2021年(立教184年)4月教祖誕生祭神殿講話 ~人間が苦労しないようにしてくれた教祖~

 ただ今は4月の教祖誕生祭を陽気につとめさせていただきました。本当に心勇んでおつとめができました。ありがとうございました。
 ようやく緊急事態宣言が終わったと思ったら、皆さんの気が緩んだのかまた感染者が増えて、それぞれの地区ごとにまん延防止措置というのが出されてしまいました。なかなか集まりにくく、例年であれば4月18日の教祖誕生祭は、本部中庭で皆さん集まって「よろこびの広場」で歌を歌って教祖の御誕生をお祝いする日なんですけれども、今年は残念ながら各教会からの代表者だけで参拝ということになりました。

1.ご報告
 まずご報告が一つあります。そこにも書いてありますが(大教会長就任奉告祭の垂れ幕を示す)、中根大教会の七代会長が日高彰先生になりました。先月3月26日に真柱様にお許しをいただきました。
 私も役員としてお運び(真柱様から許しを得ること)に付き添って行かせていただきましたけれども、本当に厳かな中で、世話人であった本部員の島村先生が十年の間ご苦労いただきまして、ようやく新しい会長が納まるということになりました。
 そんなことで久しぶりに中根詰所に宿泊し、朝づとめも、本部に二日間続けて行かせてもらいました。いつもであれば朝づとめ後、教祖殿で「まなび」というおてふり の練習をやるんですね。その「まなび」の地方は島村先生がつとめられているのです。こうしたことからも、中根は本部の大変立派な先生にお育ていただいたんだなぁとつくづく思います。
 そんなことから、5月16日に、新会長の就任奉告祭があります。このコロナ禍の中、他の大教会でも何か所か会長さん変わられたんですけれど、それぞれ真柱様の名代ということで、真柱様からのお言葉をいただいて、その大教会の世話人の先生がつとめるということが慣例でありました。しかし、中根大教会に関しては、真柱様からの直接の思召しということで、中田表統領、真柱様の弟さんですが、表統領先生が真柱様の名代で来てくださるということになりました。えっ、他の大きな教会と違ってこんな小さな中根に?という思い であったんですけれど、真柱様が中根の親としてそこまでしっかりと子供のために考えてくださっているということに一同感激し、胸が熱くなる思いでお礼を申しあげてきました。
 そういうことで、本来であれば教会の信者さん全員で行きたいところではありますが、一教会三人ないし四人ということに限定をされております。この点はまた改めて皆さんとご相談したく思いますけれども、行かれる方は奉告祭にぜひご参拝いただきたいと思います。

2.日帝から4人のおつとめ奉仕者
 またありがたいことに、奉告祭という大変な祭典に、日帝分教会からは4名がおつとめの人衆として指名されました。私はおてふりをやらせていただき、他はすりがね、拍子木、お琴に上げていただくこととなり、本当にありがたいことです。
 そんなことでふと思いますのは、中根大教会の前会長さんの就任奉告祭の時、もう今から四十年も前になりますけれど、その時は、前の真柱様ご夫妻がお出でになりました。座りづとめでは、真柱様ご夫妻と大教会長ご夫妻、そして女性の三人目の所になんと日帝の前会長、羽成芳枝会長が座らせていただきました。前会長は、私たちには分からない所で本当に中根のために尽くしていたわけですが、このことを葛飾支部で話をしましたら、皆から「有り得ない」ということを言われました。「日帝さん素晴らしいね」とも言っていただきました。ということで、他人から言われ、その凄さを改めて感じたわけですが、今回の奉告祭でも、日帝分教会から4名がおつとめの人衆としてお許しをいただいて参拝することができるようになりました。
 先月、練習のために大教会に行かせてもらいましたが、やはり厳かで、そして本部でいつも地方をおやりになるような島村先生から直接細かいご指導をいただきまして、本当に感激しました。やはり、おつとめをしっかりできると心が勇んでくる、ということを改めて身に染みて感じたわけでございます。そういうことでぜひ皆さん、日帝分教会としても大教会に対して奉告祭のお祝いをさせていただきたいと思っておりますので、どうかお心寄せをいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

