2020年(立教183年)12月月次祭神殿講話 ~当たり前を喜ぶ~

1.大変な一年を振り返って
 ただいまは十二月の納めの月次祭、賑やかにお勤めいただきました。今年の締めの神殿講話をさせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

 今年は言うまでもなく、新型コロナウイルスの感染拡大ということで、本当に大変な一年でした。先ほど祭文でも読ませていただきましたけれども、三月以降、月次祭をそれまでのようには勤めることができなくなりました。今日は車でお出での方が中心ですけれども、遠方の方、特に高齢の方々は参拝するのが難しいということで、自宅でお勤めいただくようお願いしました。二月、三月に感染が拡大し始めた当時は、こんなにひどくなるとは思っていませんでしたけれども、全く収まる気配がない、それどころか今や第三波といわれ、日々大変な数の感染者が発生にしています。
 こうした中、外出は控えるように、と抑える人もいれば、一方では動かないと経済が回転しないということで旅行に行こう、と勧めるという、アクセルとブレーキを一緒に踏んでいるような時代ですけれども、過去に例のないことですので、こういうことになっているんだろうと思います。
 ただそんな中で今年を振り返ってみますと、まず一つは言うまでもなくコロナ禍ですね。私どもは、世の中に見せられることは神様が全て見せて下さることだという風に聞いておりますから、コロナ禍はどういうことなのか、私なりに考えてみました。


2.勝手な心遣い
 全ては神様の計らいである、しかも、子供を助けたいとの一条から全てしていることなんだというのがこの教えです。では、この人間心から見てこんなに辛く苦しい新型コロナウイルスを、なぜ神様は、どんな計らいで世界中に出されたのか。親の思いとしてあるのは、子供をなんとかして助けてやりたいということ。そこに思いを致すと、結局は私たち人間の心が神様の思し召しに合っていなかった、ということになるのです。
 人間すべてが陽気ぐらしできるよう、人種・性を超えて世界中が仲良く手を組んで過ごせるよう、神様は人間を作られました。1900年代は、世界中で多くの人が亡くなった第一次・第二次世界大戦があったわけですけれども、人間はその反省を生かし、その後歩んできました。例えば、ヨーロッパでいえば、ヨーロッパの国同士で喧嘩してしまったという事実を反省し、EU(ヨーロッパ連合)が作られました。国境を取っ払って、パスポートなくても国々を自由に動ける枠組みを作ったんだけれど、最近になってイギリスが出ていくことになり、他のヨーロッパ諸国との関係がギスギスしている。アメリカも、世界の中でのアメリカではなく、アメリカさえよければよい、ということで環境問題を解決するパリ協定というのも勝手に脱退してしまう。「うちは自分たちの思うように二酸化炭素を出すんだ」というような身勝手を平気でやってのける。日本だって同じ。世界唯一の被爆国であるにも関わらず、核拡散防止条約に日本は参加していない。その条約に参加してしまうと、アメリカが持っている核の傘の下で守られている状況を否定することになるから、ということで核なき世界への取り組みに背を向けてしまう。人間の勝手気ままな心に対し、神様が節(ふし)を見せて、その後人間が心を入れ替えて、こういう風によくしていこう、と決めた枠組みを、喉元過ぎた頃にまたそれぞれが勝手な心遣いを始めた、ということができると思います。
 そしてそれは、人間一人ひとりを見てもまた同じです。一人ひとりの思いがついつい自分中心になっている。昔は、隣近所の人がなにか病んでいそうであれば、心配でみんなあちこちから声を掛けたものです。今は、そんなことをすればプライバシーの侵害だということで、何もしないで放っておく。こう言うと、「放っておいているのではない。相手のことを思って静かに見守っているだけ」なんていう反論があるかもしれません。「静かに見守ってあげる」なんていうのは、たしかに聞こえはよい。けれども、その結果が年寄りの孤独死につながったりしている。他にも、経済的に立ち行かなくなり、この日本で餓死してしまうような人もいたりする。そんなことを思うとき、きっと神様は見ていられなくなって、このコロナというものを世界に出して、みんなで連携し合いなさい、との思し召しなのではないか。しかし、そのコロナですら、世界中の国々が連帯して対応しているかというとそうではない。「他の国はともかく、うちの国だけはなんとか」という考えから脱し切れずにいる。


3.神様の思い
 こうした中で、私たちお道を信じている人間からすると、神様の思し召しはどこにあるんだろうかと考える。神様のおふでさきに、昔コレラがはやったとき、あるいは天然痘がはやったときに、なぜ神がこういうことをみんなに与えたかということが書いてあります。

