祈りは無力か
ロシアによるウクライナ侵攻を受け、先日このホームページに掲載した「会長からの手紙」(こちら)に対し、ある信者さんから、以下のようなコメントをいただきました。
独裁、腐敗のロシアのウクライナ侵略。断じて許されない!
市井の弱い人々が追いやられ、殺されていく。何と悲惨なこと。
しかし、私たち信仰者は「平和を願い、ウクライナの人々に平穏な暮らしが戻る事を祈るのみです」としか言えず。
無力感がありますよね?
たしかに、「祈り」は一番弱いもののように見えます。
しかし、
みな、弱いもののように思うなれど、誠よりかたき長きものはない。
と言われるように、「祈り」は誠そのものです。
世界の祈りは、まず当事者(プーチン)に迷いを与えます。
そして、祈った者の誠に対して神が先回りしてくれます。
ミサイルで対抗しても、相手はますます自分が正しいとの確信を持つだけです。
これだけ情報が発達した社会では、世界が、人々がロシア、プーチンに対して何を言っているのか、何をしているのかをすぐ知ることができます。
世界から評価を受けたいから、批判を受けたくないために、自国の安全のため、虐げられている人を守るため、などの口実を並べているプーチンを見ても、世界の評価は怖いのです。
「祈り」は、ミサイルよりも強い。
ペンは剣より強し、という言葉は真実なのです。