2023年(立教186年)2月月次祭神殿講話 ~宗教2世について~

 ただ今は2月の月次祭を陽気におつとめいただきました。
 
 おつとめ12下り前半は新小学6年生のA君ですね。後半は新中学1年生のS君がおつとめいただきました。彼らの勘の良さも素晴らしく、感心をしますけれども、何よりもおつとめをしてくれたという気持ちが本当に嬉しくて、神様にもお喜びいただいていると思います。

1.被害者救済法について
 そこで今日は、旧統一教会で信者さんの子どもたち、あるいは信者さん自身もですけれども、非常に被害を被って、被害者救済法(法人等による寄附の不当な勧誘の防止等に関する法律)という法律ができました。このことについてお話をしたいと思います。
 「宗教2世」という言葉がよく出てきます。宗教2世というのは、親が信仰していて、その子どもが親の信仰の犠牲になっているという意味ですが、宗教2世という言葉で言いますと、実は私たちは全部宗教2世です。
 簡単に言えば、例えば天理高校に行っている子は全員宗教2世です。自分自身の意思だけで天理教の信仰に入った子は、一人もいないでしょう。同じように創価高校もそうでしょうし、あるいは立正佼成会の佼成学園もそうでしょう。場合によってはクリスチャンの学校もそうかもしれない。そうやって考えてみると、宗教2世とは言うけれども、私たち自身は全部2世。例えば皆さんはお墓は天理教式でやってますから教会につながっているということですけれど、例えば仏教の方ですと全部檀家さんとして○○寺にいる。親が亡くなればその○○寺でその法事をしてもらう。あるいは葬儀もそのお寺でやってもらう。というようなことを考えると、それは全部親が決めたことであって、子どもが決めたわけではない。
 また、皆さんのそれぞれの家の親の教えというものがありますよね。他の家はどうか知らないけれど我が家ではこういう風にやるんだ、と。例えば食事は必ず全員揃ってから、いただきますと言ってから食事をいただく。あと皆が終わるまでは勝手に立ってはいけない、とか。お風呂は歳の順におじいちゃんおばあちゃん、それからお父さんお母さんに入ってもらう。これは別に封建的でもなんでもなくて、家のしきたりとしてそういうことをやってる家はあると思うんですね。ところがそれは全部親から押し付けられたダメだ、というわけではないですね。学校だって親が「ここが良いよ」と言って子どものためにその学校を勧めてそこに行く。
 そうすると、単に親が何かを信仰しているからその信仰を押し付けられるということがダメだと、そういうことを言っているのでは実はないんですね、この被害者救済法というのは。信仰、信教の自由というのは憲法にもありますし、それは子どもにも皆、お父さんにもお母さんにもある。問題なのは、その親がしている信仰が、子どもの人生にマイナスの影響を与えるような、例えば学校に行きたいのに親が全部財産を寄付してしまって、献金をしてしまって子どもの学校が続けられない、ということなんです。
 例えば昨年、元総理大臣の安倍さんを銃撃して殺害した犯人とされている人も、自分が学校生活、大学生活を続けられない、これは親がこの信仰をしているからだということで、その信仰をいわば保護し、あるいはその信仰を利用してきた人であるということで安倍元総理を銃撃したということが言われています。つまり、今問題になっている宗教2世というのは、親の信仰を、実は親も被害者なんですが、その信仰によって子どもの生活が全く成り立っていかない、そんな信仰はダメだということで宗教2世という言葉が使われているんですね。
 しかし、その親もどうかというと、親も実は被害者。今回の被害者救済法の中にありますけれど、ありもしない霊感的な怖い話をする。あるいはこれを信じないとひどいことになるといった脅迫的な言葉を使って信仰させてはいけない、また過大な献金、寄付をさせてはいけないということがありますけれど、それはあくまでも騙して、他の宗教に行ったら地獄に落ちるとかそういう霊感的な話をして寄付をさせるというようなことはいけないと言っているわけで、そういう被害者である親の子どもも本当に被害者になってしまうわけです。そのために子どもを助けるんではなくて、その子どもを守っていた親が、そういう違法な、いわば犯罪的な集団が宗教の名前を被ってやっているわけですけれど、そういう所の被害者にならないように、それで親がしてきたことを取り消しができるようにしようというのが被害者救済法なんです。
 ところが、世の中で不信心な方、宗教をあまりしっかりと理解していない方、あるいは親と子の関係が希薄な方からすると、この被害者救済法を、親が何はともあれどこかに寄付をするということ、お寺に寄付をしたり教会に寄付したりすること自体をとらえて、そういうこと一切について、子どもであれば全部返してもらえるんだという風に誤解している人がいます。この法律はそういう法律ではなくて、この法律は「この教えを信じないと地獄に落ちますよ」とか「これを買わないと一家が悲惨なことになりますよ」といったありもしないことで脅迫をして、あるいは相手を不安に陥れて献金をさせてはならないということが書いてあるわけです。弁護士の立場から言うと、普通の法律でも人を騙してお金を取るのは全部犯罪ですし、返してもらえるわけですから、殊更に法律を作らなくても十分に対応できるわけです。ただ、安倍さんの一件もあって、旧統一教会の被害者を救済するための法律でも作らないと到底世論が収まらないということで、時の政権与党が急ごしらえでとりあえず分かりやすい法律を作った、というのがこの被害者救済法なんですね。

