2022年(立教185年)1月春季大祭神殿講話 ~明治20年陰暦正月26日の事~

 皆様あけましておめでとうございます。昨年中は日帝分教会の活動の上に大変にご尽力いただきました。ありがとうございました。今年もどうか一年、神様に健康な体をお借りしている御恩返しとして、皆さん方にはお心づくしをお願いいたしたいと思います。

1.世界の動くしるし
 明治20年陰暦正月26日に教祖が身を隠されました。皆さんご承知だとは思いますけれど、教祖伝にある正月から二十日にかけてのことを読ませていただきます。第十章の「扉ひらいて」というところです。
 
 このように、内外多事のうちに、道は尚も弘まってゆくばかりであったが、明治十九年も暮れ、明けて二十年一月一日の夕方に、教祖は、風呂場からお出ましの時、ふとよろめかれた。その時、伺うと、
「これは、世界の動くしるしや。」
と、仰せられた。その日はさしたる事もなかったが、翌日は御氣分宜しからず、一同心配したが、この時は、程なく持ち直された。
 が、一月四日、急にお身上が迫って來た。そこで、御休息所の、教祖のお居間の次の間で飯降伊蔵を通して、思召の程を伺うた處、

 さあ/\もう十分詰み切った。これまで何よの事も聞かせ置いたが、すっきり分からん。何程言うても分かる者は無い。これが残念。疑うて暮らし居るがよく思案せよ。さあ神が言う事嘘なら、四十九年前より今までこの道續きはせまい。今までに言うた事見えてある。これで思やんせよ。さあ、もうこのまゝ退いて了うか、納まって了うか。

とのお言葉があった。(稿本 天理教教祖伝)

 ということで、1月1日によろめかれて1月4日まで、どんどん教祖の身体の様子が悪くなってくる。そして思召しを伺ったところ、何を言ってもお前たちは分からん、ということでしっかり思案しろ、このまま退いてしまうか納まってしまうか、というお言葉をいただいた。つまり、このまま親である教祖がいなくなってしまってもよいのか、ということを言われた。これはおつとめをしろというのにおつとめをしないから。おつとめをするとすぐに、こんな教えを広めて怪しからん、ということですぐに警察が捕まえに来る。御年90歳の教祖は、なんと18回も捕まって拘留されたんですね。周りの人はそれをとてもじゃないが見ていられないから、教祖はおつとめをせよと仰るけれども、おつとめをすると教祖が捕まっちゃう、ということで皆おつとめをしなかった。人間としてはなかなかできなかった。それを見て教祖は、今まで言ってきたけれど皆聞かないじゃないか、ということで厳しく言われたんですね。

 さあ/\年取って弱ったか、病で難しいと思うか。病でもない、弱ったでもないで。だん/\説き盡してあるで。よう思やんせよ。(稿本 天理教教祖伝)

と言って、病気でもない年でもない、なんで弱っているかということがまだ周りの人は分からない。それで教祖はおつとめをせよおつとめをせよ、ということをずっと言われていました。

2.明治20年のおさしづ
 そうすると教祖に対してですね、私どもはおつとめをしたいけれど、おつとめをすれば教祖が捕まってしまう、人間は法律に逆らうことはかないません、と申しあげたら、そこで有名なおさしづが出されました。

人間は法律にさからう事はかないません。
と、申し上げたところ、

 さあ/\月日がありてこの世界あり、世界ありてそれ/\あり、それ/\ありて身の内あり、身の内ありて律あり、律ありても心定めが第一やで。

と、噛んで含めるようにやさしく教えられた。(稿本 天理教教祖伝)

 そして眞之亮様、初代真柱さまから、

 我々身の内は承知仕りましたが、教祖の御身の上を心配仕ります。さあという時は、いかなる御利やくも下されましようか、とて、根本の順序の理はよく分かりましたが、今日の教祖のお身上が心配でなりません。さあという差迫った時には、我々の心通り確りと踏ん張って下さいましようか。(稿本 天理教教祖伝)

と教祖に念を押したんですね。するとそれに対して教祖は、

 さあ/\實(じつ)があれば實があるで。實と言えば知ろまい。眞實というは火、水、風。(稿本 天理教教祖伝)

 お前たち人間に真実の心があれば、親神から真実の守護をしてやる。実というのは何か、実というものをみんな知らないだろう、「眞實というは火、水、風」。つまり親神様の心のまにまに動くんだ、ということをおっしゃられました。そしてさらに1月24日、陰暦正月元旦になっても教祖の身体が全然良くならない。

 さあ/\十分練った/\。このやしき始まってから、十分練った。十分受け取ってあるで。(稿本 天理教教祖伝)

という風におっしゃられた。神様はだんだんお前たちの気持ちは分かってきた、ということなんだけれども、もうともかく教祖の身体が心配で心配でならない。そしていよいよ最後の最後にですね、教祖に本当に最後のご相談をしました。その時に、

 成る立てやい、どういう立てやい。いずれ/\/\引き寄せ、どういう事も引き寄せ、何でも彼でも引き寄せる中、一列扉を開く/\/\/\。ころりと變わるで。(稿本 天理教教祖伝)

ということで、扉を開けばもうころりと変わるんだ、ということをおっしゃる。それでもまだ皆さんは納得できない。これ、分かりますでしょうか。我々が後から見ればなんてことはない、神様の言うことだけ信じてやればいいじゃないか、と言いたくなるけれども、その当時は教祖という御年90歳の身体が見えている。その見えている御年90歳の教祖が、おつとめをすると監獄に入れられる。そんなわけで周りの人の決心はなかなかつかないんですね。そうすると

 さあ/\一つの處、律が、律が怖わいか、神が怖わいか、律が怖わいか。この先どうでもこうでも成る事なら、仕方があるまい。前々より知らしてある。今という刻限、今の諭じゃない。(稿本 天理教教祖伝)

