ただいまは 5月の月次祭、元気に賑やかにありがとうございました。鳴物は、せっかくいい音出してるんだから、そのいい音が一つに合ったらもっと素晴らしいので、今度は合わせることを考えましょう。
しばらくお取次ぎをさせていただきますので、お付き合いをお願いいたします。
1.ひのきしんの方法
先月、連休の始まりの29日に全教一斉ひのきしんデーがありました。葛飾支部でも250~260名の方がおいでになった本当に楽しいひのきしんでしたが、当日は交通の便が非常にあちこちで大変で、遅れてこられた方もいらっしゃいましたけども、日帝分教会としていつものどおり楽しい終わってからのピクニックをさせていただきました。
健康感謝のひのきしんいうことで、皆さんご承知かと思いますが、「ひのきしん」というのは、昔は漢字は一日の日の寄付、寄進ということで「日の寄進」と書いていたんです。が、もうこれ天理教だけの独自の言葉になりました。
ひのきしんというのは身体を使って人様に喜んでもらうことをする。その大元は何かというと、これは神様に対するお礼。神様からこの健康な身体をお借りしているお礼としてひのきしんをさせてもらう。これがひのきしんの元々の意味です。
喜んで、決して労働奉仕とか身体を使って何かをするということではなくて、ひのきしんは神様に対する、身体をお借りしているお礼ですから。身体の動く人は身体を使えばいい。身体が動かない人は口を使って感謝の言葉を出せばいい。皆さんを勇ませる気持ちの言葉を出せばいい。口も使えない人はニコッと笑顔で喜ばせればいい。もうあらゆることができる。これがひのきしんでございます。
これを本当は毎日やらせてもらうわけですが、改めて天理教の仲間が集まってひのきしんをさせていただきましょうということで、毎年 4月 29日にやらせていただいております。また来年も開催されますので、それは心に留めておいていただきたいと思います。
2.節(ふし)について
今日は実は、信者さんのXさんとYさんがおいでになると言っていたんですけど、急遽来られないと連絡ありました。
Xさんはどうやら血管が詰まってる恐れがあるというので、緊急に手術をするかもしれず、精密検査が今日入ってしまって誠に申し訳ないと連絡がありました。またYさんもひざの具合が悪くて、今日病院に行って手術をするかしないか診断を受けてくるということでした。
皆さんで大難が小難で済むようにお祈りをしたいと思います。本当は何かをしたい、自分の思ったとおりのことをしたいんだけれども、それができない。これは神様からの何らかのメッセージで節ということで言われるんですけども、今日はちょっと節についてお話をしたいと思います。
順風満帆で楽しい生活をしているというのも、これもちろんいいですけども、例えば私なんか、先輩と時々会う機会があります。
先日もその弁護士仲間の先輩と一緒に食事をしたんですが、もう 84、5歳になる先輩が「いや俺は失敗した」と非常に悔やんでおるんですね。なんでかなと思って聞きましたら、弁護士登録を抹消して事務所へ行かなくなった。事務所を全部人に任せて、自分はもう弁護士を辞めてしまった。そしたら2年と経たないうちに身体のあちこちが急に悪くなってきたっていうんです。それで物覚えも急速に悪くなってきている。
弁護士やっていたらこんなことはなかったんだろうということで、まあ果たしてそうかどうかわかりませんけれども、少なくとも本人にしたら、登録をやめてから急速に悪くなってきたということで、非常に悔やんでおりました。そしたらつい最近、別の人からその方が、だいぶ認知症が入ってきたようですよって話もお聞きしました。
そうしてみると、誰でもそうですけども、サラリーマンは働いていらっしゃるから定年になったら仕事は行かないでいいとは言うけれども、実際には定年になったら何をしようという思い、皆さんお持ちになってますね。
弁護士というのは自分で定年決めればいいので、弁護士辞めたらどうしようって考え全く持ってないんです。だから辞めたらおそらくそういう方たちのようにどんどん衰えていくと思うんですね。
そうすると、元気で働ける、あるいは働いている時にでも色々な、まさに病気、事情、神様でいう節を見せられる。もう悠々自適で何の苦労もなく余生を全うできるかというと決してそんなことはなく、節を見せられることがあります。
神様は人間というものを、お互いが助け合うために作られたわけですから、人を助けることもせず、自分だけゆっくり温泉入ってテレビばかり見ていていいわけがない。結果的に人のお世話になるようなことになる。
ですから、この教えは常にどんな時でも、先ほども申しあげたように、口がきけなくても身体がきかなくても笑顔で人を勇ませる。笑顔で人に感謝を伝える。どんなことでもできる。人のために、という思いがある限り決して衰えることはありません。もうそのこと自体が神様がお役に立たせてくださっているわけですから。
そうなると、元気な時、健康な時にいろんな節を見せられるということは、意味があることと思います。できれば節がない方がいいかなというふうにも思うんですが、こういうおさしづがあります。
