ただいまは6月の月次祭を賑やかにおつとめいただきました。鳴り物が頑張りすぎて、おてふりがうまくできないところがありました。なんとか両方バランスよくいけるようにみんなで練習をしたいと思います。しばらくの間お付き合いをお願いいたします。
1.2人の女性の布教
これは中根大教会の大先輩に聞いた話なんですが、あるところに女性が2人いました。1人は大正時代に女学校を出た非常に才媛。1人は小学校しか出なくて、文字の読み書きも難しいような人。この2人がお道に導かれまして、おたすけに出ることになった。
1人の方は非常に頭がいいですから、教理教典、おふでさき、おさしづ、全部知っているから、教理で一所懸命布教して歩いた。で、その方が一所懸命やった結果、10カ所の部内教会を作ったんです。これが中根の今の邑楽分教会。坂本ソメさんという方が布教して、女性一人で教会を一つ作るのも大変なのに10カ所の教会を作った。
一方、学問がない人は、教理も説明できないし教典も説明できないし、みかぐらうた、おふでさきも難しいしということで、その方は教祖のひな形だけを話して布教に歩いたそうです。教祖はこういうことをされました、教祖はこういう方です。そういうことだけを話されて通ったそうです。その方は、先ほどのその女学校出のすごい方が10カ所、すごいなと思っておりましたら、その教祖のひな形だけを話して通られた方は、50カ所を作って、大教会になった。これが那美岐大教会の初代さんであります。
つまり、この教えを知るために、あるいは人を導いていくためには、教祖のひな形というのは、どれだけ人の心を打つか。教祖のひな形だけを伝えていって、50カ所の教会ができたということを聞いて、私もびっくりしました。10カ所作るんだってすごいんです。それは頭のいい方だからこそできたんだと思うんですけども。
そんなことを考えますと、教祖のひな形というのはどれだけ人の心を打つか。またそれを聞いた人がどのように自分の心や行動を変えていかなければならないかということを考えることができると思うんです。
2.逸話篇
それで今月はひとつ、天理教教祖伝逸話篇をお読みをしたいと思います。これはどういうものかというと、実は皆さんが勉強しているあの教祖伝を編纂する時に、編集者の下には色々なお話が寄せられました。「あの時教祖はああされた」「教祖はこのようにおっしゃった」。それらを、本当に確実に確認できたものだけを、その教祖伝にはまとめた。
そして、事実ではあるけれども、非常に小さな逸話の場合には、それを天理教教祖伝逸話篇というこの本にまとめた。この本には200のお話が載っているわけですが、教祖伝を作られた二代真柱様いわく、教祖伝と天理教教祖伝逸話篇、これを2つで教祖の伝記として考えてもらいたいとおっしゃっているんですね。
なかなか教祖伝は皆さんいろんなところで読むことがあるんだけど、逸話篇というのは知ってるようで結構知らない。逸話篇の中からいくつかのお話をしたいと思います。
もう一つ、口伝というのがあるんです。口で伝えられた教祖のお話。これ先日娘に聞いて本当かなと吹き出しちゃったんですけども、こういう口伝があるそうです。
教祖の甥っ子だか親戚の子供が、「教祖、おばあさん、おばあさんは神様なんだから、博打をやったら勝てるだろう。」と言って、自分はこれから大阪へ行って博打をするんだけども、勝ち方を教えてくれという話をしたそうです。教祖はそれはならんというふうに言ったんですけども神様ならできるだろうということで、教祖は「1回やったらやめなさい」という話をしたそうです。その通りで本人は博打をしたらば勝ったそうです。もっと勝とうもっと勝とうとやってるうちに急にすっからかんになってしまった。
つまり、教祖が1回でやめなさいと言われたことを聞かなかったからそうなったんだというのが口伝に載っているそうです。私どもは本部がこれは本物だとして裏付けたもの以外は教祖伝としては考えておりませんけども、そういうものもある。
そういうものに比べると、この逸話篇というのは、実際に裏付けのあるものです。それのエピソードとして非常に細かいものがある。その中に、皆さんも聞いたことがあると思いますが、きちんと覚えて聞いていただきたいと思うんです。ちょっと長いですけど聞いてください。「心の皺を」というテーマです。
教祖は、一枚の紙も、反故やからとて粗末になさらず、おひねりの紙なども、丁寧に皺を伸ばして、座布団の下に敷いて、御用にお使いなされた。お話に、「皺だらけになった紙を、そのまま置けば、落とし紙か鼻紙にするより仕様ないで。これを丁寧に皺を伸ばして置いたなら、何んなりとも使われる。落とし紙や鼻紙になったら、もう一度引き上げることは出来ぬやろ。人のたすけもこの理やで。心の皺を、話の理で伸ばしてやるのやで。心も、皺だらけになったら、落とし紙のようなものやろ。そこを、落とさずに救けるが、この道の理やで。」と、お聞かせ下された。
