9月
2026年(立教189年) / 月次祭

真の助かり

 ただいま9月の月次祭、賑やかにおつとめいただきました。誠にありがとうございます。

1.鳴り物を心で弾く

 いつも申しあげてますけれども、教祖の天保9年10月26日に先立つ最初のお言葉が、「我は元の神、実の神である。このたび世界一れつを助けるために天降った。」です。

 世界を助けるため。じゃあそれどうすれば助かるか、という助け方がおつとめなんです。そして皆さんご承知のとおり、1月26日教祖が身を隠される時も、最後に何をおっしゃられたかというと、「つとめをせよ。」ということ。このつとめで世界を助ける。おつとめをしなければ世界が助からないということで、おつとめというのは、それぐらい重くて意味のあるものだということをご理解いただきたいと思います。

 教祖にこういうお話があります。鳴り物ができない、といっておつとめに上がろうとしない人がいた。その時に教祖は上段に上がって、鳴り物を心で弾きなさいとおっしゃってるんです。手でちゃんと弾けるかどうか別にしても心で弾きなさいという。

 つまり教祖は、親神様は、何よりもその人間の心、一人ひとりが人を助けたいという、その心を持っていることが大事だ。心さえあれば、形はいくらでも後からついてくる。今日も一所懸命苦労しておつとめに上がっておられたかと思いますけども、なんとかおつとめに上がらせてもらいたいというそういう思いで、そして徐々に覚えてく。これが教祖の、親神様の意にかなうところであろうかと思います。

2.本当の助かり

 今日は人間の心の持ち方について一つお話をしたいと思います。

 信仰をしていれば何でも助かる。これは間違いないですね。どんなことでも助けてくださる。その大元はこの身体。身体は神様が貸してくださっているものですから、神様は人間の身体を痛めてるんではなくて、こういう心を持ってくれよということで、いろいろ身体に身上で教えてくださるわけです。その大元の身体を貸してくださっている神様ですから、お助けされればもう全部綺麗に助かる。ところが、その助かるというのはどういうことかということで、こういうお話があるんです。

 大和国倉橋村の山本与平妻いさ(註、当時四十才)は、明治十五年、ふしぎなたすけを頂いて、足腰がブキブキと音を立てて立ち上がり、年来の足の悩みをすっきり御守護頂いた。

 が、そのあと手が少しふるえて、なかなかよくならない。少しのことではあったが、当人はこれを苦にしていた。それで、明治十七年夏、おぢばへ帰り、教祖(おやさま)にお目にかかって、そのふるえる手を出して、「お息をかけて頂きとうございます。」と、願った。すると、教祖(おやさま)は、

 「息をかけるは、いと易い事やが、あんたは、足を救けて頂いたのやから、手の少しふるえるぐらいは、何も差し支えはしない。すっきり救けてもらうよりは、少しぐらい残っている方が、前生のいんねんもよく悟れるし、いつまでも忘れなくて、それが本当のたすかりやで。人、皆、すっきり救かる事ばかり願うが、真実救かる理が大事やで。息をかける代わりに、この本を貸してやろ。これを写してもろて、たえず読むのやで。」

 と、お諭し下されて、おふでさき十七号全冊をお貸し下された。この時以来、手のふるえは、一寸も苦にならないようになった。そして生家の父に写してもらったおふでさきを、生涯、いつも読ませて頂いていた。そして、誰を見ても、熱心ににをいをかけさせて頂き、八十九才まで長生きさせて頂いた。

 (稿本天理教教祖伝逸話篇一四七 本当のたすかり)

 我々人間は、助かるというのはきれいさっぱり痛みがなくなってすたすたと歩ける、ということだとつい思いがちです。しかし、なぜ神様がそういう身上を私に与えてくださったのか、ということをしっかり考えることが真の助かりなんです。

 つまり、ここにもありますように、助かるというのは身体が助かるんじゃない。心が助かる。心でありがたいなと、これでありがたいなと思った時に、本当に助かるということの意味が分かるわけです。

