2025年(立教188年)12月月次祭神殿講話 ~喜ぶ理は天の理に適う~

1.信者さんのお出直し
 ただいま読ませていただきました諭達第四号。これは教祖年祭、立教189年の正月26日までの三年間のために示されたもので、ちょうど今日で36回読んだことになります。三年千日、あっという間です。そんなわけで来年1月26日には教祖140年祭がつとめられることになっております。
 その前にまず、皆さんに悲しいお知らせをしなければなりません。先月11月12日の月次祭に参拝していただいた信者Hさんが、翌日13日にお風呂場で心臓麻痺でお出直しになりました。85歳でございました。
 教会としてもすぐに行かせていただきまして、色々お供え物をさせていただきました。夕方お風呂に入ってなかなか出てこないので、後ろ向きに入っているHさんの肩を息子さんが叩いたけれど返事がないのでよく見たら、もうすでに息をしていなかったと。救急車を呼んだんですがすでに死後硬直が始まっていますよ、ということでおそらく一時間以上そこにおられたのかもしれません。
 前日月次祭で心を清められ、直会では神様のお下がりのお酒をおいしいおいしいと召しあがられて、そしてお下がりの新米も三膳も召しあがって、本当においしいと言って喜んで帰られました。もしお元気であれば、今日はふきのとうなんて持ってきてくださったかもしれない。毎年毎年、冬はふきのとう、春になるとふきを採っていただいて、教会でも天ぷらにしたりきゃらぶきにしたり、非常に喜ばせていただきました。
 長きにわたり教会に尽くしていただいたことに対して改めてお礼を申しあげるとともに、1日も早く生まれかわってこられるようお祈りしたいと思います。

2.日帝分教会の一年
 この一年間、1月は女性信者Tさんのお出直しという大変衝撃的なことがありました。そして11月はHさんのお出直し。人間は必ず一回は出直しをしなきゃいけないんだけれど、やはり身近の方、特に皆さんと親しい、本当に教会にも尽くしてくださった方がお出直しされるのは本当につらい、悲しいことですが、神様が抱えていただいているということを信じて、生まれ変わって出直してくることを信じたいと思います。
 そしてこの1年間、本当に皆さん方には日帝分教会の上にご尽力をいただきまして、高い所からではございますが、改めて厚く御礼を申しあげます。
 大教会からは、活動目標として三年千日で一千名のおぢばがえり、二百名の別席者の御守護を打ち出されています。日帝からは何人もの方に別席を運んでいただきました。そしておさづけの理の拝戴も1人、していただきました。それとおぢばがえりには毎月、11月は私は行けなかったんですが、皆さんが代わりに大挙して行っていただいた。
 本当に教会として絶えることなく一年間、毎月おぢばがえり、あえて言えばこの三年間、日帝分教会がおぢばがえりしなかった日はありません。必ず私は月に2回は帰らせてもらっていますし、団参も皆さんやっていただいていますし、後ほどきっと大教会から発表があると思いますけれど、おそらく当教会は大教会部内で一番二番の成績ではないかなと、これも皆さんのお陰でございます。本当にありがとうございました。
 さて140年祭、これは来月お話しすることになると思いますけれど、140年祭は目標ではありません。到達地点ではありません。140年祭のために心を作って、そしてその140年祭を機にまた10年間しっかりとやらせていただこう、という日です。
 教祖は、この三年千日しっかり一所懸命にやれば、教祖が通った50年のひながたの道と同じように受け取ってあげると。皆さんしっかりやったから教祖受け取ってくださいますから、これから教祖から御守護をいただくばっかりだと思います。その上でさらに今度は新しい10年間、どれだけ教祖に御守護をいただいたことを人様に伝えて歩けるかということをぜひやっていただきたいと思います。

