2025年(立教188年)6月月次祭神殿講話 ~天理教の三原典~
ただ今は6月の月次祭を賑やかに陽気におつとめいただきました。誠にありがとうございました。
まだ慣れていない方々が一所懸命にやる姿というのは本当に素晴らしい。こちらも必死になって私もひと汗かいてしまいましたけれど、こういう積み重ねでつながっていくこと、諭達にもありましたけれど、「教祖お一人から始まったこの道を、先人はひながたを心の頼りとして懸命に通り、私たちへとつないで下さった。」まさに私たちがこうやっておてふりをできること、鳴り物ができること、どこかで途切れたら伝わってこない。教祖がお教えくださったその教えが今日まで伝わってきたということは、その間に先人の方達がつないでくださったということにほかなりません。
このことを私たちはしっかりと学んでつないでいかないと、次の代へと伝わらなくなりますので、ぜひこれは一人ひとり心していきたいと思います。
1.斯道会の別席団参に参加
先月は教会の別席団参ということで、お二人の方に別席を運んでいただきました。後ろにポスターが貼ってありますけれど、実は今年は斯道会の別席団参というものがあります。斯道会というのは、河原町大教会をもとにしてそこからつながってきた大教会の集まりをいいます。
中根大教会ですと、河原町大教会から甲賀大教会が分かれ、それから日光大教会から分かれた中根大教会。そして那美岐大教会は中根大教会から分かれました。他にももちろん中根の系統はいっぱいあるわけですが、その大元の河原町大教会につながる大教会の集まりを斯道会といいます。
その斯道会が、第一回の別席団参を実施したわけです。斯道会に連なる中根として、当初は誰も参加予定ありませんでしたが、結局日帝からお二人も行ってくださいました。
中根では二人だけということで、中根の代表のような形で行ってもらえたので、大教会長さんが非常に喜んでおられました。また、よふぼくの方々にも参加いただき、皆さんも楽しんでおぢばがえりさせててもらいました。
今年は10月の大祭が土日にかかりますが、大祭は毎年とんでもなく人が多いところで、さらに今年は年祭を直前に控えての大祭ですので、本当に賑やかなおぢばをご覧いただけると思います。
私は皆さんが25日にお帰りになった後、26日に参拝させていただいたんですが、それこそ神殿に入るのが大変でした。ものすごい人で、中庭も全部いっぱいで。これが140年祭の当日にはどういう風になるのかと非常に楽しみでおります。後ほどそのご連絡もさせていただきます。
2.天理教の三原典
今日は初めておてふりをされた方もいらっしゃいますので、天理教の三原典ということについてお話をしたいと思います。
みなさん、三原典とはなんだか分かりますか?天理教の三つの原典。一つが「おふでさき」、ひとつが「みかぐらうた」、そして三つめが「おさしづ」です。
この「おふでさき」と「みかぐらうた」と「おさしづ」、これが三原典です。「おふでさき」は、教祖が神様から「筆をとれ、筆をとれ」といわれたので筆をとると、自然に筆が動いていったというもので、1711首あります。これが一番の原典。
そして二つ目が「みかぐらうた」です。これも教祖が全部書いて教えていただきました。そしてこれには手も付けていただいた。
そして三つ目が「おさしづ」です。諭達にもありますけれど、「ひながたの道を通らねばひながた要らん。(中略)ひながたの道より道が無いで。」というおさしづがあります。こういうおさしづが膨大な量ありますけれど、今はインターネットで全部検索できます。スマホでも全部見られます。
この三つを天理教の三原典と言います。そしてこの三つのエッセンスを一冊の本にまとめたものが「天理教教典」。ということで、天理教の三原典をしっかり覚えていただきたいんです。
3.おふでさき
まず一番最初の「おふでさき」というのは、慶応3年から明治15年までの間の18年間で書かれました。