「なさけないとのよにしやんしたとても 人をたすける心ないので」(十二号90)

というおふでさきです。

 つまり神様からすると、人間が人を助ける心を持たないので、情けないので、人を助ける心を持つように、人間一人ひとりが伝染病が出たらなんとか助け合って他の人にうつさないようにしなきゃいけない。罹った人をみんなで助けなきゃいけない。そういうところから、「なさけないとのよにしやんしたとても 人をたすける心ないので」というおふでさきによって、人間が助け合いをするためにこういう病いを出したんだということを教えてくださいました。それを今の時代に置き換えると、まさにそれがこの新型コロナウイルスが神様からすると「情けない、人を助ける心がないから。みんなが」ということをおっしゃっているんではないかなと思います。 
 しかもこの令和二年という年は大変な年でした。戦争もないのにオリンピックが延期になるなど、あらゆる催し物が中止になったり延期になったり、我々人生の中でこんなことを体験したことが無かったわけです。一方で、天気も大変でした。夏は40℃を超えるような大変な暑さもあって、熱中症で亡くなる方もいっぱいいました。それでも神様の思いからすると、これは子供を苦しませるためではなくて、子供を助けるためなんだ、それを受け止めてどんな小さいことでも喜べるようにと神様が教えてくださっている。世界で起きていることをどう自分が受け止めるのか、そう考えるとよく分からなくなってしまいますが、神様は一人ひとりの心を見ています。一人ひとりの心が変わるのか変わらないのか、そこを見てくださっている。ということで、せめてこのお道の話を聞かせてもらっている我々一人ひとりが、周りに病で苦しんでいる人はいないか、事情で困っている人はいないか、人を助けるということを常に心に念じて、人だすけのアンテナを高くして過ごす。そして自らも、身の周りに起きていることを小さなことでもとにかく喜ぶ。喜ばせてもらう。そういうことの大切さを改めて考えてみる年であったと思います。


4.「鬼滅の刃」の大ヒットについて
 そこであと一つ、今年大変に流行したということで言うと、皆さんお読みになった方もいると思いますが、「鬼滅の刃」という漫画。私は全巻読みました。映画も観てきました。本当に大変な人気です。コロナ禍でみんな家にいる時間が長くなったことが大ヒットの理由だろう、と言う人もいますが、他にも読める本はいっぱいあるわけで、しかも映画館があんなにいっぱいになっているところをみると、コロナだけではこの大ヒットの説明にはなりません。あの本ばかりが一億冊も売れるという信じられないような売れ行き。でもあれを読んでみると、きわめてシンプルなんです。「鬼滅の刃」という漫画は、実は当たり前のことしか言っていない。少し種明かしのようになってしまいますけれど、このお話は、主人公が仕事で家を不在にしていた時に、家にいたお母さんや弟、妹たちが鬼に襲われ殺されてしまった、というところから始まるわけですけれど、その主人公が鬼と戦う中で、鬼の術で眠らされ夢を見せられています。その夢の中で、殺されたお母さんや弟、妹たちが、口々に主人公を責めるんです。「何で助けてくれなかったの?」「俺たちが殺されてる時何してたんだよ。自分だけ生き残って」「役立たず」「アンタが死ねばよかったのに」ということを夢の中で言われるわけですね。普通そんなこと言われたら参ってしまうところですが、主人公は、夢の中でも、とっさにこれは自分の家族じゃない、鬼が見せている悪夢だ、ということに気づくわけです。そして鬼に対して「言うはずないだろうがそんなことを!俺の家族が!!俺の家族を侮辱するな!!」と言って術を破り、結果鬼を退治するわけです。家族同士が強く信じあっているからこそ主人公は鬼がしかけた悪夢に負けなかった。家族への絶対の信頼、絆というものがそこには描かれている。かくいう鬼も、不幸にも自分の心の弱さに負けてしまった人間が鬼に変えられてしまった姿であったりして、人間と鬼とは実は紙一重の存在であるということも描かれている。だからこそ主人公は、人間として生まれ変わってくるようにとの思いを込めて、鬼を退治する。
 こうして考えてみると、この漫画に出てくる話は、全部「普通の話」なんです。おそらく、私たちが子供のころの4、50年前にこの漫画があったとしても、ここまでのヒットはしなかったと思います。別に「普通の話」なんで、面白くもなんともないから。このコロナ禍の中、なぜこういう「普通の話」がヒットしたかというと、一人ひとりが人のために助け合いをしよう、人のために何かできないかと思うという、みんな心には思っているけれども、それを言葉にして出せない、どのように出していいかわからない。そのくらい人間がばらばらになっちゃった、ということだと思うのです。そうした中で、「鬼滅の刃」という漫画は、一人ひとりが持っている心の正しさ、人を信じる心、家族を信じる心というのをちゃんと言葉にして出した。今までみんな忘れかけていたことを、「あ、そうか」と気づいたことで感動したんですね。新しいことを言っているわけでもなし、珍しいことを言っているわけでもなし、特別なことを言っているわけでも何でもない。おそらく4、50年前だったらみんなが口に出して言っていたようなことを、みんな口に出さなくなった。口に出さなくなったということは心にもだんだん見失いかけてきた。それを改めて思い起こさせてくれたんじゃないかと思うんですね。