3.50年ローンの話
 ちょっと面白い話をします。今、都心のマンションがものすごい高い。もう東京都の中古マンションでも1億円を超えたという、大変にマンションが高い。そうしたらテレビでやっていました。若いご夫婦がその1億円のマンションを買ったそうです。夫婦が2分の1ずつの50年ローンだそうです。50年。へえと思ってすごいなあと。今まで20年だったのがいつの間にか30年になり、35年まで延びてきた。それが今50年まで延びてきたということです。50年という時間をちょっと考えてみますと、いくつかの条件がないと50年ローンなんて到底成り立たない。
 一つは、夫婦が50年間生きるということ、一緒に。今日ローン契約結んだご夫婦が、これから50年間長生きするということ。
 その次に、その50年間が元気に働けるということ。夫婦共です。
 そして三つめは、50年間給料をもらえるということ。どこにもクビにならずに。
 そして四つめは、給料をくれる会社が50年間潰れないということ。
 そして何よりも大切なのが最後の五つめ。そのご夫婦が50年もの間離婚しないということです。
 つまり、50年間健康でいること、50年間生きること、50年間健康で働けること、50年間給料がちゃんともらえること、50年間給料をくれる会社があること。そして50年間夫婦が離婚しないこと。こんな五つのことが全部揃わないとローンは完済できません。まあ、最後の50年間離婚しないことというのはご夫婦のことだから、自分たち夫婦の努力でうまくいくかもしれない。しかし50年生きるとか、50年元気で働けるとか、50年お給料がもらえるとか、50年会社が潰れないなんていうのは、基本自分たちの力では何ともならないこと。つまり神様の御守護がないと成り立たない。そういうローンを、神様の8割の御守護がないとローンが成り立たないということが、今の億ションのローンなんです。
 皆さんは、「いや自分の努力でできるんだ」と言っているけれど、以前申しあげましたように、私たちの思い込みというのは、お正月は迎えられるに決まっている、そして1年間は、来年一年は死ぬことなく元気で働けるはずだ。そしてご飯もおいしく食べられるはずだ。誰もが皆と仲良くできるはずだ。という「はずだ」というものは全部思い込み。その一つが狂ったってすべての皆さん方の考えは、おかしくなってしまう。それが一番分かりやすく、50年ローンというので申しあげましたけれど、一つが狂っても全部そのローンは成り立たない。
 そういった「こんなことは当然だろう」「こんなことは当たり前にできる」という思い込みで、実は人間は毎日生きているんです。しかしその思い込みがなければ元気で生きられないから、思い込みをするのは大事。しかしそれがその通りになった、今日一日生きられた、あるいはお正月が迎えられた、そうしたらまず何よりも神様に、お正月が迎えられました、あるいは今日一日無事に過ごせた、というこういうことを毎日毎日感謝をするということをしないと、やはり神様はこちらの思い込みを実現させてはくれないんだと思うんです。

4.天の理
 そういう風に考えますと、神様の教え、我々は「天の理」と申しますけれど、天の理に適った生活をしないとすべてが成り立たない。そこで天の理というのは難しそうだけれど、実は全然難しくないんです。神様はどういうことをおっしゃっているかというと、まず天の理、神様にもたれたら、

「天の理に凭(もた)れてするなら、怖わき危なきは無い。」(明治二十三年六月二十九日)

とおっしゃる。神様にもたれていれば、怖いこと危ないことはないとおっしゃる。そしてこういうおさしづがあるんです。

「あちらでも喜ぶ、こちらでも喜ぶ。喜ぶ理は天の理に適う。適うから盛ん。」(明治三十三年七月十四日)

 喜んでいれば、皆の周りはどんどん盛んになってくるよ、と。つまり天の理に適うためにはどうするかというと、喜ぶんです。どんなことが起きても喜ぶ。喜ばせてもらう。
 先月申しあげましたが、私が脊柱管狭窄になって、せっかく別席者をおさづけ拝戴という尊いことをさせてもらったのにその晩から歩けなくなってしまって、手術が必要になるので「なんでこんなことになるんだ」と不足して(不満に思って)いたらはたと気づいた。そうだ、もし前の日に痛かったらおさづけの理の拝戴ができなかった。おぢばにお連れすることができなかった。神様は発症を待っていてくださったんだなあと。そうしたら今度は喜べるばかりです、文句なんて言うのはおかしかった、という風に考え方、心一つ、それが喜ぶから天の理に適うというんです。
 だから皆さん、神様に愛してもらう、神様に抱えてもらうためには簡単です、どんなことが起きても喜ばせてもらう。喜びの種を探すということ。それだけをやることで天の理に適う。どんなつらいことが起きても、神様は私にどういう期待をしてこういう手引きをされたのか、その手引きをしっかり考えた時に、「ああこういうことだったのか」と喜べる、これが、喜ぶと神様の天の理に適うから盛んにしてあげるということなんです。
 ということを先ほど50年ローンの話を例に挙げましたが、どんなことも神様の御守護がないと成り立たない。神様からの御守護をいただくためには、どんなことでも喜べばいい。これは簡単でしょう?不足するのは簡単だけれど、喜ぶのはちょっと難しいかもしれない。しかし喜ぼうと、どんなつらいことが起きても、その中から神様が何を私が喜ぶ種をここで見つけたらいいのかということを努力することによって、やはり神様に近付くことになるんです。
 つらいことが起きた、悲しいことが起きた時は、やはりつらい、悲しいです。しかし、その中からでも喜びの種を一つでも見つけていく。これが天の理に適うということだということを、この年の暮れに申しあげます。まだ今年は二十日間あります。三年千日のうちの貴重な二十日間、まだまだ人を助ける、喜ばせることができます。それを努力して、そして一人ひとりが喜びの種を探しましょう。これが信仰をしている意味だと思います。他の人が喜べないことでも信仰をしていたから喜べた。こんな難儀なことでも信仰をしていたから喜べた。こういうことが神様の理に適うことだということを、今日は一つお話をさせていただきました。

 本当にこの一年間皆様、日帝分教会の上にありがとうございました。急に寒さも続いておりますので、身体を十分に労わってください。
 来月の12日は当教会でも教祖の140年祭をさせていただきます。いつものように祭文を読んで、おつとめが終わった後、教祖の前で改めて教祖が140年前に身を隠されたことに対しての祭文を読ませていただくということになっております。来月12日は祝日ですので、一人でも多くの方に来ていただいて、にぎやかにお迎えしたいと思います。

 本日はどうもありがとうございました。

2025年12月29日