そして同じように「みかぐらうた」。これは慶応3年から明治15年、最終的な修正をされて「いちれつすますかんろだい」と言っていたのを「いちれつすましてかんろだい」となったのが明治16年。
そして「おさしづ」。当時教祖と日常に接していた方たちは、教祖のおっしゃることを耳で聞いていて心におさめていたけれど、記録をしていなかったんです。ところがいよいよ教祖の身上が重くなり、明治20年の1月26日に身を隠されたわけですけれど、当時のみなさん、あわてて明治20年から書き出したんです。
「さあ/\一つの処、律が、律が怖わいか、神が怖わいか、律が怖わいか。」という明治20年1月のおさしづがあります。そして教祖が身を隠されてから教祖の代わりに本席さまである飯降伊蔵先生が言われたこと、これは神様がおっしゃることですけれど、飯降伊蔵先生の言われたことは全部書いてあります。これが明治40年までの20年間にわたって「おさしづ」はあります。
「みかぐらうた」、「おふでさき」は15年前後で書かれたもの。そして明治15年に「おふでさき」も「みかぐらうた」も完成をしたんですが、教祖が身を隠されたのは明治20年ですから、教祖は「おふでさき」と「みかぐらうた」を5年の間しっかりと教えて下さったんです。そのおかげで私たちは今日のおてふりで教祖の教えて下さった通りの手ができる。ということでおつとめに対してこうおっしゃっています。
「このつとめで命の切換きりかえするのや。」「一つ手の振り方間違ごても、宜敷くない。」「手がぐにゃぐにゃするのは、心がぐにゃぐにゃしているからや。」(『稿本天理教教祖伝』)
とおっしゃられました。教祖がせっかくこうやって振りなさいと教えてくださったものを、我流で振っちゃたら申し訳ない。踊りでいえば教祖は本当に家元ですから、家元の言うとおりに踊らなければ信仰していることにならない。学んでいることにならない。
また、この「おふでさき」というのは1711首あります。これはひらがなで書いてあるので「かなの教え」というんですが、実は「かなの教え」ほど難しいものはありません。色々な意味にとれるので、それぞれ皆さんがおふでさきを読みながらそれを悟っていくんですが、この悟りが正しいかどうか分からない。そういうときにおふでさきに、
「にち/\にすむしわかりしむねのうち せゑぢんしたいみへてくるぞや」(6-15)
というおふでさきがあるんです。日々に心が澄んでだんだん分かってくる。神様の胸の内が分かってくる。しかしそれは成人次第見えてくるんだ、今、私たちはまだ子どもの時代にいますから、子どもとして見えるものはわずかしかない。これが一所懸命に心を澄ませて成人すると、子どもの頃に見ていた、理解していたものの違う意味が分かる。そしてまたもっと成人すると、もしかしたら神様が本当におっしゃりたいことが分かるかもしれない。
そういうことで「かなの教え」というのは小学生でも分かるけれど、大人になって、80、90になって人生しっかりやってきた人にとっても「ああこういうことだったんだ」ということを感じることができる。これが「おふでさき」ですので、ぜひ「おふでさき」というのを身近に置いて読んでいただけたらと思います。
4.みかぐらうた
そして二番目の「みかぐらうた」。これは神様が書いてある言葉と手振りで教えてくださった。だからおふでさきのように言葉で言っても時として忘れてしまうけれど、みかぐらうたをしっかりと覚えると、例えば「ひとのこゝろといふものハ うたがひぶかいものなるぞ」という、この「うたがひぶかい」というのは神様に背いている手ですよね。そういうおてふりでみんな一つひとつ分かる。
「むね」というのは胸。「すむ」というのは胸が澄むんだから澄む。「たすける」というのは全部の人を世界中が助けるんだから下までやる。あと「みえる」というのは目の前のここだけでやる。おてふりをちゃんと教えてくださった。言葉と手振りがあって、今日初めてやった方も感じたと思いますが、心が明るくなってうきうきしてくるでしょう?まさに陽気づとめというくらいのものですから、心がいずんだならおつとめをさせてもらう。