ある時、増井りんが、お側に来て、「お手許のおふでさきを写さして頂きたい。」とお願いすると、「紙があるかえ。」と、お尋ね下されたので、「丹波市へ行て買うて参ります。」と申し上げたところ、「そんな事していては遅うなるから、わしが括ってあげよう。」と、仰せられ、座布団の下から紙を出し、大きい小さいを構わず、墨のつかぬ紙をよりぬき、御自身でお綴じ下されて、「さあ、わしが読んでやるから、これへお書きよ。」とて、お読み下された。りんは、筆を執って書かせて頂いたが、これは、おふでさき第五号で、今も大小不揃いの紙でお綴じ下されたまま保存させて頂いている、という。
これが逸話篇の四五番「心の皺を」です。人間も心の皺を取ってあげるように、この皺を取らないともう落とし紙になったら二度と使えなくなる、とこういうふうに教祖はそのお助けをする人に対して心構えを教えてくださった。こういうお話が200も入っているんです。
ですから、普段何気なく聞いていたことも、実はちゃんと逸話篇に入っているということで、今度また逸話篇を機会があるごとに読ませていただきたいと思います。
3.神がかりになる前のこと
教祖のひな形について、天理教学と言いますが、天理教の学問をする上で大きな考え方が2つに分かれるところがあるんです。これは天保9年10月26日に教祖が41歳で神がかりになられた。41歳から後は、これは全部神様としてのひな形です。お通りくだされた。
ところが、神がかりになる前に教祖は大変な人助けをなされている。その例えの一つが、ある蔵に米泥棒が入った。作男たちが全部米泥棒を捕まえて痛めつけようとした時に教祖が出てきて、「貧に落ち切ってのことであろう。その心がかわいそうや。」と話された。盗もうと思った心がかわいそうや、助けてあげなさいと言って、その当時の米泥棒は一番罪が重いんですが、わざわざお米を持たせてその米泥棒に渡してあげたとか。
あるいは、黒ぼうそうの足達照之丞、足達神具店がありますね、天理本通の中に。あの先祖ですが、足達家は全部男の子は育たない。そんなことから照之丞が黒ぼうそうにかかった。その時に教祖がその子を引き受けて、なんとか助けてあげたいと言って、今の東礼拝場のところにあった三島神社に子どもを連れて行って、この子を助けてください。そしてどうしても助からないのであれば自分の娘2人を差し出します。それでも足りなかったらば、私の命を差し上げますと願った。
それが三島神社の神様が受け入れられたのか、その足達照之丞は助かるわけです。しかし、自分の子どもの命、自分の命まで捧げて、人を助けようとした。これも実は神がかりになる前の話なんです。
それも皆さんつい間違えて、ひな形と言ってしまってるんだけども、それはひな形ではないということで、私が今言ったように41歳以前はひな形ではないという人と、いや41歳以前も、生まれてからがもうひな形なのだという人がいましてね。教祖は小さい時から、近所の子どもにも自分のものを分け与えられるぐらい優しい子どもだったという話もありますから、本当に素晴らしい方であったことは間違いない。
そしてそういう方だからこそ、親神様はその方に約束通り降りられたわけですけども、そういうことを考えると教祖は、神がかりになる前から、そういうもう自分の命を捧げても人の子を助けようという思いがあった方なんです。神がかりになる前でもそういうことをされていたという、そこをしっかりと皆さん理解してください。
4.神がかり後
ましてや神がかりになった後は、本当に施し尽くされて貧のどん底に落ちきられた。それで世界を助けるんだということをされた。
神がかりになる前の、それをひな形とは言いません。それは人間心でやられたこと。41歳以降は厳しい仕込みもあります。それは助けるばかりじゃなくて厳しく仕込んでくることもある。これはなんとか子どもである我々の人間を一人前の人間にしたい、成人にさせたいという思いでの厳しいことですので、人によっては40歳までの教祖の方が優しかったという方もいます。
それはそうでしょう、人間ですからお付き合いでも優しくする。しかし、41歳過ぎてからの教祖は人を助けるために、真にこの人間を助けるためにはどうしたらいいかという、場合によっては、節を見せるということもある。辛いことを見せるということもある。そんな中でも、それを耐えて、その人のために何とか助けたいと思っての節ということを考えて、教祖が神様としてどれだけ我々に期待しておるかということがわかるかと思うんです。そういう思いから徐々にこの教祖のひな形について、またゆっくりと勉強していきたいと思っています。
今月はもう東京は梅雨入りしたそうでありますけれども、来月は梅雨が明けてしまう。ありがたいことに今この6月は二十数年ぶりに涼しいそうです。
涼しさに慣れちゃうと当たり前だと思ってしまいますけど、二十数年ぶりの涼しさだそうです。その涼しさをしっかりと、涼しい時は涼しい時で喜んで感謝して、そして暑くなったら暑くなったでまた汗が出るというように感謝して、この一か月過ごしていただきたいと思います。
来月は日曜日ですので、皆さんもおいでいただけると思いますが、お待ちしておりますのでどうぞよろしくお願いします。
本日はどうもありがとうございました。