2026年(立教189年)1月春季大祭神殿講話 ~親神様、先祖のおかげ~
1.明治20年1月のこと
改めて皆さん、明けましておめでとうございます。旧年中は日帝分教会の上にそれぞれのお立場でお尽くしをいただきまして厚く御礼申しあげます。
今日は1月の春季大祭。10月の秋季大祭との二つが大きなお祭りなんですが、春季大祭というのは教祖が明治20年、陰暦正月26日に身を隠された日。教祖は御存命で生きてらっしゃるから、私たちはいつでもお会いできますけれど、人間としての姿をお隠しになられた日。それがちょうど140年前の今月の26日にあたります。そういうことで大祭の後に祭文を読ませていただきました。
皆さんもご承知かと思いますが、明治20年陰暦正月26日のことをお話させていただきます。正月に教祖は歩いて少しよろめかれた。それで皆さんがびっくりしてお聞きしたら、「これは、世界の動くしるしや。」ということをおっしゃってくださった。皆さんまだ深い意味が分かりませんから、「世界の動くしるしや。」ということでお話を聞いておりましたら、1月26日に向けてどんどん教祖の身上、身体が弱ってくる。そしてその時に教祖にうかがうと、つとめをしろ、つとめをしろ、という風におっしゃられる。おつとめをしろと。
皆さん聞いたこともあると思いますけれど、天理教が立教してから、特に明治政府になってからの弾圧はすごいものでございました。教祖は寛永10年という時に生まれたので、その当時は世の中に幕府とか政府とかということで、将軍や天皇といった非常に強い権力者がいたわけですけれど、その人たちに対して、すべて平等である、そして自分の所に来れば必ず助かる、ということをおっしゃった。それは権力者からみると非常に具合が悪いということで、教祖は立教された天保9年、つまり1838年から50年後に身を隠されるまでに18回も監獄にご苦労をいただきました。
何か犯罪をやったわけではない。人を助けたい、あるいは皆平等なのだ、一列兄弟なのだととなえたことで、18回も監獄へ行かれました。そしてその18回に行ったすべての理由が、このおつとめをしたことです。おつとめをしたことによって捕まってしまう。
そんなことから明治20年1月20日過ぎ、教祖の身上がすぐれないことから、皆さんが教祖に聞くと、つとめをせよ、つとめをせよ。教祖、法律が世の中にあります、法律で天理教はおつとめをしてはいけないんです、と言うと、
「律が怖わいか、神が怖わいか、」
という話で、教祖は一歩も譲らない。そしてその時に教祖がおっしゃったのが、
「さあ/\月日がありてこの世界あり、世界ありてそれ/\あり、それ/\ありて身の内あり、身の内ありて律あり、律ありても心定めが第一やで。」
という有名なおさしづを言われました。
どういうことかというと、月日、神様があって宇宙、世界がある。その世界の中でそれぞれの人間の魂がある。そしてそれぞれの魂に身体を貸してくれている。そして身体を借りた人間がいるからそこに法律ができる。しかし法律ができても大事なのは心定め、神様への神一条の心。法律の言うことを聞くなということではありません。本当に正しい法律は、一列兄弟で、上下の隔てがなく人々の間に隔てがない、全部平等だという、こういう考え方と矛盾しません。でも当時の法律はそうではなかったものですから、律があっても神様への心定めが第一だという風におっしゃられた。
そんな中でおつとめをするということは捕まるということですから、教祖は床に臥せておられても、つとめをせよ、つとめをせよ。しかし人間は法律に逆らうことはできません。「律が怖わいか、神が怖わいか、」というようなことでどんどんどんどん教祖の身上が悪くなる。教祖の言うことを聞かないとだめだということで、そこで初代の真柱様が「命捨てゝもという心の者のみ、おつとめせよ。」とおっしゃるんです。
真冬の1月26日ですから、現在の暦でいうと2月18日です。真冬の、特に奈良の盆地の寒い所で、もし捕まったならば大変なことになるから皆何枚も重ね着をして、捕まってそのまま監獄へ行っても大丈夫なように足袋も2枚履いて、そういう命どうなってもという方たちがおつとめをしました。
そしておつとめをする前に教祖から
「さあ/\扉を開いて地を均らそうか、扉を閉まりて地を均らそうか/\。」
ということをおっしゃられた。その時に皆意味が分からないですけれども「扉開いて」の方がなんとなく元気が良い、ということで「どうぞ扉を開いてください」「分かった」ということで、その後命どうなってもという人たちが決死の、まさに命がけのおつとめをしたんです。
そしてちょうど午後2時頃に教祖が「ウーン」と言われて息を引き取られました。皆驚いて本席様、つまり飯降伊蔵先生がいますから、飯降先生にどうしてこうなってしまったんですかと話を聞いたらば、「扉開いて、ろっくの地にしてくれ、と、言うたやないか。」と。
扉を開くということは、教祖の身体があったら監獄へ連れて行かれてしまう。それが怖くておつとめができない。そしてその日のおつとめはついに十二下りまで警官が踏み込まなかったという奇跡が起きているわけです。そしてそういうおつとめも教祖の姿が見えるからいけないのだということで、教祖は、姿は隠すけれども今までと同じやで、ということをおっしゃりました。教祖が身を隠されて、本席様を通してお聞きした神様の声です。
「さあ/\これまで住んで居る。何処へも行てはせんで、何処へも行てはせんで。日日の道を見て思やんしてくれねばならん。さあ/\これまで住んで居る。何処へも行てはせんで、何処へも行てはせんで。日日の道を見て思やんしてくれねばならん。」
「姿は見えんだけやで、同んなし事やで、姿が無いばかりやで。」
(明治23年3月17日(陰暦正月27日)