そして特に一番、重い軽いは無いんですが、一番最初に出てくるということで、しかもおふでさきの一番目から八番目まで出てくる、「よろづよのせかい一れつみはらせど むねのわかりたものはない そのはずやといてきかしたことハない しらぬがむりでハないわいな」。
これはおふでさきでいうと「よろつよのせかい一れつみはらせど むねのハかりたものハないから」(1-1)、「そのはづやといてきかした事ハない なにもしらんがむりでないそや」(1-2)、とこういう風におふでさきにあるのを、教祖はおふでさきの最初の八つを、歌いやすいようによろづよ八首にしてくださったんです。
これはどういうことかというと、よろづよというのは神様がおっしゃっているんです。「よろづよのせかい一れつみはらせど」、世界中を見渡したけれども、私の胸、神様の思いを分かった者は誰もいない。しかしそれは今まで説いて聞かせたことがないから、「しらぬがむりでハないわいな」。ところがこの度は神が表へ現れてきた。天保9年10月26日。「このたびハ神がをもていあらハれて なにかいさいをといてきかする」(1-3)。委細を説いて聞かせたならば、「いかなものでもこいしなる」。
私は天理教のこの「恋しい」という言葉が大好きなんです。普通の宗教で神様が「恋しい」なんていう宗教は恐らく無いと思います。仏様も「恋しい」なんて使わないと思います。この神様の教えは、子どもが、親の目が離れてちょっと親がいなくなったら親を恋しがって探して泣きますね。ああいう気持ちになるんだ、というんです、この神様の教えが分かったら。委細を聞いたなら何もかもみな恋しくなる。神様を恋しくなるんだと。これがこの神様の教え。
ですから皆さん、よろづよ八首の時は、自分が神様になったつもりで、神様が人間に言っている言葉ですから、そして神様の思いを手振りできれいにちゃんと、「よろづよのせかい一れつみはらせど むねのわかりたものはない そのはずやといてきかしたことハない しらぬがむりでハないわいな」ということをしっかりと自分たちが神様になった思いでやってください。
そして一下りからはそれぞれ神様がおっしゃっていること、人間が神様に申しあげることが混ざっていますから、てをどりしながら、これは神様がおっしゃっていることか、人間が言っていることか考えながらやらせてもらう。それが神様に近付く道なんです。
そういうわけで「おふでさき」と「みかぐらうた」、これは人間に分かりやすいようにわざわざかなにしてくださった。そしてかなにしてくださったということは、子どもから年寄りまでが人生に応じて悟り方が変わってくるということです。
だから一所懸命に勉強し、一所懸命に人を助けないとその神様の本当の思いが分からない。ですから年を取るというのは本当にすてきなことであって、世界が見えてくる。ということは年寄りが読んでいるみかぐらうたと若い人が読んでいるみかぐらうたとでは受け取り方が違うんです。
だからそれを毎日毎日みかぐらうたをやっていく中ではっと、神様はこういうことをおっしゃっているのかということが分かってくるようになりますので、この「おふでさき」と「みかぐらうた」というのはこういう思いで接していただきたいと思います。
5.おさしづ
そして「おさしづ」ですけれど、「おさしづ」とはなかなか接することができないんですが、「おさしづ」の本が出ています。私は何かあるとおさしづを読ませてもらってああそうか、と非常に心が穏やかになる、おさしづのダイジェスト版があります。
「おさしづ」は全部で10巻くらいあるものすごい量で教会にもありますが、なかなか分からないんですが、そのおさしづをまとめた本がありますので、そういうものもぜひ読んで、教祖はこういう時どうやっておっしゃっているのかな、という風に読んでいただくとよろしいかと思います。
つまり「おふでさき」や「みかぐらうた」や「おさしづ」に接するということは、親神様、教祖に直接声を聞きに行っているということなんです。ですから皆さん、何か辛いことがあったり悩むことがあったら、まずは「おふでさき」や「おさしづ」、「みかぐらうた」を読むという、つまり神様に聞きに行ってください。
