2020年(立教183年)8月月次祭神殿講話 ~「元」と「原因」について~

 ただいまは、8月の月次祭を賑やかにおつとめいただきました。
 コロナ禍の中、それぞれのご自宅でおつとめしてくださっている方も、車でおいでになった方もいます。また、少年会も夏休みで参加をしてくれました。神様には皆さんの真心をお受け取りいただいているのではないかと思います。それでは、しばらくの間お付き合いください。

1.はじめに
 本日も含め、ここ最近は40度近い尋常ではない暑さが続いております。また何よりも、新型コロナウイルスというものの感染力の強さも、当初は暑くなれば収まるだろうなんてのんきなことを言っていましたが、むしろ暑くなって寒い時よりも猛威を振るっているような様を見るとですね、昔の方たちが天然痘やコレラといった色々な疫病に苦しんでこられたことを改めて思い出すいい機会になったのではと思います。
 もちろん、今この40度にもなる高温も、あるいは新型コロナウイルスというのも、なぜ病気にかかるかというのも全部仕組みは分かっています。仕組みは常に分かっている。これは言葉で言えば「原因は分かっている」。ウイルスによるもの、太平洋高気圧によるもの、といって原因は分かっている。しかし、神様のお話では、

「元を知りたるものはない」

というお話があり、みかぐらうたにも、

「よろづよのせかい一れつみはらせど むねのわかりたものはない しらぬがむりでハないわいな このたびはかみがおもてへあらハれて なにかいさいをとききかす」

と、こういうお話があります。つまり、我々は原因は分かるけれども、「元」が分かっていないのではないかなということで、ちょっとこのことについて今月はお話をさせていただきたいと思います。

2.知恵の仕込み
 ある大学病院の教授をしているお医者さんと食事をしている時に、実は数日後に仏教のある宗派の主催で臓器移植についての対談をするんだ、と言われました。「誰とするんですか?」と聞いたらば、宗教学者、皆さんも知っているような非常に有名なS先生と対談をするということを聞きました。私も天理やまと文化会議という所で臓器移植の教理的な研究をしていましたから、すぐピンときました。おそらくその宗教学者の方は「臓器移植というのは神様、仏様の摂理に反して許されないこと。それを人間が勝手に臓器のやりとりをしている」というようなことをきっと言うに違いない。ということで、私は天理教の元始まりの話をもとにしてこういう風にお話したらいいですよ、とその先生にお話をしました。
 元始まりの話を皆さんちょっと思い出して欲しいんですけれども、この親神様は、人間を作った時に、色々な道具を集めて人間を作った。人間を作ってから、九億九万年は水中の住まい、六千年は知恵の仕込み、三千九百九十九年は文字の仕込みと教えられました。この文字の仕込みというのは学問です。その学問が短くて三千九百九十九年。それよりも知恵の仕込みというのが六千年もある。これをですね、話したらどうかとお話をさせてもらいました。
 つまり、神様は文字の仕込みということで、、臓器移植をすることも含め、すべて神様が与えてくださった人間に対する能力であり、学問なのです。ただ、その能力•学問を使って、臓器移植をするかしないかということについては、正に人間の考え方ひとつである。つまり、臓器移植を研究すること自体は、神様から人間に許された能力•学問なんだ、そして、それを使うかどうかは知恵なのだということをお話しされたらどうでしょうかとお伝えしました。
 そうしましたところ、数日後にその先生から連絡がありまして、その先生は非常に喜んで「勝った勝った」と言っておりました。まあ、勝った負けたの議論ではないと思うんですけれども、とても喜んでいました。理由を聞きましたら、やはり私が想像したように、宗教学者というのは「臓器移植なんていうのは非常におぞましい、嫌なこと」だと。そんなことを医者が研究しているということでお医者さんを倫理的に批判をするつもりで来たらしい、と。ところが、神が人間に臓器移植をするという研究の知恵を与えてくださったんだということで神様を持ち出したらば、その宗教学者は何にも言えなくなっちゃってね、ということで非常に喜んでいました。
 繰り返しますが、これは決して勝ち負けの話ではありません。けれども、そんな学者同士の話であっても、この元始まりのお話、元の理というのはしっかりとした真理でありますから、決してぶれることはない。