「何かのふしが無ければ、何かの事も聞き流し。(中略)一つのふしが無ければ聞き分けが出来ん。」(明治22年10月9日)
神様がいろんなことをおっしゃってくださっても、人間はそういう節がなければ聞き流してしまう。そういう節がなければ聞き分けができない。こういう話を聞いても、ああそうか、人に対して笑顔にならなければいけないんだということが、節があるからこそわかる。節があるということは、その聞き分けができるということで大切なことだと思うんです。
神様がなんで一人ひとりに節をくださるかというと、これは神様が人間を作られたのは陽気暮らしを見て共に楽しみたいという目的でしたね。そうすると、その一人ひとりに節を与えたのは、ただこの一人の心だけを直すのではなくて、この人が陽気暮らしの役に立ってもらいたいということだということなんです。
3.個々の節が世界を勇ませる
非常に壮大と言いましょうか、スケールの大きいおさしづがありました。
「一時には怖わいようなもの、恐ろしいようなもの。後々案ぜる事もあろ。何も案じる事要らん。ふしという、ふしから世界治まる。さあさあ勇む/\。世界も勇むで。」(明治27年5月2日)
我々の一人ひとりの節で世界が勇むようなことになるんだというおさしづなんです。
ですから、私なんかちょっと胃が痛いとか、何かがどこかが痛いっていう思いがあっても、自分に対する節で自分の心を変えろよ、っていうことだと思っていたんですけども、そうではなくて、一人ひとりに与える節というのは、世界を勇ませるための節なんだと。
そういうふうに考えたならば、私にいただいた節は、私がこの節をしっかりと芽を出すようにすれば、結果世界が勇んでくるという、そういう大きなこのおさしづを実は今日初めて読ませていただきました。
これ、世界の節のこと言ってるのかと思ったらそうじゃない。世界の節は全部人間に来るわけですから、世界の節なんかないんです。これはあくまでも人間一人ひとりの節のこと。
一人ひとりの節が、「ふしという、ふしから世界治まる。さあさあ勇む/\。世界も勇むで。」ということ。自分が節をいただいたから勇むと、世界が勇んでくる。節というのは、自分だけのことではないんだということを今回改めて勉強させていただきました。
我々は自分だけで長生きすると思っていましたが、そうではなく、神様が必要とする、陽気暮らしのために必要とする人間を使ってくださるということを考えたとき、人間にとっての一番の節である「出直し」、その出直しの節ですら、周りの人間を勇ませて世界が勇むんだ、というふうに思うと、節の一つひとつでいちいちくじけてられない。私なんか、腰が痛いぐらいでへこたれてはいられないなということを改めて感じたわけでございます。
そういうことで改めて、一人ひとりの節が来たらば、これは神様が何を私におっしゃってるんだろう、とまず受け止める。そして、それを神様が私におっしゃっていただいたことについて喜ぶ。それで節から芽を出すようにすると世界も勇むんだと。これは自分の節ではなく、世界を勇ませる節となります。
つまり、世界を陽気暮らしの世界にするということは、人間一人ひとりが節に対してきちんと芽を出す努力をすることによって、はじめて可能になるのです。そうして私は世界を勇ませることができる。世界なんて私は関係ないわと思っていたけれども、決してそんなことはないということを改めて教えていただきました。
4.談じ合いが大事
皆さんにも、いろんな節がこれからも出てくると思います。その節は神様が皆さんに期待していること。そのうえでその節から喜んで芽を出すと、今度は皆さんが世界を勇ませるような大変なお仕事をしていくことになるんだ、ということを改めて教えていただいたわけでございます。
そんなことで、どんなことがあっても勇みましょう。喜びましょう。そしてそういうみんなの喜びを、みんながこうやって集まってお話をすること。このことを神様は「皆々談じ合うてすれば、どんな事でも出来てくる」(明治27年6月29日)、「皆心を揃うて、談示は第一」(明治21年12月11日)とおっしゃっています。みんなでこれはどういうことだろうということを話し合う。これが信仰するうえで第一のことだということもおっしゃってます。
そういうことで、ぜひ皆さんこういう集まりがあった時には、またご参集いただいて、それぞれがいろんな悩んでいること、あるいは苦しんでいることを率直に出して談じ合って、陽気ぐらしの世界に一日も近づくようにしたいと思います。
天気予報を見ますと今日を始めとして、これからずっと 25度を超えるという日が続くそうでございます。寒けりゃ寒いで文句言って、暑けりゃ暑いで文句言ってちゃいけないとは言いましたけども、さすがに 5月で25度以上が毎日とはなかなか身体に堪えますので、せっかく神様から借りている身体ですから、大切に温度調整しながら体調を壊さないように、また来月まで 1ヶ月お互い頑張っていきたいと思います。
今月はどうもありがとうございました。