2.宗教2世について
 そうすると、先ほど申しあげた宗教2世というのは、宗教そのものが悪いんではなくて、親が騙されて被害者になったためにその親の財産を全部、いわば教団に奪い取られて、そのために子どもがまともな生活ができない、こういうことを防ごうということなんです。ところが今までの旧来の家の信仰、それぞれ家のお寺も檀家もそうですけれども、これは親自身も代々、あるいは親自身が納得してその信者さんになったり檀家になったりしたわけですけれども、そういう親については、その子どものためにと親がお墓を買う、あるいは葬儀をする、あるいは法事をする、年祭をするといったようなことについて、子どもは別に被害者でも何でもない。ですから普通の信仰については今回の宗教2世という言葉は全く関係がないんです。ところがついつい信仰をしていない、親子の縁が薄い方にとっては、親がどこかに寄付した、あるいはどこかの教会にお供えした、どこかのお寺にお供えしたものについてこれを全部取り返すことができるという誤解をしている向きが結構あります。テレビなんか見ていると思いますが、この法律はそういうものではありません。
 私で言うと、私は宗教2世です。2世というか3世か4世か分かりませんけれど、親代々の信仰です。何となく疑いを持ちながら、でも親を見ていると親が本当に幸せそうだし、この親は神様のお陰で今日があると非常に喜んでいる。子どもながらにそれを見てああこれはきっと良い神様なんだろうなあということで、親に言われたから最初は仕方なくやる。今日だって、もしかしたら仕方なくおつとめを手伝ってくれた人もあるかもしれない。それはあくまでも2世。ところが、その人たち、私も含めて、その親から譲り受けた信仰をしっかりと勉強し学んでお話を聞いて、私は心を作るために、心の成人をするために、人間として一回り大きくなるために、そして自由にならない身体を神様から自由にしてもらうように、自分の信仰として本当に信じていこうとなった時には、実はその人はその時点で初めて宗教1世になるんです。自分自身が信仰したことになるんです。人の信仰、親からもらった信仰だけではなくて、こういう教会に来ておつとめに参加をして、その中でこの教えはどういう教えなんだろうと学んでいって、「なるほどこの教えを信じよう」と思った時に、初めてそういう自分こそが宗教1世になるんです。