3.原因はわかっている
 そんなことから考えますと、新型コロナウイルスというものについて、どうしてこれがこんなに強いのか、あるいはどうしたらこれを撲滅できるのかという研究を世界中の学者・お医者さんがしています。これは学問の世界の話。皆が病気にかかるのはこのウイルス。しかもこのウイルスは今までと違った新しい型のウイルス。だからこのウイルスを止める薬はまだない。このウイルスを止めるにはどうしたらいいのか、またこれにかからないためにはこのウイルスからワクチンを作らねばならない。と、これは正に学問の世界ですね。だから原因が分かっている。原因が分かるというのは顕微鏡で調べれば分かる。この猛烈な高温もそうです。なぜかというと、地球の温暖化から始まって、海水温が高くなって、そこに高気圧が張り出してきて、こういう猛烈な高温になる。これも原因は分かっているわけです。だから人間はその原因を突き止めて治そうとする。実は、普通の人のやることはそこまでなんです。
 私たちは、神様を信仰しています。信仰しているということは、原因は学問の力で分かる、しかしその学問の前に知恵がある。つまり、神様はなんでこんな厄介なウイルスを私ども人間に与えたのだろうか、あるいは何でこんな高温を人間に与えたのだろうか。これの思案が、我々が信じている信仰の「元は何か」ということを思案することなんです。ついつい人間は、原因さえ分かれば、原因さえ止めればもうそれで治ったと思う。しかしそれでは実は全く変わらないのです。

4.「元」を理解する
 私の母である前会長から、以前こういうことを言われたことがありました。私が病気になって病院に行って、薬をもらって飲んで、病院に何日か通って、仕事を休んで、治った治ったと喜んでいました。そうしましたら前会長から一言、「お前それじゃ病み損だぞ」という。病み損とはなんだ、病気に損も得もあるのかとその時は思いましたけども、よくよく考えてみたならば、病気というのは神様が私の心をなおすために送ってくださったメッセージ、手紙なんですね。そうすると、私が先ほど申し上げた、風邪をひいた、あるいは私は喘息持ちですから喘息になった、ということに関して、薬をもらって治ったということは、これは原因が分かったからその原因をなおしただけ。しかし、その元である神様は何で私に喘息を与えたか、何で私に風邪をひかせたか、これを理解しないと、「他の人は病気をしない人もいるのに、お前は病院に行き薬にお金を使い、それで治った治ったと喜んだら、やらない人もいるんだから、変わらない人もいるんだから、お前は病み損だぞ」と、こういう意味なんですね。
 つまり、病気になった時にその自分がなぜ病気になったのか、なぜ手引きを神様からいただいたのかということを考えて自分の心をなおす、それが「心の成人」とこの教えでは言われます。その「元」、原因ではなく神様の思し召しというものを理解することで、一つ人間の人格が上がるのです。そうしないと、お金も時間も使って病院に行っているのに、また少し経つと元どおりの病気にかかってしまうでしょう。これでは病み損だぞ、という意味だったのだなということがやっと分かりました。
 そのように考えますと、今回のコロナにしても、高温にしても、これらの原因はみな分かっている。しかし、その元になるところで、なぜ神様は私たちにこんなコロナだとか高温だとかをくださったのだろうか、ということを考えなければいけない。これが「元」ですね。

5.わが身中心の考え
 これはもう以前に何度か詳しく申しあげたので、本日は簡単に申しあげますけども、コロナというのは、神様が

「なさけないとのよにしやんしたとても人をたすける心ないので」
(第十二号九十)

ということで手引きとしてくださったということがおふでさきにあります。つまり、コロナというのは人間が今や世界中、特にひどいのが大国と言われているアメリカとか、自分中心でやっているブラジルとかひどい状態になっている。日本も今ひどくなりつつあります。これは何かというと、神様から見ると自分中心、自分の国だけさえ良ければいい、あるいは自分の家だけさえ良ければいい、自分さえ良ければ、他の人が罹ったって自分さえ罹らなければよい、と言って自分だけガードしていても、周りがどんどん罹ってきたら、そういう訳にはいきません。
 つまり、その時に人を助ける心、神様が人を助ける心を持てよ、ということでこのコロナを人間に与えたのだということが、おふでさきに書いてあります。
 コロナとは書いてありませんけども、