5.天然自然の道
 そして、教祖伝逸話篇にこういうお言葉があります。

「この道は、人間心でいける道やない。天然自然に成り立つ道や。」(十七「天然自然」)

 この天理の教え、神様の教えというのは、人間心で作ったものではないぞ、と。だからといって特別なことを言っているんじゃない。天然自然のことを言っているだけなんだというんです。天然自然というのは、人間が生まれて人間が出直すまで、この間普通に生きているということ。普通に生きていってみんなと仲良く暮らすためにどうしたらいいかという、天然自然のことを言っているだけなんです。だから天理教を信仰するとどうなるのか、信仰するとどういう風に得するのか、そんなことではないんです。この道が、天然自然のことを教えてくださっているという風に考えると、先ほどの鬼滅の刃の話も全部天然自然の話。また、皆さんにもお配りしましたが、中島みゆきさんの第二詩集。これも読んでみるとごくごく当たり前の話です。「私は礼儀が好きなんだ」とかいう言葉が普通に出てくる。それは当たり前のことでした。今までは。人にものをいただいたならお礼を言う。何かしてもらったらお礼を言う。それがついどこかでひねくれてしまって「私は別にあなたに恵んでもらわなくていい」「あなたに助けてもらわなくていい」から、別にお礼を言う必要はない。と、こういうことになってくる。それがエスカレートすると「そもそも誰それが悪いからこうなったんだ」と、さもやってもらうことが当然というようなことにもなってくる。こうなると確実に運命が行き詰まります。そうならないように、天然自然の根っこのところの話を、このお道は教えてくださっている。
 今、教会で教理勉強会をしていますが、中島みゆきさんの詩集を読んでみると、勉強会でやったことの一つひとつが、詩集の言葉の中からうかがいとれるんです。そういう風に、神様は、当たり前のことを当たり前に教えてくださっている。その当たり前の神様が人間を痛めつけるはずがない。人間の親ですからね。しかし、子育てされている方は分かると思いますが、子供が間違えた方向に向かっていたら、行きたい方向を変えさせる。子供は泣くかもしれない。しかし、それは親心からやっている。この子供のために、子供が何とか曲がらないように、子供が救われて育つためにやっている。
 そういう風に、今、世の中で起きていることは全て神様が我々人間のためにしてくださっていることだと理解し、今年一年、一人ひとりの身に見せられた節(ふし)をしっかりと受け止めてまた来年頑張りたいと思います。ということを今日祭文にも書かせてもらいました。一年生活していれば、色々な嫌なこと辛いこと悲しいことあったと思います。でもそれは全部神様が一つひとつその人間にふさわしいように見せられたものですから、この見せられた節(ふし)をしっかりと「神様は何を私に期待されているんだろうか」ということを考えてまたこの来年、新しい年を迎えていただけたらと思います。


6.「当たり前」の大切さ
 そんなことでこの一年間、なかなか大変でしたが、大きな気づきもありました。それは、おつとめをさせてもらう喜びということです。今まで、惰性とは言いませんけれど、12日におつとめするのは当たり前、皆さんに来ていただくのも当たり前と思っていたのが、決してそうではない。つまりこの人生に当たり前のことなんかないんだということですね。息を吸うのも生きていればこそで、息が止まった瞬間、あるいは苦しくなったらこれが病気。ということは今息を吸ってること歩けること、もう当たり前のことなんか一つもない。全部神様のご守護。そんな中で自分が辛いと思うことでも、これはじゃあ神様が何を私に期待しているんだということで考えると、必ず喜びを見つけることができます。喜びを見つけられれば神様はご褒美をくださる。これは命をくださる。そういうことでぜひまたこの一年、見せられてきたことをお互い反省しながら、来年もつとめさせていただきたいと思います。
 そして一年間、皆さまにはこの日帝分教会に大変にお心寄せいただきまして、無事つとめを果たせることが出来ました。本当に皆さんのお陰でございます。高い所からですが、あらためてお礼を申しあげます。今年一年、本当にありがとうございました。

2021年01月10日