2023年(立教186年)5月月次祭神殿講話 ~嬉しさ、喜びを子どもに伝える~

1.3年ぶりの自由
 ただいまは5月の月次祭を賑やかにおつとめいただきました。誠にありがとうございました。
 今日おいでの方は、全員4月29日おいでになりましたけれども、全教一斉のひのきしんデー、3年ぶりに開催されました。
 今年の1月26日から、教祖140年祭の三年千日が始まったのですが、考えてみると今月の5月8日です、4日前にコロナの特別の対応もなくなりまして、普通のインフルエンザと同じになった。これ、ちょうど3年ぶりですね。
 この3年間、皆さんも色々と生活が変わったと思いますけれど、私も自分を振り返りますと、この3年で本当に変わった。3年前のコロナが始まる前までは、例えば私は弁護士という仕事もしていますけれど、仕事があれば平日は夜9時でも10時でも11時でも12時でも仕事をやって、それから食事をして帰ってくる。そんなことでしたから、一日がものすごく長かった。その代わり、仕事の疲れってあまりなかったんです。
 ところがコロナになりまして、事務所を夕方5時に何が何でも出る、帰ってくる。外食できませんでしたから、夕飯は家で食べるということになりますと、5時には事務所を出なくてはいけない。そうすると、今まで際限なくやっていた仕事が、何はともあれ5時までには終わらせなければならない。同じ仕事量で5時に終わらせるためには、ものすごい時間がきつくなるわけです。今までは倍の時間でやっていたのを半分で終わらせる。そうすると頭はフル回転します。本当に久しぶりに、ものすごく疲れました。でも頭を猛烈に使ったということでむしろ気分としてはさわやか。そして夕づとめにも間に合う。それまで、夕づとめを自分でつとめるなんてことは考えてもみませんでしたけれど、5時に帰ってくれば、今は6時の夕づとめに間に合うわけです。
 この3年間、お酒も外で飲まない。家での夕飯であれば、ビールをご飯の時に缶一ついただくくらいのもの。そうしましたらこの3年で、本当にありがたいことに、身体がとても良くなりました。無駄なアルコールを飲まなくなった、ということでそれまで肝臓が脂肪肝といって、アルコールで肝臓に脂肪がいっぱいついていたんですけれど、その脂肪肝までもが消えてしまう。私は昨年後期高齢者になったんですけれど、後期高齢者で普通の人ならばリタイアしてじっくりのんびりというところが、そんなコロナのせいで、今まで以上にものすごい頭を使わせてもらう。そして早く帰ってくる、夕飯は家で食べる、お酒もそんな飲まない、ということでこの3年間本当に私にとってはありがたいといいますか、神様が与えてくれた一つの良い機会であったなあと思っています。
 おぢばの参拝も、今までは定められた人たちだけが神殿に上げていただく。ネクタイをしてワイシャツを着て、はっぴを着て1枚の畳に2人ずつという非常に厳格でした。おぢばに行っても月次祭は神殿に上がれませんでした。それが今はもう自由に上がれるようになりまして、参拝もできるようになった。
 神様は、ちょうどこの3年間不自由な生活を教えてくださって、ちょうど140年祭の三年千日が始まってから自由に動いてよろしい、自由に人と集まってよろしい、自由に人と話してもよろしい、ということにしていただいた。この3年間の不自由が元に戻っただけのことなんですけれど、本当にこれは気分が良いし、楽しいし旅行にも行けるし、夜も飲み屋さんにも行ける。コロナの終わったこの現在の状況が今まで当たり前のことだった。その当たり前のことを、親神様はどれだけ当たり前がありがたいことかということを教えてくださったんだろうな、と考えます。そしてまたその当たり前になった日から3年間、140年祭の三年千日が始まったと考えますと、やはり神様は我々に目を覚ませるようにしっかりと3年つとめるようにということをお教えくださっていると思います。

