7月
2026年(立教189年) / 中元祭

八つのほこり

 ただいまは7月の月次祭、中元祭を賑やかにおつとめいただきましてありがとうございました。

 1月に執行されました教祖140年祭から始まってなんともう半年経ってしまった。時の経つのは早いもんだということはよく聞きますけども、本当に年賀状の整理もしないうちにもう暑中見舞い、これが間もなく。今度は来年の年賀状を書かなきゃいけないということで。ついうっかり過ごしているとあっという間に過ぎてしまいます。

1.未信者の教祖のお話し

 今日はちょっと信仰の原点と言いましょうか、信仰に入ったばかりの人に対して、教祖は何をおっしゃられていたかということについてちょっとお話をしたいと思います。

 皆さんご承知の船場大教会という大きな大教会がありますけれども、そこの創始者になる梅谷四郎兵衛先生。この先生は教祖ご在世中にお屋敷に入り込まれた方です。その梅谷四郎兵衛先生に教祖は常々どんなことをおっしゃっていたかというと、こういうことをおっしゃっていた。

 「やさしい心になりなされや。人を救けなされや。癖、性分を取りなされや。」

 そして定めた精神変えなさんなということだけおっしゃった。まず優しい心になりなされよ。それから人を助けなされや、あと自分の癖性分取りなされや。そして定めた精神変えなさんなということをおっしゃられた。

 そんな梅谷四郎兵衛先生が、ある時「船場からあいつは食いつめてきたんだろう」とか悪口を言われた時にムカッとして、もうお屋敷を出ようと思った。その時に教祖の「コホン」という声が聞こえたので、それを聞いてすうっと心が収まって、お屋敷を出ずに翌朝を迎えた。

 そうしたら教祖が四郎兵衛先生のところへ来て、「四郎兵衛さん、人がめどか、神がめどか。神さんめどやで。」とおっしゃったというんです。人が中心なのか、神様が中心なのか。神さんが中心、目標やでというふうにおっしゃった。それで心が定まって布教に出られたという話なんです。

 さらにその布教に出られる前に、お屋敷に来られた方には、教祖は他にどんなことをおっしゃったかというと、八つのほこりをおっしゃったって言うんです。「をしい、ほしい、かわい、にくい、うらみ、はらだち、よく、こうまん」。

 この「をしい」というのは、自分の持っているものを出したくない。身惜しみ出し惜しみ。

 それから「ほしい」というのは、人のものを欲しがる。

 「かわい」というのは、自分が可愛い、我が家の人は可愛いけども、人は可愛くない。

 それが今度は「にくい」ということになる。人の姿を見て憎いと思うようになる。

 それからそれがお腹に溜まってきて、「うらみ」というのが出る。

 それからそれが外に出てきて「はらだち」ということになってくる。

 「をしい、ほしい、かわい、にくい、うらみ、はらだち」、そして、そういうものすべて大元が「よく」(欲)です。ああしてもらいたい、こうしてもらいたい。あれが欲しい、これが欲しい。何したい、これしたい。をしい、ほしい、かわい、にくい、うらみ、はらだち、よく、最後に、私はそんなもの持ってない、というのは、これは「こうまん」(高慢)っていうんです。

 をしい、ほしい、かわい、にくい、うらみ、はらだち、よくにこうまん、この八つのほこりをいつもいつも、教祖のもとに来る方に諭しておられた。ところがですね、こういうおさしづがあります。

 「日々八つ/\のほこりを諭して居る。八つ諭すだけでは襖に描いた絵のようなもの。何遍見ても美し描いたるなあと言うだけではならん。めん/\聞き分けて、心に理を治めにゃならん。」

 (明治32年7月23日)

 教祖は、みんなうまいこと言ってるなあ、をしい、ほしい、なんて八つのほこりのことをうまいこと言ってるなあでは襖に描いた絵のようなもので、これはならん。「めん/\聞き分けて、心に理を治めにゃならん。」とおっしゃるんです。つまり、教祖は初めての方に対しても、毎日毎日八つのほこりをお話をされていた。

2.「朝起き正直働き」

 そして、その八つのほこりをしっかりと心に治めた方に対しては改めて直かにお話をして下さった。

 例えば飯降伊蔵先生、本席様に対しては、伊蔵さん手を出しなさいと言って手の上に、3つの籾をくださって、まず一つはこれは朝起きの種、これは正直の種、これは働きの種。この三つをしっかり握っておれば大丈夫だというふうにおっしゃられて、朝起き正直働きっていうのは、飯降伊蔵先生に教祖が諭されたものです。飯降先生はそれをしっかりと守られて、誰よりも朝起きをし誰よりも正直で、そして働きました。

 働きというのは、いつかすきっとに書いたことがあるんですけど、私が仕事から帰ってくると、忙しいから疲れたと言うわけですよ。夜10時11時まで働いてて疲れたって言うと、うちの母親、前会長は慰めてくれるかと思うと、「人の前で疲れた疲れたと言うな。お前のは、稼ぎだ。稼ぎで疲れるなら働かなければよろしい。」ともうピシャッと言われました。

