会長からの手紙(いちれつきょうだい)
信者の皆様へ
1.4月の月次祭のこと
新型コロナウイルスの蔓延により、世界がすっかり変わってしまいました。皆様、いかがお過ごしですか?
さて、3月に続いて4月も12日の月次祭にご参拝いただくことができませんでした。
日帝分教会としては、教会の者だけで、いつも通りに月次祭をさせていただきました。
しかし、調饌(神様へのおそなえを盛り付けること)から献饌(おそなえをすること)、鳴り物の道具を並べるところから調律まで、いつも朝早くから参拝に来てくださる皆様方がして下さったことをするだけで、それなりの時間がかかってしまいます。本当に一人一人の力が集まってこその月次祭だなあと、改めて感じることができました。
2.いつものことができなくなった
このようにいつもは当たり前のこととおもっていたことがそうではないこと、この度のコロナ禍ではじめてわかりました。
朝起きて食事をし、その後に満員電車で出勤をする。
子どもたちも食事のあと、みんなで一緒に学校に行き、授業を受ける。
家にいてテレビをつければ、モーニングショーからはじまっていろいろなバラエティー番組、相撲、野球であれば高校野球からプロ野球、バレーボール、サッカー、卓球、陸上、水泳いろいろな大会があり、天気のよい日は公園や川べりの散歩、ジョギング。
ギャンブルの好きな人はパチンコ屋や競馬場に。
休みの日は家族そろって、夫婦で、あるいは一人静かにレストラン、居酒屋、バーへ。
これが全部できなくなりました。
「ステイホーム」(家にいよう)の掛け声で、会社、学校をはじめあらゆる行事、人の集まることやお店が中止、休業。
学校に行けない子ども、会社に行けない大人がほとんどという状態になりました。
3.いちれつきょうだい
しかしここでちょっと考えてみましょう。
学校に行けない子どもは、以前からいました。会社に行けない大人も、やはり以前からいました。そのような子どもを「不登校」、そのような大人を「引きこもり」として、私たちは差別してこなかったでしょうか。
今、不登校の子どもたちは本当に心穏やかにいるということを聞きました。今、社会全体が引きこもることを事実上強制されています。
私たちは、こういうことがなければ、少数の、つらい立場におかれた方たちの思いを知ることができません。
これを機会に、今、新たにはじまった新型コロナ感染者への差別をはじめ、少数であるがゆえに差別されている方々、たとえば障害者、LGBT、アジアなどからの外国人、その他人々の心の中で生じている小さな差別をしっかりと自覚して、みないちれつは神の子であり、どんなことも仲良く、たすけ合って暮らして行こうではありませんか。
世界的な哲学者で、「ホモ・デウス」などの著者であるユヴァル・ハラリ博士は、「この危機を乗りこえるには、人々との協力と連帯しかない」と話しています。
おやさまは次のようにおっしゃっています。
「世界中人間は一列兄弟。一列は神の子供や。神からは子供に難儀さしたい、不自由さしたい、困らしたいと思う事は更に無し。」
(明治20.12.1)
「互いたすけ合いやと、口で言うばかりなら、たすけ合いとは言えようまい。真の心からの互いたすけ合いは一度に受け取る。」
(明治27.2.14)
世界中はいちれつきょうだいで、皆、神の子だ。親である神は子どもに難儀、不自由させたり困らせたいなどと思っているのではない。
皆が口先だけでなく、真実の心からたすけ合うことになれば、すぐにその思いを受けとって、どんな難儀もすっきりたすけるから、きょうだい(人間)はお互いにたすけ合いするように。(会長訳)
あらためて、「いちれつきょうだい」(連帯)と「たすけ合い」(協力)をしっかりと心に治めたいと思います。