2.3年間の辛抱
 そして毎月読ませてもらっているこの諭達第4号にしてもですね、本当は毎日毎月、我々はしっかりと信仰させてもらわなければいけないんだけれども、教祖は毎日毎日はできないだろう、と。教祖が通られた50年の内のたった3年で良い。3年間せめて教祖が通られたひな形の道を通れ、しかし3年でも私たち人間には教祖のような通り方はできません。だとすれば、せめて心だけでも教祖の心に沿って3年間暮らしてみたらどうだろうかと私は思うんです。教祖はどういう風に通られていたんだろうかと、いつも教祖の心を考えながら3年通る。たったそれだけのことで、実は大変な御守護をやるぞということを教祖がおっしゃってくださっているんですね。

おさしづに、こういうおさしづがあります。

「三日の辛抱したら、今の三つが、三日経てば何ぼに成るやら分かりゃせんで。一日々々の日が近寄る、何処から見ても出るも、ほんに見るも、ほんになあと言う日は、まあ三年の間や。三年経てば、偉い事に成るのやで。三年の道は直きや。」(明治二十二年十一月七日 午後十時四十分 刻限御話)

 一日一日3日の辛抱したら、すなわち、3年の辛抱したならば「何ぼに成るやら分かりゃせんで。」とおっしゃってくださっている。そして3年の辛抱は「三年経てば、偉い事に成るのやで。三年の道は直きや。」つまり人間が考えているような本当に大変だなあつらいなあ困ったなあということがこの3年間、私たちが丁寧にしっかりと3年間辛抱して教祖のお考え、教祖が通られた道を、3年間通ろうということをしただけで「偉い事に成るのやで。」しかも「三年の道は直きや。」とおっしゃる。確かに三年千日が始まって1月からもう今日で4か月経ってしまいました。そうするとあっという間にこれは1年経って2年経ってということになります。だとすれば、その3年間しっかりと教祖のお心を旨として、それをしっかりと通らせていただければ、3年経ったら「偉い事」になる。
 「偉い事」というのは、今やっている戦争もすっかり消えるでしょう。私たちもコロナが3年でぴしゃっと終わると思わなかった。教祖は3年間だけ大変なことを見せて、さあいよいよこれから三年千日という時にぴたっとコロナを収めてくださった。我々は自由になったんだから、しっかりと教祖の思いで行動することができるはずですね。そんな風に考えますと、このコロナの3年で私たちに日常がどれだけありがたいかを教えてくださった。そしてさあ自由にしていいぞと言われたら、その自由になったものをただ遊びに回すんではなくて、教祖だったらどういう風にお過ごしになるだろう、お暮しになるだろうということを考えながらの3年、その3年間それを考えるだけでも大変な事になる、「偉い事」になる。しかもそれは3年は「直き」(すぐ)だぞ、とおっしゃってくださっている。それをしっかりと私どもも心に納めまして、三年千日、改めてしっかりと通る気持ちでいたいと思います。

3.親のお陰で今の私たちがある
 この諭達も、去年の10月秋季大祭に出された日にこれを読んだ時にはやっぱり感激しました。しかし今読んでみてもだんだんだんだん当たり前になってきている。これがだめなんだとおっしゃるんですね、神様は。そのいつもいつもその初めて神様の話を聞いた時に感動したその思い出を、改めて毎日毎日しっかりと思い返して通るようにしろ。人間がついだれてしまうところを、3年間だけだれずにかんばりましょうということを教えてくださっている。この親心に私たちもしっかりとお応えして、この3年を通らせてもらいましょう。そうすれば、世界中がまず平和になる。また、一人ひとりが持っている悩みもきっときれいになくなる。そして何よりも、何を見ても喜べるような自分の心が作れることになるかと思います。きっとそうやって、私たちの先人、親たちはこの三年千日を喜んで通られたんだと思います。だったら私たちも、親がどれだけ3年間頑張ってどれだけ喜んできたか、そしてその親のお陰で今の私たちがあるということを考えていくと、この嬉しさ喜びを子どもに伝えていかなきゃいけません。そういう三年千日にしたいと思っております。

 これからはまた暑くなる時期で、体調も崩しやすくなると思いますけれど、心に喜びがあれば体調は崩れないそうですから、ぜひ心に喜びを持って、この一月間お暮しいただきたいと思います。

 今月はどうもありがとうございました。

2023年07月04日