2022年(立教185年)10月秋季大祭神殿講話 ~教祖140年祭を目指して~

 ただ今は立教の秋の大祭を賑やかにおつとめいただきました。一言お話をさせていただきますので、ご清聴をどうかよろしくお願いいたします。

1.立教の日のこと
 皆さんご承知のとおり、この10月26日、秋季大祭というのは、天理教が始まった日の祭典です。皆さんご承知でしょうけれども、今から155年前の天保9年(1838年)10月23日の夜にですね、中山家の皆さん色々身体が悪くて、教祖は腰、善兵衛様は眼、秀司様は足が痛みました。それを寄加持といって神様に平癒のお願いをする。当時はまだ天理教の神様なんて誰も知りませんから、それでいつも御幣を持って神様が降りてくる勾田村のおそよさんという巫女さんがいるんですけれど、ちょうどその日に限っておそよさんがいなかった。では代わりに女性ならば、ということで中山みき様、後の教祖に、あなたが加持台になって、ということでそれで御幣を持って据えられた。そこで近隣からお願いした修験者の市兵衛さんに神様に降りてもらうようにお願いをした。するとにわかに教祖の手がぶるぶると震えて、「我は元の神、実の神である。この屋敷に因縁あり。世界一れつをたすけるために天降った。みきを神のやしろに貰い受けたい。」という聞いたこともないとんでもない神様が降りてきた。それから皆さんびっくりして、それからなんとか戻ってもらいたいとお願いをしたんですが、まったく戻らない。23日の夜から24日になっても25日になってもそのまま夜も寝ずにずっと教祖は御幣を持ったまま座っておられる。食事もとりませんし寝もしませんから皆心配になって一族郎党、親戚が全部集まって、どうか上がっていただきたい、中山家にはまだ小さい子供もいますし、とてもとてもそういう役は務まりません、と言ったならば、「我は天理王命である。」と聞いたこともない神様の名前を言ってですね、このみきを神のやしろにもらい受けたい、神のやしろにみきを差し出してくれたならば、世界一列をたすけさそう、と。世界一列を助ける。もしみきを差し出さなかったならば、この屋敷粉も無いようにする、というように言われた。親戚は皆逃げて、もうにっちもさっちもいかなくなった。そして25日の夜も更けて26日の朝、ついに見るに見かねて耐えに耐えかねて、夫善兵衛さまが、みきを神のやしろに差し上げます、と言った。これが天保9年10月26日の朝8時です。そしてその、みきを神のやしろに差し上げますと言ったその時に天理教が始まった。ということで、天保9年10月26日、これを天理教の立教の日ということでおつとめをさせていただいてるわけです。
 そして皆さん知ってのとおり、10月26日の3か月後、50年のひながたを通られた明治20年1月26日に教祖が身を隠された。身を隠されるまでの50年間に教祖が教えてくださったこのお話こそ、我々が今天理教として、教理として学んでいるところです。
 今日皆さんが歌ったみかぐらうたも教祖が全部直々に筆をとられ、そして教祖が手ぶりを教えてくださった。こういう教えは世界中どこ探してもありません。全部教祖がきちんと残してくれた。それも単なる歌や和歌ではなくて、しっかり教えの神髄が、これさえ歌っていれば、これさえ理解すれば天理教の教えがすべて分かるということを教えてくださった。これが教祖の50年にわたる我々に対する教えのひな型ということになるわけです。

2.諭達が出される
 天理教が始まった10月26日は本部では朝8時からおつとめをされます。非常に早いです。26日は、大祭で私も行かせてもらいますけれども、今年は特に特別な大祭になります。というのは、3年後、正確に言うと3年と1か月後の1月26日に、教祖140年祭が来ます。そしてその140年祭の年祭というのを目指して、真柱様が神様の名代として諭達を出してくださる。その諭達第四号を今度の10月26日にご発表いただくということになりました。
 先ほど祭文でも読ませていただきましたけれど、「心待ちにしております」という諭達第四号、神様が私たちに三年千日のこの140年祭に向けてどういう心構えでいったらよいかということを教えてくださる、ひとつの目印になることを教えてくださる。来月から皆さん一緒に諭達を読むことにしたいと思いますけれど、この三年千日という意味を考えてもらいたいと思うんです。

3.三年千日
 先月も申し上げましたけれど、年祭というのは教祖が身を隠されたからといって法事をやるわけではない。教祖はなぜ身を隠されたか、春の大祭の意味は皆さんご承知かと思いますけれど、世界助けたいためのこのおつとめをやると警察に捕まる。教祖の体があるから捕まる。これでは世界助けができない、皆が自由におつとめができるようにしたい、それには扉を開いて私は身を隠して、世界中助けに回る。ということで教祖は扉を開いて自らの身を隠して、「今までとこれから先としっかり見て居よ。」「何処へも行てはせんで。」今までと同じだ、教祖はご存命のまま身を隠されて、世界中を助けてくださっています。
 その教祖の年祭が3年後にあるわけですけれど、その年祭に対してですね、年祭というのは今言ったように、助かる旬なんです。助かる季節なんです。この教祖は毎日毎日助けてくださっているけれども、特にこの10年に一度の旬というのは何か本当のお願いをする旬なんです。だから助かる旬というのをわざわざ10年にいっぺんずつ神様が設定してくださる。