3.信仰とは心で神様を信じること
 さて、今月四月は、教祖中山みき様が寛政10年4月18日にお生まれになったことを祝う誕生祭というものがあります。教祖はご存命ですから、皆さん「教祖おめでとうございます」と毎年お祝い申しあげます。「姿は見えないけれども今までのままやで」というお言葉があるように、私たちは存命の教祖を信じているわけですが、存命の教祖の223回目のお誕生日ということになります。
 例年であれば、本部で明るい祭典が執り行われる日になるんですけれど、今年は残念ながらコロナ禍のためできませんでした。祭文でも読ませていただきましたが、信仰の形がどうも変わったように思います。
 以前申しあげましたけれど、我々はおぢばに帰らせていただく、あるいは大教会に参拝させてもらう、そしてこの日帝分教会の祭典をつとめさせてもらう。それが信仰の形だと思っておりました。ところが、人が集まってはならない、本部でも普通の信者さんは祭典の時は上がることができない。私も3月に行かせてもらいましたけれど、今月はおぢばがえりしても神殿には上がらせてもらえません。大教会でも今は参拝を制限をしております。日帝分教会でも、本日は緊急事態宣言も解けたので、無理のない範囲でお出でくださいというお願いをしましたけれども、そうは言っても電車に乗って来られる方はやはり来にくい。教会へ行って、あるいは本部へ行って参拝をすれば信仰をしているというような形がどうも今までの形だった。ところがその教会へ来てはいけません、本部へ来てはいけません、ということになっている。しかし、信仰というのは心でやるものですから、形は変わるけれども、信仰は変わらない。心でやる信仰をしっかりそれぞれが持たないと、本部へ行かなくなったことでだんだんだんだん信仰と縁遠くなってしまう。あるいは教会に行かないことによって信仰に縁遠くなってしまう。これは、元々本当の信仰ができていなかった、ということになります。信仰というのは、心で神様を信じることです。

4.教祖は私たちの身代わりとなってご苦労下された
 教祖は、そのご生涯の中で、天保9年、神がかりになった10月26日以前も、素晴らしい心遣い、優しい心遣いをされてこられました。
 例えば、蔵に入った泥棒がいた。昔、米泥棒は打ち首になるような重罪でした。ところが教祖は、その米泥棒に対してですね、物を盗んで食べようとするその心が気の毒や、と言ってわざわざお米を持たせてどこにも突き出さずに帰される。
 あるいは小さい頃、近所で泣いている子供があると、教祖は自分の持っている飴だとかおもちゃをそのお子さんにあげる。自分も子供ですから、本当なら自分が飴でもおもちゃでも欲しいところなんだけれども、そういう心遣いをされている。
 そういう心遣いがずっとあって、その心遣いに対して後ほど親神様が教祖の口を通して教えてくださった言葉が「この心根を見てこの者こそが神のやしろにふさわしい」ということで降りられた。そして案の定教祖は、神のやしろになられてからも更に、それまでに増して施し尽くされ、中山家は本当に貧のどん底に落ち込むわけです。
 我々は、貧のどん底を経験しておりません。その昔は、貧乏になることが天理教なんだ、貧乏にならなきゃ天理教じゃないんだと言われる先生もおりました。しかし、ある時私が尊敬する先生がこういうことを言われた。「教祖は、私たちが貧に落ちないよう、教祖自らが人間の貧を全部背負って落ち切ってくださったんだ」と。
 また、教祖は、人間の苦労を全部背負って、現身を隠される90歳の時には、その周りに自分の子供も孫も誰もいなかったんです。人間のために尽くされてきたのに、結果身内は誰もいなくなってしまった。人間から見れば、そんな過酷な運命の中でも、教祖は神のやしろとして親神様の存在を我々人間に教え伝えてくださった。
 一人の人間の人生として見た時に、中山みき様という方は決して幸せな方であったとは言えないと思います。しかし、ひたすら人を助ける、人を喜ばせる、人の親として困った子供を救ってあげる、いつもニコニコいそいそとして人助けにいそしまれた。これが我々の教祖です。その教祖が貧に落ち切ってくれたおかげで、教祖が18回も監獄へ行ってくださったおかげで、我々はあんな苦労をしないで済むんだそうです。
 教祖が身代わりになって、人間の苦労を全部背負って済ませてくださった。そういう教祖のおかげですから、我々は苦労なんかしようと思ってもすることができない。それを思えば、今、我々が苦労と思っていることは苦労でもなんでもない。

