご安心頂き、お喜び頂きたい。

立教百八十五年十月二十六日  真柱 中山善司


2.三年千日
 ゆっくりまた読ませてもらいますけれど、「この道にお引き寄せ頂く道の子一同が、教祖の年祭を成人の節目として、世界たすけの歩みを一手一つに力強く推し進め、御存命でお働き下さる教祖にご安心頂き、お喜び頂きたい。」。つまりこれが年祭の意味で、教祖の年祭は成人の節目とする。三年千日、来年の一月から3年後に教祖の年祭が来ますけれども、これを成人の節目として年祭をつとめさせていただこうという非常に力強くて分かりやすいこの諭達をいただきました。それも真柱様自らお読みいただきました。
 普段から日常一日一日のおつとめというのは大切です。先ほどもちょっと話していたんですが、私に対して来年6月と11月に弁護士として講演を頼みたいという依頼がありました。まだ来年の手帳も来ていないですけれど、大丈夫ですよと受けました。考えてみたら、これは神様から来年の6月まで、11月まで生かしていただかないと講演ができない。ついつい当たり前に11月まで生きているだろうということで勝手に私はお受けしているんですけれども、生きていればできるけれども、命が無ければできない、ということは来年の11月までしっかりと命をお貸しいただけるように、この借りものをお返ししないで済むように、そのためには何が必要かというと、ひのきしんをしなさいと神様おっしゃってくださっている。
 この神様から借りている身体の御礼についてはひのきしん。ひのきしんというのは人様に喜んでもらう、しかも陰になって隠れて。「私これだけやってやったよ」、これはひのきしんじゃない。人様に隠れて、背中の方から、裏からひたすら人様に喜んでもらう、役に立つことをさせてもらう。身近でできますよね、お年寄りがいたらお年寄りが階段を降りやすいように支えてあげる、あるいは子供であったら孫がけがをしないように陰から見守ってあげる。家内や夫が不自由していたらばそれを陰から手助けをしてあげる。これがひのきしんだと。だから簡単なことです。しかし簡単なことができないからわざわざ人間の親である神様は子供にひのきしんをしなさい、そうすればしっかりと命を貸してあげる、そして三年千日の目標をこの3年間一所懸命につとめさせてもらって、何か自分で一つ心を定めてつとめさせてもらえれば、三年千日の今度の年祭を迎える時にはしっかりと御守護をいただいて、人間として成人をさせてもらえる。こういう方向をこの諭達第四号からお教えいただきました。

3.御守護いただこう
 そんなことから毎日毎日皆さんしっかりやっておられますけれども、改めてさあこれから三年千日、しっかりがんばろうという心を作るだけで、神様が特別な御守護をくださるそうですので、どうか一人ひとりこれから3年間何を目標に、何をさせていただこうか、そして何を御守護いただきたいだろうかということをしっかりと心に定めて改めて神様と向き合ってこの三年千日をお過ごしいただきたいと思います。
 いよいよ3年後には教祖140年祭が来る、という本当に嬉しい大きな目標をお与えいただきましたので、これを何もしないでぼーっと過ごすのはもったいない。他の人がぼーっとしていても私どもはこの3年間で人間として成長しよう。人間として素晴らしい御守護をいただこう。これを定めて、仕切って御守護いただけるようにしたいと思います。どうかしっかりとお互い頑張らせていただきたいと思います。
 あっという間に年賀状も売り出し、あとふた月足らずでまた年を越すことになりますけれど、ぼーっとしていたなあという思いの一方で、ぼーっとしても元気で過ごせたなあという感謝をしましょう。そして無事に1年過ごせるように、またこの1か月間しっかりと皆さんを喜ばせる、自分の身の回りの方に喜んでいただけるような行動や言葉を出していただきたいと思います。またコロナもはやってきたようですので、不足せずに喜んで心を豊かにして、コロナにかからないように頑張らせていただきましょう。

 今月はどうもありがとうございました。

2022年12月30日