3.宗教1世になる
 私もそういうことがいっぱいありました。長いお話になりますので今日は簡単に申しあげますけれども、まず私も最初は天理教をそれほど信じていなかった。ただ親がやっているから信仰することになった。しかし教えが素晴らしい。本当にすごい教えだなあと大学時代にいろいろな先生たち、天理大学の先生も含めて皆さんから習ってきた。でも今一つなるほどとピンとこない。そういうピンとこない私に、神様が教えてくれました。
 例えば長男が生まれた時、長男が泣いても涙が出ない。涙管がふさがっていたのです。それで出産した病院では「お母さんは退院してもいいけれど子どもは残していけ。涙が出るまで入院させる」と言われて私と家内で教会に帰ったら、会長である母親にこっぴどく怒られて、「涙が出るまでただ置いておくだけなら、子どもをすぐ連れて戻してこい」と言う。「いや、先生がこう言ってるから退院できないんだけど」と言っても「ダメだ」と。それで子どもを仕方なく病院から連れてきて、母親、会長がおさづけをしてくださった。途端に長男がわーっと泣き出したら涙がポロポロ出るようになった。「すごいなあ、おさづけは効くんだなあ」と思いました。
 そして次男出産の時には、私の家内が育児ノイローゼになりました。静養のために弘前に帰して、弘前の病院で入院し通院していた。その時に私が弁護士として独立をするために貯めていた資金を、母親、会長が「それをお供えしたらどうか」と言うんです。これが強制ならまさに旧統一教会の寄付と同じですよ。私は、お供えしないで後悔するのも嫌だからと思ってそれを全部お供えをした。大教会に持って行った。その大教会の帰りに、本心ではお供えすることに納得できていない私は、せっかく一生懸命貯めていた独立資金を出さなきゃいけないんだろうと思ってムカムカして帰ってきた。そうしたら家に電話があって、大教会にお供えしたちょうどその時間にですね、家内が突然ゲラゲラ笑い出したというんです。次男を産んで鬱になって以降、笑うなんてことは全く無かった家内が笑ったのです。産後の鬱(ウツ)ですから、鬱の人間が笑うというのは治った証拠なんですね。ゲラゲラ笑い出したということで、お供えをしたその時間に見事に御守護いただいて治ったんですね。その時、これは神様いるんだなあ、と思いました。
 最後は三番目の娘の時。出産後、大学病院の教授が「お父さんちょっとこの聴診器聞いてごらんなさい」と言うので生まれたばっかりの娘の心臓の音を聞いた。そうすると「ドーン、シャーッ、ドーン、シャーッ」と、「ドーン」はまさに太鼓の音ですね。だから子どもはお母さんのお腹にいる時にこの音、心臓の音を聞いていたから、おつとめの時に太鼓が鳴っても全然起きない。なるほどお母さんの心臓の音は太鼓の音なんだと思いました。ところがその「ドーン」の後の「シャーッ」がいけない。なぜかというと心臓の壁に穴が空いている。心臓が「ドーン」と言うと、その時に血液が「シャーッ」っと出ちゃう。心臓の壁に穴が空いている。心室中隔欠損症というんだそうです。小学校の6年くらいになったら心臓の手術が必要だ、とこう言われました。それでその時にまた会長である母に言いました。次男の時にはお供えをしていますし、長女の時には何を言われるのかと思ったら、「お前、都合をお供えしろ」とこう言われましてね。都合のお供えってなんだと思った。都合のお供えはタダですから。気安く「はい」、と受けた。そうしましたら、私が仕事へ行こうとすると、母が信者さん宅へ行くのに車で送りなさいと言うわけ。ここで、「ちょっと都合が、」と言おうと思ったら都合をお供えしちゃったので言えなくなりましてね。やむなく仕事の方をキャンセルして車で何度か行きました。そうしたら本当に1か月くらいですね。また大学病院へ連れて行ったら先生が首をかしげていた。ああいけない、もっと悪くなったかなと思ったら、「聞いてごらんなさい」と。すると、「ドーン」というだけで「シャーッ」が無いんですね。先生が「治りました」と言ったんですよ。「まれにこういうこともあります。」と言っていました。私は親に言われた都合というのをお供えしただけで、子どもの心臓を手術しないで済んだと神様にお礼を申しあげました。
 それで、私みたいに天理教の信仰は素晴らしいと頭で理解していた人間が、見事におさづけは素晴らしい、お供えすると本当に御守護いただける、そして親の言うことを素直に聞けば心臓の穴もふさいでくれる、ということを体験したんです。そこで初めて私は神様はいるんだと思って本気で信じるようになったんです。それまでの信じ方はいわば嘘っぱち。形の信仰。そうすると私はその時に実は宗教1世になったんです。親の信仰ではなくて、自分の信仰ということで宗教1世になったと、こう思うんです。