5.教祖のお誕生祭
 教祖が神がかりになって以降、米びつのお米をどんどんどんどん施した。立教以来20年も経って初めて信者さんが米四合をお礼に持ってきた。しかし、その四合も門口に並んだ物貰い、乞食にすぐに全部あげてしまった、という逸話があります。その教祖に対して、末娘のこかん様が「お母さん、もうお米はありません」とちょっと愚痴をこぼした。そこで教祖のおっしゃった言葉が「世界には枕元に食べ物を山ほど積んでも、食べるに食べられず、水も喉を越さんというて、苦しんでいる人もある。その事を思えばわしらは結構や、水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与え下されてある」と。食べるものが無くたって水を飲んだら水の味がする、しかも水がちゃんとのどを通って入るじゃないか。水が飲めない人もいるだろう、と。そういう風に常に神様は苦労を苦労と思わない、そして今あるところを喜ぶ。こういうことを教えてくださいました。
 どんな苦労があっても大難は小難、小難は無難、無難は夢に知らせると言って、これも全て神様が軽くしてくださっている。そういうことを教えてくださり、自らが実行されたこの教祖中山みき様が寛政10年4月18日にお生まれになった。それを今日祝ってですね、誕生祭をさせていただきました。
 また、毎月同じように申しあげていますけれど、この教祖が我々に対して持ってくださった親心、この親心のおかげで私たちは苦労もしない、貧にも落ちない。教祖が全部引き受けてくださっていると、こう思ったらますます教祖に対する感謝の気持ちが出てくると思います。そんなことから今月は、親神様の思いを伝えてくださった教祖に対して、改めてお礼の気持ちを持っていただく月としていただきたいと思います。

6.全教一斉ひのきしんデー
 例年であれば、4月29日には全教一斉ひのきしんデーがあります。ひのきしんというのは、いつも申しあげていますが、この身体を借りているお礼です。この丈夫な身体を借りているお礼に、何か人様のためにさせてもらう、これがひのきしん。たしかに、ひのきしんデーに皆で集まって食事をしお酒を飲むのは楽しいけれど、それがひのきしんではありません。身体を借りている感謝をするという思いで、4月29日は皆さんの家の周り、自分の身の周りの人、奥さんでも子供でも親でも、身の周りの人に対して喜んでもらうようなことをちょっとする。それを心掛けるのがこのひのきしんデーです。ひのきしんの有り難さを思い起こす日でもあります。
 残念ながら今年はひのきしんデーが中止になりましたけれども、一人ひとりでやってくださいということが本部から打ち出されています。信仰させてもらっている者同士集まって何かやるというのも楽しいけれど、集まれないときは、一人ひとりが「神様の思いはどんなものか」ということをしっかり考えて行動していただきたいと思います。
 ちょっと前は汗ばむくらいの陽気でしたが、今日なんかは寒くてストーブが必要なくらい。数日前は私は半袖を出しましたけれど。結局寒くてまた長袖に戻りました。皆様体調を壊さないよう、そして健康な身体を借りていることに感謝をして、この一か月またお過ごしいただきたいと思います。

7.中根大教会の月次祭が20日に変更
 最後に一つ。中根大教会の月次祭は、毎月14日ということでしたが、新会長就任を機に「20日」にすることのお許しをいただきました。
 というわけで、今後は毎月20日が大教会月次祭となりました。ただ4月だけは、18日が本部の誕生祭であり、本部の行事へ参加すると20日の月次祭は参拝できない、ということになってしまいますので、4月だけは例外としてこれまでどおり4月14日が大教会月次祭、ということになりました。5月からは毎月20日が月次祭、という具合です。お間違えないよう、どうぞよろしくお願いいたします。

 今月はどうもありがとうございました。

2021年05月11日