2026年(立教189年)4月教祖誕生祭講話 ~教祖の赤衣のお守りをいただく~
ただいまは陽気に4月の月次祭、教祖誕生祭をおつとめいただきました。誠にありがとうございました。一言お話をさせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
1.教祖誕生祭
空に五彩の雲たなびきし寛政10年4月18日、我らの教祖がお生まれになった日です。4月は、本部でも18日と26日の2回、誕生祭と月次祭がつとめられます。当教会では、毎年4月12日は教祖の御誕生祭ということで、ケーキをお供えをさせていただき、皆さんと一緒に教祖のお誕生をお祝いしております。
教祖はご存命でいらっしゃる。教祖のお話を今日はさせていただきたいと思います。
教祖は「つとめをせよ」ということを厳しく皆にお命じになり、明治20年1月26日、ちょうど今から140年前に身を隠されました。それは教祖が、身体があっては教祖はすぐ監獄に入れられてしまう。そういう心配から、なかなか人間心でおつとめができない。そんな中で、「もう命がどうなっても」という者だけがおつとめをしようということで、皆さんがおつとめをしました。それを教祖はお休みになって、本当に心地よくお聞きになられながら息を引き取られました。
「あれ、死んでしまったのかな」と皆思ったんですが、その時、本席様にお指図を伺ったところ「何処へも行てはせんで、何処へも行てはせんで。」(明治23年3月17日)、今まで通りやで。姿は見えないけれども今まで通りやで、ということで、ご守護くださるということが分かりました。
それで皆さんは本席様を通じて教祖のお声を聞いて、改めて気持ちを取り直したのが1月26日ですが、その教祖がお生まれになったのが、今から228年前、江戸時代の寛政10年4月18日ということで、4月18日は御誕生祭をやらせていただいております。
2.お守りと存命の理
実は先日、当教会のお二人の方と、お守りをいただきにおぢばに一緒に帰りました。お守りというのは、そこら辺で売っているお守りとは違います。「一代守り」「証拠守り」といって、一生に一回しかいただけない。そして、おぢばに帰った証拠としてしかいただけない。教祖が着られた赤衣(あかぎ)、その布をほどいて三角に縫って、それをお守りとしていただけるわけです。そして一生これから大切に身につけていくということで、その後、色々ご守護をいただいたそうです。その赤衣の意味を少しお話をしたいと思います。
「さあ/\ちゃんと仕立て御召し更えが出来ましたと言うて、夏なれば単衣、寒くなれば袷、それ/\旬々の物を拵え、それを着て働くのやで。姿は見えんだけやで、同んなし事やで、姿が無いばかりやで。」(明治23年3月17日)
ということで、夏には単衣、寒くなったら袷、それぞれ旬のものをこしらえて、教祖はそれを着て働いているんだと。働いているので姿は見えないだけだ、教祖がそれを着たということで、その教祖が着られた赤衣、着物をほどいて三角巾にして、お守りとしていただいてくる。
これは一代守りで一生に一回しかいただけませんが、常に教祖がお召しになられたものを私たちも一緒に身につけているということで、どれだけのご守護をいただけるか、どれだけのまた安心感が出るか分かりませんけれども、そういう意味がこの教祖の赤衣です。
つまり、赤衣のお守りがなぜ尊いかというと、
「このあかいきものをなんとをもている なかに月日がこもりいるそや」(6-63)
この赤い着物を何と思っている。中に月日親神がこもっているのだ、ということなのです。教祖は今申しあげたように姿は見えないだけ、今まで通り働いていらっしゃる。これが「存命の理(ぞんめいのり)」と言います。
この教祖の存命の理によって、私どもは教祖が神のやしろとしてお働きくださり、どこでも働いてご守護くださるんですが、特に教祖のお守りをいただければ、教祖が常に一緒にいるという安心感があります。教祖の存命の理があるからこそ、お守りがいただける。
これは以前お話し申しあげたし、「日帝分教会100年」にも書いた話ですが、前会長、羽成芳枝会長が会長になる時に、夫である私の父親から猛反対を受けました。「天理教をやるのはいいけれども会長は駄目だ」ということで、猛烈な反対を受けた。
その中で修養科に行き、教会長の講習を受けてきたわけですが、ある時その前会長がお風呂に入っている時に、肌身離さず持っているお守りを、父親がズタズタにはさみで切り刻んでしまった。
前会長はそれに気がついたのですが、「あのお守り、どこにやった?」とそしらぬふりをして聞いた。でも父親は知らんぷりしている。そこで前会長が「あんなのまた買ってくればいいんだから」と言ったら、父親は「何だそんなもんなのか」と思ったのでしょう、切り刻んだものがゴミ箱に捨ててあった。それを前会長は、涙を流しながら、かがって元のお守りの形にしたというエピソード。
