2020年(立教183年)2月月次祭神殿講話


「大難は小難に」を喜ぶ

1.おつとめができる喜び
 ただいまは2月の月次祭を賑やかにおつとめいただきました。神殿講話をさせていただきますのでよろしくお願いします。
 毎年のことですが、私も大教会の役員に任命されまして、巡教として、毎年3箇所ずつ回らせていただいております。
 いくつか教会に行かせていただきますと、教会の内情といいましょうか、他の教会との対比ができて、私にとってはありがたいのです。今日は献撰から5人の奉仕者がおりまして、綺麗にきちんとできました。そこから始まって、祭儀の仕方、おつとめの仕方、まだ足らないところがあり、他の教会では素晴らしいところもあるわけですが、そのようにして他の教会をみながらお話をさせていただいて、自分の教会を反省するという非常にありがたい機会をいただいております。
 その中でも残念なのは、ある教会は月次祭がないんですね。月次祭は平日なんですけれども、信者さんはいないということなので、土曜日に来てくれと。教会の夫婦だけで話を聞かせてもらうということなのです。「私はあなたたちにお話しに行くのではなく、祭典に行かせてもらうのですが?」と言ったんですけど、ともかくおつとめはやっておりません、ということでした。実は去年もそういう教会が一箇所ありまして、せめてよろづよだけでもさせてもらおうということでやらせてもらいました。うちの教会は少人数とは思えない賑やかさでおつとめさせていただいておりますけれど、本当におつとめができる、ということはありがたいことだと思います。

2.教会というところ
 一方で、教会に行っても教会がひとつも天理教の話をしない、というところがありまして、一昨年に行ったところは、役員として神殿講話させていただいたところ、何年振りかで天理教の話を聞いたというふ風に言われびっくりしました。昨日行かせていただいた教会も、お話しさせていただきましたら、こうやってまとまったお話を聞いたことがないということで、みなさん神様のところに行って、神様のお話を聞かないでなにが楽しいのだろうと不思議に思ったところです。やはり教会というのは、参拝をして、心のほこりを払っていただく。そしてまた自分の悩み苦しみを全部教会に置いてまた一ヶ月がんばろうと、こういうことが教会で大事なことだろうと思うわけです。うちの教会もどこまでできているかわかりませんけど、せめておつとめはしっかりさせてもらえることが本当にありがたいことだと思います。
 そしてまた、月に一回勉強会をやっています。おつとめの理合い、おてふりの理合いをきちんと心に納めさせていただくと、信仰心がどんどん深まってきますので、教えをしっかり学ぶということは大切なことだと思います。

3.節(ふし)をいただいたとき
 昨年の本部の秋季大祭の神殿講話は、内統領の宮森先生でした。そこでのお話を要約しますと、人間は神様からいろいろと手引きをもらう。辛いこと、悲しいこと、大変なこといろいろもらうわけですけれど、その手引きについては、もらったこちら側からすると「節」なわけです。竹というのはまっすぐなところからは芽が出てこない。節というところからしか芽が出ない。それを教祖は、大変なところからこそ新しいものが湧いてくるんだ、生えてくるんだということを教えてくださった。天理教で言う「節から芽が出る」という話はそういう風に教えていただいたわけです。ついつい我々は手引きをいただくと、なぜこうなったのか、こうなったのはあの時こうしたからなのか、一体なぜ私がこんな目にあうのか、などと原因をあれこれ考えてしまう。それを宮森先生が明確におっしゃるには、節をいただいた時は原因など考えるな。自分がどうしたからこうなったなどと考えるな。節から芽を出すということはそういうことなんだ。つまり、神様が期待してるんだから、節をいただいたのであれば、次はどうさせてもらうことが神様の思いに答えることなんだろうか、と、このように考えることこそ「節から芽が出る」の意味するところなのだ。こういう風にお話いただきました。本当にあれを聞いて、この教えの明るさはそういうものなんだなぁということを思いながらお話をうかがったところです。
 
4.節(ふし)を喜ぶ
 そしてさらに、先月春の大祭では、表統領の中田先生が神殿講話に立たれました。そこでのお話もやはり「節」に関係したものでしたが、どんな節でも「大難は小難に」として喜ぶべきものなのだ、とおっしゃるわけです。もしかしたらもっととんでもない病気に罹っていたかもしれない、とんでもない状況に追い込まれていたのかもしれない。そういうところを神様がご守護くださって、こんなもんで済ませてくれた。ああ、ありがたい。と、「大難は小難に」していただいたことを心から喜ぶ。これが大事なのだということを教えていただきました。
 つまり、内統領先生、表統領先生のお話をふまえて悟らせていただきますと、辛いこと、悲しいことがたくさん起きたとしても、それを「大難を小難にしていただいた」とまず喜んで、そしてさらにこれから先この「節」をどう活かして前に進ませていただこうかと、それが一番大切だということです。
 
