2025年(立教188年)8月月次祭神殿講話 ~神一条でこれ我が事~

1.暑くても喜ぶ
 ただ今は8月の月次祭、本当に賑やかにおつとめいただきました。
 先月なかなか上手くいかなかった太鼓も、お子さんがしっかりやってくれて皆を勇ませてくれました。やはり鳴り物、おてふりを覚えると人も勇ませるけれど、自分自身が本当に心が勇んできます。しっかりとおつとめを学んで、自分も皆さんも勇ませるようにしていただきたいと思います。
 今月は8月、歴史上初めてという41℃なんていう温度になりました。私の子どもの頃は夏休みは朝から野球ばかりしておりまして、朝5時くらいに起きて運動場へ行って夕方5時6時までずっと野球をして、その間おにぎり1個くらいもらって野球をする。ただ家を出る時に、今日は30℃になりそうだから気を付けなさいと言われたことをちょっと思い出しました。ということは昔の真夏というのは8月でも30℃いってなかったんですね。だからあの炎天下と言いますけれど、27~8℃の中で朝から晩まで野球をやっていてもそんなにおかしくならなかった。ところが今は30℃、40℃。これは細胞が全部壊れるそうですから、本当に暑い中大変ですけれど、これも神様のなんらかのご守護と思って喜んで通らせていただきたいと思います。

2.8月という月
 8月というと、人の命に関わる大きな事件がいくつもあります。皆さんご存知のとおり、6日は広島に原爆が落ちました。そして三日後の9日には長崎に原爆が落ちました。その落ちたことで、その年の内に亡くなった方が14万人もいたそうです。
 そして忘れもしません、今から40年前の8月12日。月次祭が終わってテレビをかけましたら飛行機が行方不明だ、と。日航機の123便、ジャンボ機が行方不明になってその日の夕方に墜落しているのが分かった。520人という、飛行機の事故としては世界最悪の事故というのが起きてしまいました。
 そしてまた最近では8月というと大洪水。今日も九州の方や石川では大変なことになっていて、線状降水帯というので大雨が降っているそうですけれど、それくらい大変な水害が起きています。
 そこでちょっと、世界のことも調べたんです。1914年に始まった第一次世界大戦で亡くなった方は、市民も兵隊さんも含めて、1600万人だそうです。そして第二次世界大戦、1945年の8月15日に終わった第二次世界大戦、これは世界中で5500万人が亡くなったそうです。合わせると、人間というのは7000万人以上が戦争で死んでいる。そんなことからもう絶対に戦争をするのはよそうということを今から80年前に決心をした訳です。その80年前の8月6日と9日落ちた原子爆弾を持っていたのは、当時はアメリカだけだった。ところがそれで皆で戦争はもうやめようと思ったにも関わらず、それからこの80年の間にアメリカ以外に8つの国が原子爆弾を持つに至ってしまいました。

3.人間の心遣い
 人間はまったく懲りていないといいましょうか、そういった中で親神様は人間の心は自由だと、心は自由に使わせていただくように作っていただいたんですけれども、その心の自由を人間に与えた時に、その人間が心得違い、陽気ぐらしの心、人を助けるという心を忘れてしまった時に、それに対して神様は手引きというものをくださる。一人ひとりの人間が、親神様がくださったこの大事な身体を誤った形で使った時には、ここを気を付けなさいよ、とちょっと手引きをしてくれて、そこでああそうか、私の心遣いはこういう風に悪かったんだといって心遣いを改める。そしてまた人間は一歩成人をしていく。これが成人の道なんです。
 ですからこの教えには病気なんていうものはない。全部神様の手引き。そんな中で今またこの長崎や福岡や熊本、あるいは石川県が昨日今日で大変な大水害。一日で50センチもの雨が降るそうです。平均して50センチならちょっと低い所へ行ったら何メートルになってしまいます。ということでそんな大変な雨が降っている。こういうおふでさきがあります。

 「このせかい山ぐゑなそもかみなりも ぢしんをふかぜ月日りいふく」(6-91)

 この世界、山崩れ、また、今で言う線状降水帯でしょう、雷が鳴ってものすごい雨が降る。そして地震が起きる。そして大風が吹く。大きな台風が来る。「このせかい山ぐゑなそもかみなりも ぢしんをふかぜ月日りいふく」。全部これは神様が人間に反省を促すためにそういう手引きをくださっているということをおっしゃっているわけですが、先ほどの話で人間は、実は80年前に反省したんです。平和はこんなに嬉しいものだ、こんなに明るい楽しいものだと実感をした。それは神様がやはり教えてくださったはずなんです。こういうおさしづがあります。

「神の自由して見せても、その時だけは覚えて居る。なれど、一日経つ、十日経つ、三十日経てば、ころっと忘れて了う。」(明治三十一年五月九日)