今、神様は声に出してくれませんけれど、おさしづの中には「神様うちの子どもがこういう病気になってしまいました」と言ってそれに対して神様のお答えが書いてある。これが「おさしづ」なんです。それとは全然関係ない時に神様が突然神様の言葉で神様のことをお話しくださるものとか、色々種類はあるんですが、「身上のさとし」といって病気を聞きに行くと病気のことを教えてくださる。
私も親からよく言われました。風邪をひくと「お前心にすきま風が通っているからだ、心で不足しているからだ、心に不足をすると風邪をひくんだよ。これは神様からの手紙なんだよ」ということを教えてもらいました。そして心にすきま風が通っているということは、きっと自分が人に冷たい言葉を出したり、自分が神様に対して不足を申しあげたりしている時にそうなるんだろうなあということで、そういう「さとし」というのはいっぱいあります。
しかしそれはその人に対してのことですから、万人に当てはまる訳ではないんですが、ただ自分たちが読んでみてそこで心にぴたっとくるようなものがあればそれを読ませてもらう。
ということで今日は天理教の三原典、「おふでさき」、「みかぐらうた」、「おさしづ」、この内の「おふでさき」、「みかぐらうた」は教祖が自ら作られて教祖が完成されたもの。「おさしづ」は教祖のものはわずかひと月しかありませんけれど、それ以後は本席様に親神様が入り込んで本席様がお話くださった。そういうものが「おさしづ」というものですので、この天理教の三原典をしっかりと読んでください。そしてまたその三原典をまとめたものが天理教教会本部が発行した「天理教教典」です。
ここでちょっと弁護士として法律的なことを言いますけれど、天理教の教会というのは宗教法人の登記がしてあるんです。天理教の登記はしているんですけれど、法人の目的というのは「親神天理王命を奉じて天理教典を原典として信仰をする」と書いてあるんです。
だから教会は、天理教の教典をしっかり読まないと教会とはいえない。そんなことで教会でも勉強会をまた再開しておりますので、そちらの方にご参加いただいてしっかりと原典に触れていただきたいと思います。
6.どんなことも喜ぶ心
東京もいよいよ梅雨入りしたそうですが、暑いのと寒いのが入り混じって体調を崩しやすい時です。こういう時こそ心で喜ぶ。「梅雨って大変だな」と不足してはいけません。
先程の斯道会の河原町大教会の深谷源次郎先生は、梅雨の時に信者さんが、「会長さん、毎日毎日雨で大変ですなあ」と言ったら、けっこう源さんと呼ばれる方なんですが、「それはけっこうやなあ」とおっしゃった。「これがまとまって降ってみろ」と。ばらばらに降ってくれるから集中豪雨にならない。雨がしとしとと毎日降ってくることですら喜べるというのを、心を作っていれば決して病むことはありません。心が豊かで心で喜んでいれば病気なんかきません。
また話があちこちへ行ってしまいますが、天理のよろづ相談所病院、憩の家の副院長をやっておられた山本利雄という先生、本部準員のお医者さんで、天理教の教会長をやっていた方がいました。その先生が舌がんになった。
舌がんになったら、「いやあ、舌がんになって本当に嬉しいんだよ」とこう言っていました。聞いてみたら、「がんというのはそもそも年寄りの病気だ、がんになるまで生かせてもらった」と言うんです。それに舌がんだったら命に別条はないから、唾液が出ないから水を飲み飲みだけど話ができる。本当に舌がんで有り難かった、がんになるような齢まで生かせてもらった、そして舌がんで良かったと言って喜んでおられました。
これが私たちが信仰している理由だと思います。いざという時に喜べる。他の人では喜べないことを喜べる。この心を作ってくださるのがこの天理教の教えですので、どうか皆さん、どこか身近な所からでも喜ぶようにしてこの梅雨を不快なものにしないようにしていただきたいと思います。
本日はどうもありがとうございました。