 働きというのははたはたを楽させるための行動が働き、私は働いているようでも働けば働くほどお金がいただける。それは稼ぎだと。お前のように稼ぎをしている者が人の前で忙しい疲れたなんて言うなっていうことで、叱られたことがあります。

 つまり、その朝起き正直働きの働きというのは労働ではなくて、人様を、はたはたの人を楽させるためのもの。あの人が掃除をしている時に、これをちょっと動かしてあげたら楽だろうな、そういうことをやってあげる。常に人様が楽になるようなことをして差し上げる。これが働きということなんです。

 八つのほこりと飯降伊蔵先生に対して言った三つの朝起き正直働き。そして梅谷四郎兵衛先生におっしゃられた「やさしい心になりなされや。人を救けなされや。」、そして「癖、性分を取りなされや。」、そして「定めた精神変えなさんな。」ということだけおっしゃった。言われてみると、非常に簡単なことばかりです。

 しかし、簡単だから続けるのは大変です。朝起き正直働きだって、今日ぐらいは寝てもいいだろうと思うかもしれない。あと朝起きたところで人のために楽をさせるようなことをしなきゃいけない。それをずっと続けていたために、本席様はただの大工で、誰からも羨まれるような大きな棟梁でもなんでもないけれども、この方が本当の私の信仰をつないでくれたということで、教祖は本席に指名して、教祖が身を隠された後、本席様に入られてお話をされたぐらいの方です。

 本席様はどれだけ何をしたか、どんな天理教に対して立派なことをやったかというと、教祖の言われた通り朝起き正直働きを守っただけ。そういうふうに、この教えは非常にシンプルです。非常にわかりやすいです。わかりやすいから、実は簡単に間違ってしまう、忘れてしまうこともある。「をしい、ほしい、かわい、にくい、うらみ、はらだち、よくにこうまん」、これが八つのほこり。そして「神は嘘と追しょうこれ嫌い。」(明治22年3月10日)とおっしゃったんです。

3.嘘と追しょうこれ嫌い

 なんで嘘と追しょう(追従)が嫌いかというと、まずよくお道で言うんですけど、遠慮はほこりだよってよく言われますね。聞いたこと皆さんあると思うけど。遠慮はほこりというのはなぜかというと、これおさしづにもあるんですけど、「遠慮は追しょうになる。追しょうは嘘になる。嘘が大ぼこりの台。」(明治31年5月9日)と言うんですよ。

 だから過ぎたる遠慮というのは追従になってくるから、素直にいただいて喜んで感謝をすればいいのに、いや結構でございます結構でございますとやって無用な遠慮というのは結局追従になる。遠慮は追従になる。追従は嘘になる。嘘は大ぼこりの台という風に教祖はおっしゃる。

 ですから「をしい、ほしい、かわい、にくい、うらみ、はらだち、よく、こうまん」。この八つのほこりの大元は実は嘘だと言うんですよ。そういうことから飯降伊蔵先生に朝起き正直働きの種を渡した。

 ということで、皆さん今日からでもいいですから、一つ、朝起き正直働きでもいいです。それに、八つのほこり、今日はどんなほこりを使っちゃったかなと思ったらば、夜寝る時に神様申し訳ありませんでしたと謝る。こういう信仰していって、信仰することによって、人間が成人をするということです。

 昔は20歳でしたけど、今は18歳になれば自動的に赤ん坊にも成人式が来る。しかしそれは時が経っただけで産まれてから18年経っただけの話。一方で、この信仰は心の成人ということなんです。

 つまり、どんなに年を取ろうが、どんなに社会的に偉くなろうが、心が成人にしてなければいけない。これは今日からでもできる。ということで、この八つのほこり。嘘と追しょう。それに朝起き正直働き。この3つをしっかりと自分のものとして現実に行動していく。

 教祖は初心者に、信仰に入ったばっかりの人にこればかりを話されたって言うんですよ。皆さん、教祖から聞いてるつもりでいれば、八つのほこりも朝起き正直働きもできると思います。

 そんなことで、どうか教祖がおっしゃられた教えがそのまま今になって生きておりますので、どうか今日からでもこの八つのほこりと朝起き正直働き、この3つの種をしっかりと自分のものとして行っていきたいと思います。

 関東地方はいよいよ来週あたり梅雨明けだという、梅雨明け前からこの暑さですから梅雨が明けたらどうなるかと思いますが、私は2、3日後にお付き合いの顧問先の社長とのゴルフがあるんですけども、なんと37℃だと言われまして、どうしようか今悩んでいる所です。

 けれども、お天気については神様が人間のために、人間の心を反省させるために、いろいろ手引きをくださるんですから、そういう中から神様は何を私たちに求めていらっしゃるかを考えながら身体を大事にして、また来月お会いできるように祈っております。

 今月はどうもありがとうございました。

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