2023年(立教186年)10月秋季大祭神殿講話 ~お供えの意味~

1.秋季大祭
 今日は10月26日大祭です。大祭というのは皆さんご承知でしょうが、天保9年、1838年、今から186年前の10月26日に天理教が始まったという日です。10月23日から教祖に神様が降りられまして、そして中山みき様を神の社にもらい受けたいという仰せでした。家の者、親戚の者、本当に困り果てて、神様にどうか戻っていただきたい、お帰りいただきたいと言ったんですけれど、神は頑として退かない、みきを神の社にもらい受けぬ限りはここを退かないということで、三日三晩家の者、親戚の者とのやり取りがあり、10月26日朝8時、みきを神の社に差しあげますということで中山みき様が神様の社になりました。
 そしてその後50年、明治20年に至るまで教祖は、この教えどおりに道を通られました。中山家の家を、母屋を全てとりこぼち、そして持っていた田畑を全部質に出し、そしてそれで入ったお金を自分たちが使ったのではなく全部人に施された。ある時は門口で赤ん坊を背負った女性の物もらいがいたので、その人にはお米をあげた。ところがその背中にいる子どもにはなにもやっていない、と言ってその子どもを下ろさせて教祖は自らの乳房を含ませておっぱいを与えた。そういう50年にわたる教祖のひながたがあって、この天理教の私たちはひながたの道を通る。

「ひながたの道を通らねばひながた要らん。(中略)ひながたの道より道が無いで。」(明治二十ニ年十一月七日)

 教祖と50年間同じ道を通れ、同じことをやれということではなくて、神様の心をもって人様を助ける道、人様に喜んでもらう道、というのをひながたの道と言います。そしてその50年分通らなくても、このわずか3年間、年祭までの、今年の1月26日から3年後の1月26日までの3年間を一所懸命、教祖の心を胸におさめて、それを通ってくれれば50年分に受け取ってくれる、という風におっしゃっています。
 これまでも皆さん、そういう風に生活されてきたと思いますけれど、特にこの3年間、人のために自分の時間や身体を使う。そして言葉も使う、ということをぜひやっていただきたいと思います。人のためというのは世界のためということです。人のためというのは、自分の親であっても自分の子であっても自分の嫁さんであっても、何か一つ喜ばせることをしてあげるということ、これが非常に大切なことで、それを3年間意識してやってみようということです。天理教はまさに教祖一人から始まりました。それが今百何十万人もの信者さんがいて、年祭の都度世界中に広がっています。それを見ても教祖一人から広まったこの道の年祭が3年後に来る、ということでどうかこの3年間、一所懸命心を使って身体を使って、ぜひとも御守護いただけるようにしていただきたいと思います。

2.旧統一教会の解散命令
 一方、世間では、明日か明後日に、旧統一教会の解散命令というものが裁判所に請求されるとのことです。宗教の解散命令というのは、実はオウム真理教に限らず、天理教も受けました。内務省の秘密訓令で、教祖が身を隠された明治20年以降、大正・昭和になっても、天理教がどんどんどんどん広がっていく。天理教は人は皆平等だと言っている。天皇も何もかも全部神の子で平等だと言っている。これは時の政府にとっては非常に都合の悪いこと。そして天理教を潰してしまおうという秘密訓令というものが、今のように表立ってではなく密かに訓令が出て、そのために天理教は、みかぐらうたの歌も全部変えられました。「一ッ ひのもとしよやしきの つとめのばしよハよのもとや」。「ひのもと」、日本の「つとめのばしよ」、つまり日本のおぢばはこの世の元である、世界の中心であるということがみかぐらうたにありますけれど、これが時の政府にとっては非常に都合が悪いということで、それを全部歌ってはならない、ということになりました。12下りの内で、歌えるのはわずかに1下りか2下りしかないというような時代の中を通り抜けてきて、そして昭和20年8月15日の終戦以後、そういった過去のものが廃止されまして、今の憲法によって信教の自由、信仰の自由というのが認められてようやく元に戻ったんです。それを復元といいます。元に戻ったということ。
 ですから、昔の先輩方は、今日のようなおつとめも自由にできないし、神様の言われたとおりのお歌も歌えなかった。それが今当たり前になっている。(私も今日間違えてしまいましたが)当たり前なのにそれを間違っている。昔の方は歌いたくて歌いたくて必死に覚えたんです。本は没収されて全部無いわけですから。自分の頭の中だけでみかぐらうたを歌い、密かにおつとめをしていたという話も聞いています。そして復元になって正々堂々とできるというので本当に皆さん神様のお陰ということで喜ばれた。もっとも復元というのは昭和20年8月15日以降ですからね、その頃に生まれている方もここにはいらっしゃいますけれど、天理教がこういう風におつとめができるようになったのはわずか終戦後の昭和になってからの話だということを、この機会に理解していただきたいと思います。
 そんな中で旧統一教会と天理教がどこが違うか。天理教は政府から、みんな神の子で平等だ、一列兄弟で高い低いがない、これが時の政府に都合が悪いということで教えが潰される。ところが、旧統一教会のやっていることに対しては、旧統一教会の被害者のための救済新法というのができました。法律に、目に見えない超能力をもとに、これを信じないと、これを行わないと、指示に従わないと不幸になるということを言って集める寄付は許されないということが書かれました。つまり、人間というのはついつい心が弱いですから、困った時に何かにすがる。そんな時にたまたま旧統一教会に呼ばれた、あるいは今は解散されましたけれどオウム真理教というのもあった。そうするとそこではお金を出さないと、あるいは出家してここにこないと不幸になるという教えなんですね。だからお金を出さないと不幸になる、とんでもない災いが起きるというから、みんな怖いから、人によっては何億円も巻き上げられたというようなことがあって、それを理由に、今回宗教としてふさわしくないということで解散請求されるということになりました。