「やまいとゆうてさらになし」
(第三号百三十八)

という言葉で言われています。
 我々は今、コロナをいただいたということは、人を助ける心が皆乏しくなっているんじゃないのかということを神様から言われている。それにこの高温です。高温も太平洋高気圧、あるいは水温が上がった、という原因は分かっています。なぜ上がったのかというと、これは皆が勝手なことをやって、勝手に便利で電気をいっぱい使い、あるいはポリ袋をいっぱい使い、そしてそれを燃やし、石炭、石油、ガス、そういうものを燃やしてどんどんどんどん地球を暖かくしている。それによって水温が上がって気温が上がってきてそれでこういう猛烈な温暖化、あるいは猛烈な台風、猛烈な大雨、というのをもらっている。

6.神のからだ

「だん/\となに事にてもこのよふわ神のからだやしやんしてみよ」
(第三号四十)

というおふでさきがあります。この身体は神様の身体なんだ、よく思案しろ、と。この地球は神様の身体、我々は神様の身体をお借りして生活している。そうすると、その神様の身体をお借りして生活しているということの有難さ、謙虚さ、それらを忘れてついつい便利なことに走る。自分中心に物事を考える。地球の環境を汚す。これはもう簡単です。日常で使った油をそのまま流してしまったら、下水が汚れ環境が悪化します。その他食べ物でもなんでもそう。あるいは包装紙、いっぱいあるものをどんどんゴミでぽんぽん捨てる。これも全て環境を悪化させます。そうすると、それは神様の身体を汚しているのと同じだよと。それで今、この暑さが返ってきてる訳ですね。神様からの手紙をいただいている。そうすると我々は、太平洋の高気圧の勢力が強まったとか、水温が上がったとかで考えるのではなく、神様がなぜこんな過去に人類が経験したことが無いような暑さをくださるのかということを考えなくてはいけない。暑いのは氷でしのげたからよかった、クーラーでしのげたからよかった、というのでは、先ほどの病み損と全く同じです。お金をかけてクーラーや冷蔵庫をいくら使ったって、それではなにも解決しません。同じことの繰り返し。心をなおすこと。この環境を、神様の身体を汚さない、環境にとってよいことを、自分だけでもひとつ考えて、実行して、何かを良くしていく。そういうことを考えなければいけません。

7.微力でも無力ではない
 先日、テレビでこういうことを言っている方がいました。一人ひとりが何かをすることは微力である。わずかな力である。しかし無力ではない、力が無いわけではない。正に神様は、一人ひとりの心をなおすことを求めておられるんだろうと思います。
 コロナだとか、経験したことの無い高温、大水、台風、これらについては人間一人ひとりが心をもう一度、神様からお借りしているこの地球に住まわせてもらっているのだという感謝や謙虚さを思い出し、なんとか収めていただく。そして、自分自身が神様から借りている身体を、困っている人に対して思いやりをささげる、祈りをささげるという形で尽くしていく。こういうことを、一人ひとりは小さく見える我々人間ですけれども、皆が集まってやるととても大きなことになる。
 神様は、人間一人ひとりの力を、心を見ています。せめてこの教えを信じている我々から、心を作って他の人のためにやらせていただくということを考えて、「ここまで人間が分かればいいか」ということで神様に災いを収めていただけるようにしていきたいと思います。
 この大変な中、ご参拝いただいた皆様、本当に神様お喜びだろうと思います。ただ、このお借りしている身体を大事にするということも私たちの大切な役目です。どうか身体を大事にしながら、周りにいる方々への力となるよう、一つでもいいから手助けをするということを、これからの一ヶ月かけてやっていきたいと思います。

 今月もありがとうございました。来月もまたお元気でお過ごしください。
2020年08月30日