ということを教祖はおっしゃられた。つまり姿はないけれども、今までと同じだ、と。姿がないだけでお前たちを助けてやるということをおっしゃられました。それで皆は安心して勇んで、それからまたにをいがけに邁進したというのがこの正月26日、これがちょうど140年前の1月26日のことです。
そして教祖は50年もの間言うに言われん苦労をされたという風におっしゃっています。監獄に入ったり、来る方に全部施されたために、ある日はこかん様が「お母さん、もう、お米はありません。」と言った時に教祖が言われた言葉が、「世界には、枕もとに食物を山ほど積んでも、食べるに食べられず、水も喉を越さんと言うて苦しんでいる人もある。そのことを思えば、わしらは結構や、水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与え下されてある。」というように、つまり諭達を読んだときに「水を飲めば水の味がする。」とありましたけれど、それはそういう時に話された言葉。
つまりどんな中でも喜んで通ることができるんだと。食べるものがなくたって、水を飲むことができるし、水を飲めば水の味がするじゃないか、神様が結構にお与えくださっているんだということをその時におっしゃられたわけです。
2.教祖にご苦労はない
そういうことで今日は一つお話ししたいのが、実は今日のために大教会から祭文例をもらいました。その中に「五十年もの間口には言えん、書くに書かれんほどのご苦労を教祖は通ってこられた」という文章が書いてあるんです。そこで本部の上田嘉太郎先生という方との勉強会での話。その先生も非常に熱心な大変な信仰者ですけれど、その先生がふと「教祖にご苦労なんかないよ」と言われたのです。
人間から見ると監獄に入れられたり、あるいはお米がないというような時であっても、それは私たちは苦労という風に思いましたけれど、実は教祖にとっては苦労でも何でもない。だからこそ「水を飲めば水の味がする。」、よろこびなさいと言う。
また、監獄に入っている時に、通りに物売りが来た。その傍で付き添っていたおひささんという、当時10歳前後のお子さんですけれど、年寄りだからと付き添いで一緒に監獄へ行ったんです。その方に、「あれを買っておいで」と言われた。「なんでですか」と言ったらば、あれを買ってそこにいる監獄で見張っている看守さんが寂しそうで何もしていないから看守さんにあげておくれ、とおっしゃった。
つまり自分を監獄に入れている人に対してもそうやって物をあの人にあげたら、ということをお命じになった。つまり教祖にとって監獄に入るなんていうことはなんでもない。また、お米がなくても今のようになんでもない。
なんでそのような道を通られたかというと、これは二つ考え方があると思うんです。
一つは、そういう通り方、大変な中をみんな見せてくれて、人間がそういう風に、我々がなった時に教祖だったらどうされたろうかということを考えることが一つ。
あと一つの考え方は、実は私はこちらが正しいと思うのですが、50年間教祖は人類、人間、我々の苦労を全部通ってくださった。つまり身代わりに全部教祖が通ってくださったので私たちはそんな苦労をしないでいい。私はこちらの方が正しいと思うんです。教祖がもう全部苦労を通ってくださった。だから私たちはあんな苦労をしないでいいんです。
3.親神様、先祖のおかげ
そして皆さん方の親も、両親も、祖父母もそうです。その方たちが通ってくれたお陰で自分たちはつらい思いをしないで済んでいる。飢えないで済んでいる。そして元気で人様とお付き合いができる。これも全部皆さん方の親やおじいちゃんおばあちゃんが今の土台を作ってくださったんだと思うと、もうそんな苦労は通らなくていい。確かにそうですよね。
私は昭和22年生まれですけれど、戦争が終わってからでした。戦争前は本当に食べるものも口に入らなかったという苦労を聞いています。しかし私は食べるのに飢えたことはない。今日食べるご飯がないなんて言われたことがない。そうやって考えてみると、そうやって全部教祖から始まって、私たちにつながる全部の人たちが私たちのために苦労を通ってくださった。だから自分たちは苦労をしないんだという風に私は信じているんです。
ということは、私たちは今自分たちができることを一所懸命にやっていないと、子どもが苦労するようなことになったらこれは困る。くれぐれもお金を残すとか財産を残すとかいうことではありません。物の考え方、信仰を伝える。そして心の豊かさを伝えていくという、これが私たちの役目ですから、教祖のようにどんなに食べる物がなくてもその中で喜ぶ。いつも私が申しあげておりますように、どんな中からでも喜びを探す。これが実は教祖が50年通ってくださったことで私たちに教えてくださっていることだろうと思うんです。
そういうことで皆さん、今日があるのは親神様、教祖のおかげ。そして先祖様のおかげ。そして今度は自分が先祖になるんだから、子孫のために、自分の直接の子孫じゃなくてもいいんです、社会のこれからの生まれてくる子どもたちのために何か彼らが不幸にならないでいいようなことをやらせてもらう。これが教祖が実は50年間通られたひながたの意味だろうと思うんです。
教祖すごいなあ、あんな苦労をしてくれたなあ、といってそれで話が終わってはいけない。そのおかげで私たちは苦労をしないで済んでいる。皆さん方の親も昭和の戦時中の生まれの方ばかりですから、その方たちは大変な苦労をされた。そのおかげで私たちは今日苦労しないで済んでいる。これは決して自力のものではありません。神様のおかげ、先祖様のおかげ、親のおかげ。こういうことを改めてこの140年祭を機に改めて一人ひとりが今日ある幸せをじっくりと感謝して、しっかりと親神様や教祖や先祖様に向ける感謝の方向というのを一つお考えいただきたいと思います。
まだ寒いですかさらに心を引き締めて、そして年祭の喜びを胸にたたえて、この1年、しっかりとお過ごしをいただきたいと思います。
本日はどうもありがとうございました。