「五十年の間の道を、まあ五十年三十年も通れと言えばいこまい。二十年も十年も通れと言うのやない。まあ十年の中の三つや。三日の間の道を通ればよいのや。僅か千日の道を通れと言うのや。」(明治22年11月7日

 「50年と言ってもお前ら通れないだろう、10年も無理だろう、その中の3つ、3年通れば助けてやる」という風におっしゃっている。というわけでこの10月26日に、真柱様から140年祭を実行することが発表されます。その140年祭のためのこの3年間、皆の心がしっかりと働くことによって、それで助けてくださるという助かりの旬なんです。色々な事情を持っておられる方、あるいは色々な身上を持っておられる方、これを三年千日までに必ず御守護いただけるようにとお願いしましょう。どんなことでも御守護くださる。

4.助かり方
 ただ、この助かり方というのは天理教には実は二つ助かり方がある。助かるには二つの絶対条件がある。一つはですね、人を助けて我が身助かるというのがあります。いくら拝んでもお供えしても、何やってもそれでは助からない。助かるというのは人を助けて我が身が助かる。人を助けるというのはいつも申し上げているように、自分の身の回りの人誰でもいいんです。もう一歩外に家を出た、電車の中でも人がいるだろう、そんな人を助けるのも大事ですけれど、まず家の中の自分以外の人に喜んでもらう。助かってもらう。この心を使うことだけでまず助かる。これがまず人を助けて我が身助かるという意味なんです。天理教の助かり方は人を助ける、それを神様が上から見ていて本人を助けてくださる。それが一つ。
 それとですね、助かり方。この神様というのはお願いをしなきゃだめ。神様に助けてくださいとお願いをするんだけれども、ただぼんやりと助けてくださいじゃダメなんです。どういう助かり方かというと、仕切らなきゃいけない。ここにおられる方は実はをびや許しで産まれた方ばっかり。をびや許しをいただいた方は分かると思いますけれど、をびや許しは3つ御供(ごく)さんをくれる。1つはまずすぐにいただく。これは「身持ちなりの御供」。今の身体でしっかりと赤ちゃんが収まって身が持つようにというご守護。次は陣痛が来た時に飲む。これが「早めの御供」。早めのをびやのお許し。そして産まれたらば最後に「治め、清めの御供」という身体をきれいに清めてもらうための御供さん。つまりをびや許しというのは本当に楽にすんなりと産ませてもらうんだけれども、そこには仕切って「いついつまでに産ませてください」というお願いをしなさいというのが2服目の御供さんなんです。この神様はぼんやりお願いするんじゃない。「いついつまでに助けてください。」、これが助かり方の二つ目の条件。
 つまり「人を助けて我が身助かる」ということと、「仕切って助けてもらう」ということなんです。そのために三年千日のこの年祭までにどうか御守護をくださいという、これが助かる旬なんです。今までの10月とは違って、三年千日後の140年祭には必ず参拝させてもらうから、その時までに御守護をくださいと仕切ってお願いをする。これが大事なんです。
 仕切るということに関して、教祖にこういうお言葉があります。

「日々一つどちら事情、所も同じ事情、仕切って心を定める。日々事情身上治まれば皆治まり来る。」(明治22年3月26日)

という言葉があります。あるいは
 
「仕切ってすれば、思わくの道がだん/\延びる、早い/\。」(明治25年6月30日)

 仕切ってすれば、思わく、自分が考えている、お願いしている道、「仕切ってすれば、思わくの道がだん/\延びる、早い/\。」。そして皆さんよく知っていると思いますけれど、

「どうでも一つ、仕切り根性、仕切り力、仕切り智慧、仕切りの道、どうでもこうでも踏まさにゃならん。」(明治40年5月8日

 元気が出ますよね。ぼんやりお願いしますじゃなくて、三年千日の年祭までに御守護をください、これがこの神様にお願いする助かり方なんです。人を助けて我が身が助かるということと、仕切って心を定める。これがちょうど三年千日のこの諭達第四号でお出しいただく季節なんですね。

5.喜びの旬
 そういうことで来月は諭達第四号を読ませていただくのを楽しみにしておりますけれども、特に今年の10月の大祭は140年祭に向けての三年千日の始まりだという、つまりこの三年千日通れば教祖が歩かれた50年分の守護をやるとおっしゃっているということなので、ぜひ三年千日を仕切って三年千日の間にご守護いただくように仕切って、その代わり我々も心を尽くし人様に喜んでいただく行動、行いをしていきたいと思います。
 いつも申し上げますけど、人を助けるとか人に喜んでもらうというのは世界の見知らぬ人を喜ばせるのももちろん大事、しかし何よりも自分がいつも見ている人、自分のそばにいる人、この人たちに喜んでもらう。この人たちを喜ばせる。これがまず教祖、親神様の一番望んでいることですので、どうかそういう意味でこの特に今年の10月の大祭は非常に嬉しい、喜びの旬であるということをですね、しっかり心におさめてこの10月の立教の意味をお互い考えていきたいと思います。

 今月はどうもありがとうございました。

2022年12月13日