5.自分の風邪に不足
 そしてみなさまお分かりかと思うのですが、私、風邪をひきました。一昨日からひいております。その時にふと思いました。私は喘息持ちなのですが、毎年季節の変わり目の10月~11月に大変な風邪をひくんです。その時は病院で喘息用の薬をもらうなど大変なのですが、今年はありがたいことにまったくそんなことはなく絶好調で年を越すことができたので、本当にありがたいとその時は喜んでおったのですが、昨日一昨日いざ風邪をひいてみると、なんでこの月次祭も近いタイミングで風邪ひくんだ...と不足するわけです。しかしふりかえってみると、本来であれば大変な風邪をひかなければならないところを、神様はこんなに軽い、町の売薬を飲めばすぐ治るような風邪にしてくださった。そして、年末年始の大変な時期にひくはずの大風邪をひくことなく、2月までおさえてくださった。そのように考えたならば、本来はありがたく思わなくちゃいけないところなんです。「大難は小難に」ということがきちんと心に納まっておれば。風邪は心が冷たいからだ、不足をしているからだ、と神様おっしゃっているところ。だから温かい心であらねばならない、ということを一昨日ハタと気づきまして。この声じゃ地方もできないし...と不足していたのですが、この時期にこの程度の風邪ですませていただいた。まずはそれを喜ぶ、という大切なことをすっかり忘れておりました。他の教会で高いところから偉そうにいろいろ話をさせていただいても、自分自身のちょっとした風邪ひとつとってもつい不足が出てしまった。あぁ、申し訳ないな。人間というのはこういうものなのか、とあらためて思い知らされたところでございます。
 みなさまにも節や事情いろいろあることと思いますが、まずは「大難を小難に」していただいたことを喜ぶ。そして神様はこの「節」にどういう思いを込めているのか。自分は何を期待されているのか、次になにをさせてもらうべきなのか、という先のことを考える。神様は罰を与えるような存在では決してありません。人間に期待しているからこそ手引きをくださる。そのことに感謝して進んでいくという、信仰の初歩的なところを、こんな話をさせていただいておきながらすっかり忘れていたということです。なので今は、今日は地方ができてありがたい。こうして神殿講話もさせていただきありがたい、とそう思っているところです。こういう心持ちになることが、信仰をしているということなんだろうなと改めて思うわけでございます。

6.新型コロナウイルスのこと
 世間では、新型コロナウイルスがいろいろと騒がれているわけですけれど、一説によりますと、インフルエンザよりも症状は軽いということが言われています。ところが、みんなこれまでにさんざんご守護いただいているにもかかわらず、今回の件で心を倒したりするのでは、神様に対し申し訳ないことだと思います。神様の言葉にもあるんですが、昔はコレラ、コロリと言いましたが、これを流行らせたのは、人間に注意を促し、人間の心を磨いてもらうためにそういうものを出すのだ、とそういうお話もございます。今は新型コロナウイルスで騒いでいるわけですが、その昔はもっと大変な病気がたくさんあったはずです。それを医学の進歩で全部助けてもらった。それも神様の知恵の仕込みということなのですが、おそらく新型コロナウイルスについても近いうちに薬が出てくると思いますが、人間がおごり高ぶって慢心した時に、こういうものをくださっているのかもしれないと、まずは自らを省みなければいけない。
 12月のインフルエンザが流行り始めた時、今年は大流行するだろうという話だったので、憩いの家で予防接種をしてもらったわけですが、ところが今やインフルエンザの「イ」の字も言わなくなっちゃった。その原因は、新型コロナウイルスが怖いから、みんな手洗いをよくするようになったと。そのためにインフルエンザはここ数年で一番少ないんだそうです。お借りした身体を大切にするためにも、身の回りを清潔にして、お借りした身体に感謝しながら使うことが大事。こういうこともお教えくださっているんじゃないかなと思います。どんなことが来ても心倒さず、「大難を小難に」として感謝して日々過ごしていただきたいと思います。
 まだまだ寒い日が続きますので、十分に気をつけて。風邪というのは冷たい心、不足をするからひくのだと、前会長にもいつも聞かされていました。冷たい心を持たない。不足はしない。どんなことでも感謝する。そういう心でまたこの一ヶ月お過ごしいただきたいと思います。
 今月は本当にありがとうございました。

2020年02月12日