 神様の自由を見せてもその時だけは覚えている。皆がちょっと病んだ、苦しんだ時に神様にお願いをして、そして心を直したならばすっきりご守護をいただいた。それは神様のご守護、自由をして見せてもその時だけは覚えている。ありがたいなあ、しかしそれが「一日経つ、十日経つ、三十日経てば、ころっと忘れて了う。」。これが人間の心なんです。
 よく言われますが、「心というのはころころ変わるから心というのだ。」と。しかし神様は今のように、ころっと忘れてしまうからその都度手引きを出して心を元に戻すのだと。それが神一条の心ということなんです。
 神様を中心に物事を考える。どんなことが起きても、神様は私に何をおっしゃってるんだろうかということを考える。これが大事なことなんですが、その人間そのものが先ほど申しあげたように、原子爆弾、また、飛行機が壊れたのに、修理が中途半端だったために墜落して520人が亡くなった。一番安全だと思ったジャンボ機です。
 私事ですが、飛行機はずっと乗れなかった。51歳まで。そうしたら海外へ行くのにどうしても乗らなくてはいけないということで、練習に乗ろうということで絶対に揺れない飛行機だ、絶対に安全な飛行機だとして乗せてもらったのがジャンボ機です。本当に大きくてまったく揺れない。飛行機ってこんなもんだと思って海外の別な飛行機に乗ったら大揺れで大変でしたけど、それぐらい絶対に安全だというジャンボ機が落ちた。これも人間のわずか修理の鉄板一枚の間違いで落ちたそうです。
 ただそのお陰で大きな飛行機事故はそれから起きていない。少なくとも日本ではまったく起きていない。そういう風にして神様は一つの大変な節を見せていただくけれども、それによって次の犠牲が起きない、これが人間の進歩なんです。

4.神一条で我が事
 そこで大事なことは、それでは原爆を落とされた長崎や広島の方、あるいは今線状降水帯で悩んでおられる宮崎や熊本や大分や福岡や石川県の方たち、この人たちに神様はなんの手引きを与えているんだろうということ。これをただ外から見ているのではだめです。

「このはなしほかの事でわないほとに神一ぢよでこれわが事」(1-50)

というおふでさきがあります。神様が皆にしているこの話はどういうことに思うかな、神様の心を皆が探すように、求めるように神様の心で動いていくようにすると、世の中に見えていることはこれ全部自分の、我が事であるぞ、と。私たちの代わりにあの人たちがつらい思いをしてくださっているんだと思った時に、私に災難が来なくて良かったという心は浮かんできませんね。
 今苦しんでいる、悩んでいる人に対して自分の代わりに苦しんでいると考え、少しでも助けられることがあったらそれをやらなければいけない。直接出掛けていくことはできませんけれど、せめて一日も早く雨がやみますように、被害が少なくなりますように、一日も早く復興できますように、ということを皆さん一人ひとりが祈る。これが「神一ぢよでこれわが事」という意味なんです。見るものや聞くものすべて自分に対して神様が見せてくださっているんだということを考えてもらいたい。
 例えば、障碍(がい)を持つ子どもが生まれる。障碍の子どもが生まれて、なんでうちに生れたんだというと、そうではなくて、その人を見込んでこの人ならこの子を育てられるといって神様がその人に任せてくれた。
 あるいはなにかの因縁で、原因で非常に困った人が目の前に現れてしまう。その時になんで私の前にというのではなくて、神様があなたに期待してこの人を目の前に出してくれたんだという風に思って、目の前の方を助けさせてもらう。これが「神一ぢよでこれわが事」という意味なんです。
 だから皆さん、どんなことが起きても、あれは他人事、ということでは決してありません。全部みんな我が事。神様が見せてくれている。そして一列兄弟ですから、苦しんでいる方たちのために何ができるか。まず一番始めにできることは祈ること。それからもし余裕があれば色々な物資を送るとか、救援や救護をするということはあるでしょうが、なにはともあれ、今ひどい目にあっている方たちは私たちに神様が見せてくれた、本来は私たちがああいう目にあうことだったということをしっかりと理解をしていただきたいと思います。
 8月というのはそういう意味で人の命に関わることがいっぱい起きています。以前申しあげましたけれど、私たちは明日も生きている、来年も生きていると思っているけれども、それは単なる思い込み。その思い込みを思い込みではなく現実に生かせていただけるのは神様のお陰です。そういうことを考えたならば、一日一日が終わる度に、今日一日を無事に過ごさせてもらったことを神様に感謝する。色々な災難が起きてきたとしても、これは神様は何を私に期待しているんだろうということで神様の心に近付くようにする。こういうことでこの一か月お過ごしいただきたいと思います。

 8月まだまだ暑いですから皆さんどうぞ体に気を付けて、しかし一方で暑さに負けない身体をお借りしている、貸していただいていることに感謝をして、この一か月をお暮しいただきたいと思います。

 今月はありがとうございました。


※9月月次祭神殿講話は、会長入院のため無し
※10月秋季大祭神殿講話は、大教会長巡教のため無し

2025年12月06日