3.お供え
 でも天理教もお供えさせるじゃないか、と言う人が中にはいます。しかし、天理教のお供えというのは、あげないと不幸になるというお供えではありません。そしてまたいくらあげなさい、ということも天理教では言いません。神様からありがたく身体を貸してもらっている。天理教の基本教理はかしものかりものですから、神様から身体をお借りしている。お借りしているその身体で、本当に楽しく美味しく食べられたり旅行に行ったり遊んだり歌ったりできる。そしてまた友達もできる。そんな健康な身体を貸してもらったことに対して神様にどういうお礼をいたしましょうか、と教祖にたずねた時、教祖は、自分が助かったことを困っている人に話してあげなさい、というだけであって、お供えしろなんていうことを一言も言っていません。
 自分の身体を神様のために使うというのは、これはひのきしんです。ひのきしんというのは、神様に対するお礼として自分の身体を使う。ですから、自分の健康な身体をつかって何かひのきしんをさせてもらう。ひのきしんというのは人様を助けることもそうです。ところが、仕事などで忙しくてひのきしんする時間がない人は、ひのきしんできなかった分だけ、その分だけの働いて得たお金をひのきしんの代わりにお供えをするということで、これはお金が目的ではありません。人のために働くということを目的にした行為が、天理教でいう「お供え」ということになります。だから「つくし・はこび」と言いますね。
 「つくし」というのは、なにもお金を尽くすことだけじゃありません。お金を尽くす。身体を尽くす。心を尽くす。すべて「つくし」です。そして、教会やおぢばに運ぶ、この身体を運ぶ。これが大事。お金は生きている時間を働いた対価として得られるものです。すなわち、命に代わるものです。運べない方は、他の所で働いた分で得られた、命に代わるお金ををお供えし、「はこび」とする。こういうことであって、お供えをしないから不幸になるなんていうことは絶対にありません。ただ、私たちは幸せになるためにお供えをさせてもらう。そのお供えを受けた教会や本部は、それを人だすけのために使う。今、私たちがこんなに幸せなのは神様のお陰です、ということでお礼としてお供えをさせてもらう。そこが違うところなんです。
 ですから、天理教は秘密訓令が新しい憲法によりなくなった瞬間、もとにきちんと戻りました。しかし、旧統一教会は戻ることはありません。解散させられそうです。解散というのはどういうことかと言うと、国から宗教法人として扱ってもらえないということです。宗教法人というのは、税金なんかが非常に軽減されています。そういう宗教法人としての優遇が一切無くなるということです。解散になっても、個人個人が旧統一教会の教えを信じて行動することは、信教の自由があるので可能ですが、税金面などでの優遇が一切なくなります。これまで旧統一教会として活動してきた人たちにとっては、布教等の面で非常に困難な状況に陥ります。
 そもそも、なぜ宗教法人が優遇されているかというと、宗教は世のため人のためにあるものだから。この教会は、人を助けるためのところだから、ここには税金がかからない。なので人を助けないで自分ひとりだけでただで住んでいて良い家なんていうのは、教会ではありません。人のために一所懸命おつとめをし、人のために集まってもらって人のために教会を使っていただく、これが宗教の、教会の意味です。
 そういうことで今回旧統一教会が解散命令というのを出されますけれど、これは昔の天理教の教理が、時の政府にとって都合が悪いからというのと違って、宗教団体としてそもそも憲法で信教の自由があるのに、にもかかわらずそれが認められないほどひどいことをやっている、ということに対する解散命令です。天理教が一時抑えられたのとまったく意味が違う。
 そんなことで、そういうことを理解していただき、ぜひこの10月の立教の日に、教祖に親神様が降りられ、世界助けるために天下った、という風におっしゃっていることの意味を改めて考えてください。今、世界を見るとまた戦争が始まっている。そしてどんどん人が死んでいる。これについて我々は無力のようだけれど、やはり祈る力が一番強いと思います。なんとか皆さん、一刻も早く戦争が終わり、世界の人たちが戦争の苦しみから解放され、心穏やかに過ごせるよう。また、病んでいる人が一刻も早く助かるよう、ぜひここで祈っていただきたいと思います。

4.100周年記念祭
 来月11月12日に、日帝分教会の100周年記念祭をさせていただくことになりました。今、色々と準備を重ねておりますが、そんなこともあって今月の月次祭で初めて椅子で祭典をさせていただくことになりました。脚が悪くて座れない、正座できないという方でもおつとめができるようになりましたので、どうか皆さん、11月12日には全員でおつとめができるようにしていただきたいと思います。
 この天理教日帝分教会、初代の髙宮先生から始められて、今日まで100年間続いてきました。100年という時間は大変なことだと思います。そんなことでぜひ楽しみにしながら、来月12日には皆さん揃ってお出でいただきたいと思います。

 本日はありがとうございました

2024年02月03日