4.親になるということ
 家が天理教をやっていたから仕方なくやる、中には嫁いできた夫の実家が天理教だったから仕方なく天理教やっている方ももちろんいらっしゃる。これは、今言われている宗教2世ではないけれど、それはあくまで押し付けられた2世。その中でも神様は「そうか神様はいるんだ」ということを必ず見せてくださいます。そうして初めて「ああ神様はいるんだな」と思って掴んだ時に、これは宗教1世になる。そういう風に神様は教えてくださっているんじゃないかなと私自身の体験で思うんです。ですから、今テレビで言っている宗教2世というのは、もちろん皆さん何も関係ありませんけれども、ただ落ち着いて考えれば全部○○家の2世なんです、私たちは。その○○家のしきたりを全部受け継いでいる。それを今度自分が子どもに教える時になって、「このしきたりは良かったなあ、このしきたりは伝えたいなあ」とつないでいったら、これはもう皆さん2世じゃない。皆さん1世になっているんだと。これが親になるということだろうと私思うんですね。
 ですので、いろんな環境、事情から押し付けられ、やらざるを得なくなったものであっても、それが自分自身、本当に嫌だったらきっぱりとやめましょう。ただ、自分が本当に納得して宗教1世になったならば、どこまでも人格が高まってくるわけですから、こんなに良いことはない。そういう風に考えましてね、今月は宗教2世という言葉が氾濫していて、言葉の意味が間違っているので、そのお話をさせてもらいました。ぜひ皆さん1世になって、自分が親になって他の人を助ける側に回っていただけるよう、ぜひこの教えをしっかりと掴んで、学んでいただきたいと思います。

5.神様からのご褒美
 今日来てくれたS君も見事私立中学の受験に合格しました。おめでとうございます(拍手)。受験前、彼には、神様に無理なことをお願いしても神様は受け取ってくれない。ただ一所懸命に勉強した全力を出させてください、とお願いするんだよと伝えました。彼はそのとおりお願いして試験を受けさせてもらったら、全力を出し切ることができ、念願の中学に合格できました、ということを聞いて本当に嬉しい思いがしました。この神様は、できないことをやってくれとお願いしても、決してそんなご褒美はくれません。一所懸命にやったならば、それに対してのご褒美は必ずくれる。いつも申しあげているように、自分以外の世界や人、女房も亭主も子どももお父さんもお母さんも全て「世界」です。この人たちのために尽くしていく。他人に喜んでもらえるような、他人の役に立つようなことをしていくことが「世界だすけ」です。そしてそれを喜ぶ神様がきっと皆さんにとんでもない御守護をくださいます。ぜひ信じてやってみてください。

6.大教会長様ご巡教
 そして来月3月12日の月次祭は、大教会長様がご巡教にわざわざ日帝分教会に来てくださいます。日曜でもありますし、一人でも多くの方に大教会長様のお話を聞いていただけるよう、ぜひ皆さんに来ていただきたいと思います。

 寒い日が続きますから、またしっかりと健康に気をつけていただいて、3月また元気にお会いしましょう。

 今月はどうもありがとうございました。

2023年02月19日