 今、今と言っているけれど、これは今日言っている話じゃない、諭しじゃない。昔から言っているだろう?と言うことで、ここでいよいよ一度皆が一同心を定め、おつとめにかかることになりました。

3.命捨てても
 その日の正午頃から、教祖のお身上がいよ/\迫って来たので、一同全く心定まり、眞之亮から、おつとめの時、若し警察よりいかなる干渉あっても、命捨てゝもという心の者のみ、おつとめをせよ。と、言い渡した。(稿本 天理教教祖伝)

 教祖のとんでもない姿を見て、ついに眞之亮様が、「若し警察よりいかなる干渉あっても、命捨てゝもという心の者のみ、おつとめをせよ。」とおっしゃった。つまりおつとめをするのに命を捨てる思いの人間だけがおつとめをしようということで、いよいよ、全員が揃っていよいよおつとめにかかりました。おつとめはかんろだいを挟んで行われた。そしてその間、

 とう/\巡査は一人も来なかった。かくて、つとめは無事に了った。人々にとっては、これこそ驚くべき奇蹟であった。(稿本 天理教教祖伝)

 今まではちょっと拍子木を鳴らしても飛んでくる。それがおつとめから十二下り全部をする間に神様の御守護で警官が誰も来なかった。そしておつとめが無事に終わった。

 しかし、これと立て合うて、陽気な鳴物の音を満足気に聞いて居られた教祖は、丁度、「だいくのにんもそろひきた」という十二下りの最後のお歌の了る頃、一寸變ったそぶりをなさったので、お側に居たひさが、お水ですか、と伺うた處、微かに、
 「ウーン」
と、仰せられた。そこで水を差上げた處、三口召し上った。つゞいて、おばあ様。と、お呼び申したが、もう何ともお返事がない。北枕で西向のまゝ、片手をひさの胸にあて、片手を自分の胸にのせ、スヤ/\と眠って居られるかのような様子であった。
 教祖は、午後二時頃つとめの了ると共に、眠るが如く現身をおかくしになった。時に、御年九十歳。(稿本 天理教教祖伝)



というこれが、明治20年1月26日午後2時の話です。その日を記念して、本部の1月大祭はちょうど2時におつとめが終わるように、祭典が昼の11時過ぎ頃から始まるんですね。

4.扉開いて
 そしてその教祖が身を隠されて、みんなこれで終わってしまうのかという時に、飯降伊蔵先生を通してですね、なぜこうなったのかと教祖にお聞きをしました。その時に教祖から下されたおさしづですが、

 さあ/\ろっくの地にする。皆々揃うたか/\。よう聞き分け。これまでに言うた事、實の箱へ入れて置いたが、神が扉開いて出たから、子供可愛い故、をやの命を二十五年縮めて、今からたすけするのやで。しっかり見て居よ。今までとこれから先としっかり見て居よ。扉開いてろっくの地にしようか、扉閉めてろっくの地に。扉開いて、ろっくの地にしてくれ、と、言うたやないか。思うようにしてやった。さあ、これまで子供にやりたいものもあった。なれども、ようやらなんだ。又々これから先だん/\に理が渡そう。よう聞いて置け。

と、お言葉があった。(稿本 天理教教祖伝)

 これからろっくの地にして、子供にやりたいものもあったけれど、今までできなかった。これから先だんだんその理を渡す。これがおさづけの理なんです。9回の席を運ぶと、教祖殿で教祖から直接おさづけをいただけますが、これがこの実の箱、子供たちにやろうという理なんですね。そんなわけで私たちが9回の別席を運ぶ、そしてそれからおさづけをいただく、おさづけというのは教祖が25年先の命を縮めて子供にくださる尊い理であるということを改めてこの機会に思い起こしてもらいたいと思います。

 この正月の春季大祭というのは、教祖が身を隠された、人間の世界では悲しい日ではありますけれど、実は人間の姿が居たらば「お前たちはちゃんとしたおつとめができないだろう」ということで教祖が身を隠されて存命のまま屋敷にとどまってくださる、という日がこの1月26日なんです。その理をいただいて、ただいま日帝分教会でも春の大祭をさせていただきました。そういうことで、改めて私たちがおさづけをいただいているという意味をもう少ししっかりと考えて、本当に困っている方のために少しでもこのおさづけを取り次げるように、そして困っている人に一言でも優しい言葉をかけられるように考えるのがこの月であろうと思います。
 今年一年改めて心を新たにして、困っている人を助けさせてもらう。また世の中は今コロナで大変ですけれども、人が罹っているのであって私には関係ない、ということではなく、人間の慢心した心を改めて気付けるように親神様が教えてくださっているんだという風に考え、病んだ人に対しては改めて早く助かるよう祈るし、自分たちもそういう神様からの手引きをいただかないよう、しっかりと人助けをさせてもらう。周りの人たちの手助けになるようなことを小さい所からやらせてもらう。こういう一年にしていただきたいと思います。

 今月から皆さん揃っておつとめに来ていただこうと思いましたけれども、神様の何の思し召しか、今月もおいでになれる方のみ、ということになりました。来月までに何とか御守護いただけるようにしたいと思いますけれども、御守護いただくにはただぼんやりとしているのではダメ。一人ひとりが周りの人を助けるように。いつも申しあげていますが「助ける」というのは別に何か特別なことをしなくていいんです、優しい言葉をかけ、相手の気持ちを穏やかにしてあげることでも助けることになります。どうかこれからそういう気持ちで、なんとか来月は皆さんが集まれるような御守護をいただけるような一か月としてお暮しいただきたいと思います。この一年またどうぞよろしくお願いいたします。

 本日はどうもありがとうございました。

2022年04月19日