これも一代守りで一つしかいただけないということから生まれたエピソードではありますが、そういう風に、このお守りというのは、いつ何時も神様がそばについてくださっている。
もちろん、お守りがあろうがなかろうが、親神様・教祖は私たちのことを守ってくれているんです。守ってくれているけれども、例えば私たちでも、親の形見をもらって身につけているとなんとなく心強い。
それと同じように、教祖がお召しになったものを自分の身につけているということで、本当に教祖を身近に感じられる。教祖を身近に感じられるということは、教祖がおっしゃったことをやはり自分が守るということなんです。
3.買ってくるお守り
お守りはお守りでも、どこかそこら辺でお守り買ってきてポケットに入れている。それで「お金を払ったからお金分の御守護をくれる」というのであれば、1000円のお守りが1000円の御守護に変わってくる。
関東地方にある、厄除けで有名なお寺に行ったことがあります。そうしたら、お祭りした神様を祀っているところと同じくらいの大きな売り場がありました。何の売り場かと思ったらお守りを売っている。家内安全、学業、学校の合格、健康、商売繁盛など、全部あって、全部揃えていくともう10万以上かかってしまう。
そういうのを見て、「世の中の人の神様の信仰ってこういう考えなのかな」と、ふと思いました。お金で買って、しかもその買わなかった分はきっと守ってもらえないわけでしょう。
4.反対するのも可愛い我が子
私どもが信じている神様は親なる神であって、この親なる神は「反対するのも可愛い我が子」とまでおっしゃる。反対している者も可愛い我が子だから大事に抱えていく。ただ、念ずる者はなおのこと可愛いとおっしゃるんですね。
私たち親でもそうでしょう。「お父さん、お父さん」とよくなついてくる、「お母さん、お母さん」とくっついてくる子はたしかに可愛い。しかし、なんとなく親にそういうなつき方をしない子供というのもいるもので、じゃあその子は毎日毎日くっついてくる子供より可愛くないような気がするのかというと、そんなことはないんです。
親というのは、子供がくっついてきてもこなくても同じように可愛い。遠くにいればいるほど、心配で心配で、可愛さがむしろいっぱいあるほどです。しかし、そばに来た子はやっぱり撫でてあげます、抱いてあげます。そういうことが「反対するのも可愛い我が子、念ずる者はなおのこと」という意味なんですね。
ですから、この神様は反対しようが背こうが、どんなことでも必ず守ってくださる。しかし、どうせ神様に守ってもらえるなら、「念ずる者はなおのこと可愛い」とおっしゃるんだから、お守りをしっかり握って「神様、どうかお願いします」と念じたらいい。それがこの信仰というものだと思います。
信仰してない人は不幸になるか、そんなことありません。信仰しなくたって神様は守ってくれる。しかし、信仰していればもっと守ってくれる。こういう風に考えて、日々の心遣いによって、心の成人ということを言いますけども、是非そういう思いで暮らしていただきたいと思います。
5.教祖228歳
今日の教祖の誕生祭は228回目なので、教祖は228歳です。こう言うと「ええっ」て笑う人がいるんですけども、存命の教祖は生まれ変わりません。教祖は存命の理で、姿が見えないだけ。教祖は毎年毎年誕生日が来る。本部でもお祝いする、当教会でもお祝いをする。こういうことで、教祖はもう常に存命のまま、姿がないままご守護くださる。姿がないから世界中に飛んでいって助けてくださる、これが親神様の神のやしろになっている教祖の働きです。
そういうことで今月は、特に教祖の赤衣、これはただ形で作ったんじゃなくて、教祖が「これを作りなさい」とおっしゃった。それで季節の物を全部作って、それを着て姿が見えないだけだということを教えてくださっているので、私も信者さんがお守りをいただく時に、改めて非常に厳粛な思いになりました。窓口でポンとくれるわけじゃありません。ちゃんと神様のお話をしてくださって、いただける。そんなことから、もしまだお守りをいただいてない方がいらしたら、いただきにおぢばへお連れしますので、是非お申し付けください。
4月は、本当に明るい教祖の誕生祭ということで、本部でも明るい月次祭が行われますが、今日のこの当教会の月次祭も、皆さん大勢の方がいらっしゃいました。是非楽しく、普段吐き出せないことを吐き出していって、それで教会を出た時にはすっきりした明るい気持ちになるようにして、困ったことは神様にしっかりと心で念じてお願いをする。そういうことで、また今月1ヶ月お暮しをいただきたいと思います。
4月29日は全教一斉ひのきしん。もし万が一、来られない方がいらしたら、その日、29日は自分の家の外でもいいですから、自分の前の周りだけでもいいですから、周りの人のためになることを一つやっていただくということを心がけていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
今月はどうもありがとうございました。