3.自分のこと

 実は私も天理教の教会長をやっていながら、つい最近みっともないことをしてしまいました。私には脊柱管狭窄症というのがありまして、本来は2つぐらいの脊柱管が狭まるところが4つも狭窄してるというわけです。

 ただ、お医者さんは、「4つ全部削ってしまうと背骨がグラグラになって歩けなくなってしまうから、1個残しておくよ。」ということで、4つの内3つの脊柱管の5箇所を骨削ったそうです。そうしたら確かに当初の手術をやる前のあの痛くて歩けないのと違って歩けるようになりました。

 ところが退院してから、朝起きると、なんとなく腰が重い。それでストレッチをやりながら朝起きてくるんですけど、この間診察の時にドクターに言いました。「先生まだちょっと痛いんだけど、これなんとかならんの」と言ったんです。そしたら「あんた4つ悪くて全部やったら歩けなくなるから、1個残してあるんだから少しは痛いに決まってんだろう。」と言われました。このとき、教祖の先ほどのお話を思い出したんです。

 自分はすっきり治ることばっかり考えていた。しかし、お医者さんで言うとすっきり治すと歩けなくなっちゃうよと。痛みがないけど歩けなくなっちゃうよ。それで1つだけ残してやるから痛いのは当たり前なんだ。先ほどの教祖の真の助かりっていうことを考えても、私はそもそも今痛いのじゃなくて、もっとひどい状態で歩くことも横になることもできなかったのを御守護いただいた。

 そしてその背骨の理というのは、教祖のおさしづを読めば、しっかりと定めた精神変えなさんなという意味なんです。背骨というのは自分の精神ですから。その定めた精神がグラグラしてるもんだから、神様が精神変えるなよってことをぴしゃっと教えてくださった。それなのに、それを忘れちゃって、まだ1箇所痛いんだけどなんて言ってると、これはやっぱり神様から言われた真の助かりっていうのは自分は分かっていないってことがよくわかりました。

 全部助かるんじゃなくて、どっか1箇所、これは神様に頼めば簡単に直してくれるけども、それ直していただいた瞬間、きっと人間は心を直すことを忘れてしまう。そんなことから私も、今、朝起きると腰が重いんですけど、あ、これはありがたいんだ。この1箇所あるおかげで、自分の神様からの因縁手引きが分かるということで、ありがたく感じています。そんなことで、今日はこのお話をご紹介しました。

4.真の助かり

 皆さんそれぞれ、まだ若いうちはなんでもないですけども、年を取るにしたがっていろんなところが悪くなってくる。これ神様なら全部助けてくれたっていいんじゃないのと、つい思いがちになる。

 しかし、それは神様は全部助けるんじゃなくて、こういう節を与えていただいたことに対して、その時の心、私の心を直すんだと。その心を直すことを忘れないようにちょっと残してくださっているというのは、これも実は御守護だっていうことがわかるわけです。そんなことで私なんか全部綺麗に直してもらって仮に歩けたら、すっかり自分に神様が手引きをくださったことを忘れてしまう。

 真の助かりというのは、心が助かること。神様の心に、神様のおぼしめしに何とか近づいていって、それによって神様がこの人間を、心を助けようと思っている。そこを今日は改めて確認したいと思います。

 9月になってさすがに急に涼しくなってきたようですけれども、また明日か明後日は夏日に戻ってくるということです。この天候の不順というのは、人間にいろいろ不都合が生ずることが多いわけですけども、これも神様が、暑い暑いと言ってたから涼しくしてやったら、今度寒すぎるって言ってまたじゃあ暑くしてやろうという風におっしゃってるのかもしれません。

 お天気や自然のことについては全部神様のおぼしめしですから、どんなことも素直に喜んで受け取って、神様は何を私たちにお伝えくださっているんだろうかということを考えながら、決して天気、自然に対して不平は言わないということで、心を定めていきたいと思います。

 10月になるとまた急に寒くなりますので、風邪を引かないようにどうかお大事にこの1ヶ月お過ごしいただきたいと思います。

 今月は誠にどうもありがとうございました。

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